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第9話 美里花side――救い

 月也のいない1週間は、文字通り地獄の苦しみだった。

 わたし、西野美里花は、最初の1日で、もう月也無しでは生きられない事を確信していた。

 月也と話さない学校生活は虚無そのものだったし、月也ともう話せないというだけで、わたしの精神状態は容易に限界を迎えていた。

 それから1週間を耐えたのは、我ながら頑張ったと思う。

 月也の告白を断ったのは自分なのだから、わたしの方が音を上げるわけにはいかない、わたしから声をかけるのはあまりに申し訳ないという思いも確かにあったと思う。

 だが一番の理由は、これで月也とまた連絡したら、もう月也に嫌われているのではないかという、純粋な恐怖だった。

 わたしは月也にそれくらい酷い事をしたと自覚していたし、だからこそ、月也とまた連絡するのが怖かった。

 だが、1週間も経つと、自分の精神がもう保たないとはっきり分かっていたし、その精神状態のあまりの酷さに、何か取り返しのつかない病気にかかってしまうのではないかという心配が現実的となっていた。

 そこまで来てついに、わたしは月也に連絡をするという決断を下したのである。

 いや、決断というよりは、無意識が勝手に助けを求めて手を動かしていたのに近いだろう。

 とにもかくにも、わたしは月也を再び家に招待する事となった。

 そこで考えたのは、わたしに月也が必要だとはっきり分かった以上、月也にもわたしを求めてもらわないといけないという事だ。

 月也がわたしと恋人になりたいというのは既に分かっている事だ。

 わたしと恋人になりたい男子が考えている事が、すべからくわたしとエッチな事をしたいという物であることは、これまでの自分に関する会話や噂をたびたび耳に入れていた事で知っていた。

「西野、マジでエロいよな。エッチしてくれ~」

 みたいな会話をわたしに聞こえかねない所でしてしまうのが、中学やそこらの愚かな男子というものだった。それくらい、思春期の男子の性欲というものは、度し難いものなのだろう。

 そしてわたしは、月也だって同じ男子である以上は、きっと同じ欲望に苦しんでいるのではないかと思ったのだ。

 わたしは自問した。

 ――わたしは月也を性的な意味で受け入れられるだろうか?

 答えは決まっていた。

 ――そんなの、月也のいない苦しみに比べれば、何万倍もマシだろう。 わたしはやはり、自分が性的にみられているという意識が普段から強かったせいで、自分の性的な側面、みたいなものがとても嫌いになっている所がある。

 だから、正直に言って、たとえ月也であっても、悪戯に欲望を向けられてしまったら、嫌な思いをするだろう。それは月也が悪いわけではなく、100パーセント、わたし側の欠陥だが。

 だが、それでも、わたしに希望をくれて、わたしの心を救ってくれた、あの月也が、わたしと恋人になりたいと言っているのだ。

 だったら、そこで想いに応えないのは、いくらなんでもわたしが酷すぎるという事にはならないだろうか?

 それに、エッチな事をした男女というものは、愛着、愛情、恋愛感情などでより強く結ばれると聞いたことがある。

 もしエッチな事をしたら、月也はわたしの事を、より大切に思い、離さなくなるのではないだろうか。

 錯綜する思いの中、わたしは決断する。

 ――月也を誘惑して、わたしに夢中にさせて、一生離れられなくしてあげよう。

 そうと決まれば行動は早かった。

 わたしは自分が持っている中で一番かわいい下着に着替え、普段は着ない白のセクシーなネグリジェを着て、月也を驚かせてあげようと着る毛布を羽織った。

 そうして現れた月也を見た瞬間、わたしは嬉しすぎて泣きそうになっていた。

「……良かった。来てくれたんだ。良かった……入って」

 それはわたしの心の底からの思いだった。

 そして、それからわたしは、月也と再び会えた喜びを何度も確かめながら、月也に自分がいかに苦しんでいたのかを、分かってもらおうとする。

「そうだよね。ごめん。わたしが馬鹿だったんだ。月也といるのがあんなに幸せだったのに、月也なしで生きていくなんて、わたしに耐えられるわけなかったんだ。わたし、毎日呆然としちゃっててさ。マジでなんもする気力湧かなくて。死のうとすら思えなかったんだ。本当に、虚無ってこんな感じなんだなって感じで……」

 それからわたしは、当初考えていた通り、月也を誘惑しにかかる。

 誘惑するつもりが、つい本心が出て、月也の腕に頬ずりをする所から入ってしまったが。

「ああ、月也……月也……月也だ……ごめんね。わたしが本当、馬鹿だったんだ。わたし、月也なしで生きていくなんて、もう無理になっちゃってるのにさ」

 それからわたしは、改めて月也に興奮してもらおうと、月也の身体中のあちこちを、次々とタッチして、さするようにしていく。

「本当、ごめんね。わたし、なめてたよ。月也の事がここまで好きになってるなんて、思ってなかった。月也と1日会えないだけで、わたし、完全にダメになってた。もう一日中、月也月也月也って、月也の事ばかり考えてた。月也、月也、ああ月也。わたし、今幸せだよ。月也とまた会えて、こうやって月也を感じられて、本当に、幸せ……」

 わたしは、頬ずりを名残惜しみながらも終えて、月也の瞳に自分の瞳を合わせるように近づけて、今にもキスしそうな位置で、囁くように声を出した。それは、こういう事に不慣れなわたしなりの、精一杯の誘惑だった。

「……ねぇ、月也? わたし、月也が恋人になりたいなら、なってあげるから。月也がわたしの身体でエッチな事をしたいのなら、なんだってさせてあげるから。だから、月也……お願いだからずっと一緒にいて? わたしが死ぬまで、ずっと一緒に」

「……美里花」

 だけど月也は、そんなわたしの肩を掴むと、ゆっくりと、しかし確実に、押し返してしまった。

 わたしは急に怖くなった。

 月也は、もうわたしと一緒にいたくないと思っているのだろうか。

 月也は、わたしと恋人になりたいとは、もう思っていないのだろうか。

「どうしたの……? 月也は、わたしとエッチな事、したくないの……? だったらどうしよう……わたし、可愛いくらいしか取り柄ないから……こうやって誘えば、月也だって喜んでくれるって思ったのに……わたし、要らないのかな……どうしよう……どうしよう……いやだよ、月也……」

 月也がわたしとエッチな事がもうしたくないのだとしたら、わたしは月也に何が出来る?

 ――いや、何も出来ないのではないだろうか?

 ――怖い。

 ――怖い怖い怖い。

 わたしはパニックになりそうになったが、そんなわたしの両肩を強く掴みなおして、月也はこう叫んでくれた。

「……要らないわけ、ないだろうが! 俺は、お前の事が本当に好きなんだ! 大好きなんだよ! 俺だって、お前とずっと一緒にいたいんだよ! なんでそれが、分かんないんだよ……!」

 わたしは衝撃を受けていた。

 心の底から衝撃を受けていた。

 そうなんだ。

 月也は、こんなに一生懸命叫んでくれるくらい、わたしの事が好きなんだ。

「……でもさ、俺はさ、お前の事、まだまだよく知らないんだ。たぶんお前は、俺が恋人になりたいってのを、俺がお前とエッチな事をしたいからだと思ってるだろ? それがさ、俺に対してすごい失礼な考え方だってこと、お前、本当に分かってるか?」

 え?

 わたしは途端、不安で一杯になった。

 月也はわたしの事が好きで、わたしと恋人になりたいけど、わたしとエッチな事がしたいからではない?

 そんな事が、あるのか?

 そんな人が、本当にいるのか?

 わたしなんかを、エッチな理由以外で恋人にしたいと思うような人が。

「ご、ごめん……ごめんなさい……でも……だったらどうして……どうして月也は、わたしと恋人になりたいの……? 男はみんな、誰だってわたしとエッチな事がしたいんだって、そう思ってたんだけど……」

 わたしは不安の答え合わせを求めるように、月也にそう問いかける。

 月也の答えは、一生懸命で、愛情が籠もっていて、何より、わたしの事を普段から優しく見つめてくれている事が良くわかるものだった。

「……美里花。俺はさ、お前の全部が好きなんだよ。それはさ、お前が単にめちゃくちゃ可愛いとか、そういう所だって、もちろん好きだ。でもさ、たとえば普段明るいフリしてるのに、放っておけない危うさがある所とかさ。そういう美里花の普通なら良くないと思える所とか、そういう所まで含めて、俺は美里花が好きなんだ。本当に詩をやりたいと思ってる所も好きだ。その詩の中で、すげえ素敵な感性を発揮している所も好きだ。水族館で大はしゃぎするような所も好きだ。下手すると、カフェラテに砂糖をいっぱい入れる所だって、好きかもしれない。それくらいさ、俺はお前の全てが、西野美里花という人間のあらゆる所が、好きなんだよ」

 ――嬉しかった。

 ――途方もなく、嬉しかった。

 ――また、月也に救われてしまったな……

 そんな思いを感じながら、わたしは涙腺が決壊してしまい、月也の胸に顔を押し付けてそのまま泣きだす。

「……う……うぅ……うぅううううううううううう! ……ずるいよ、月也。そんな事言われたら、もう月也なしじゃ生きていけないよ……うぅ……」

 わたしは、一体どれほどの事をすれば、この恩に報いる事が出来るだろう?

 たとえエッチな事を月也が求めるがままやった所で、わたしは月也と対等に与えあっている関係だと思う事は出来ないだろう。

 だからこそ、わたしは怖かった。

 月也がまたいなくなってしまう事が、怖かった。

「また月也が今回みたいにいなくなったら……! わたし、月也がいないと、たぶん死ぬことすらできない! 月也がいないと、何にもできないよ! 月也ぁ……月也ぁ……!」

「いいんだよ、今はそれでも。とりあえず、俺はいつでもお前の傍にいるから。いないときだって、携帯で連絡しあえばいい。改めて謝るけど、寂しい思いをさせてごめんな。お前がそんなに苦しむなんて、俺、全然分かってなかったよ。お互いさ、知らない事、分かってない事が、まだまだいっぱいあるからさ。そういうのを少しずつ話し合ってさ。ちょっとずつ、もっともっと、仲良くなっていこうぜ」

 わたしは感動した。

 本当に、神様みたいな少年だと、心の底から思った。

「……うん!」

 わたしに救いを与えてくれる、神様。

 それがこの月也という少年なのだ。

「……美里花、とりあえずその毛布、羽織りなおしてくれないか? いい加減我慢するのもさ、キツいんだ」

 その言葉を聞いて、冷静に自分の姿を確認したわたしは、なぜだかその途端、急激に恥ずかしさで一杯になってしまった。

「……は、恥ずかしい! 恥ずかしいよ、月也! なんでわたし、月也の前でこんな格好してるんだろ! バカなんじゃないのかな! あぁ、恥ずかしい……!」

 ――ああ、本当にどうしてこんな格好に……!

 わたしは急いで着る毛布を羽織り、なんとか肌を覆い隠す。

 その際、一瞬月也がちょっと残念そうな表情を浮かべているのを見てしまい、なんだか可愛いなと思った。

「……なぁ、美里花。お前の話をしてくれないか? お前は昔どんな子で、どういう風に育ったのか。そういうのが、聞いてみたいんだ」

 だが、月也がそんな話を切り出してくると、わたしは悲しそうに首を振ることしかできなかった。

「なんかさ、わたし本当に怖いんだ。自分の事を話すのが、すごく、怖い」

 わたしは、その後月也の事をもっと知りたいとせがみ、月也の過去を聞いた。

 嬉しかった。

 月也がわたしと結構似た生い立ちをしているようなのも、嬉しかったが。

 月也の事を少しでも深く理解できるようになることが、何より嬉しかった。

「……そうだなぁ。まあ中学とかの多感な時期には、好きな子くらいいたけどな。特に好きだと告白する事もなかったかな」

「……そっか。じゃあ、月也が面と向かって好きだって言った初めての女の子は、わたしなんだね」

 こんな会話が出来たのも、とってもとっても嬉しかった。

 月也はちゃんと、ドキドキしてくれていただろうか。

 ああ、本当に嬉しいな。

 でも、そろそろあの人達が帰ってきてしまう。

 月也をあの人達に合わせたくはないと思った。

 だから、わたしは月也を、嫌々ながらも帰す事にした。

「まったくもう……でも、そろそろうちの家族、帰ってくるかも。月也がなんか言われちゃったら嫌だから、帰った方がいいかも」

「……そうか。ま、大事な話は出来たし、今日は帰るよ」

 そこでわたしは、寂しさを少しでも紛らわせようと、こんなお願いをしてみた。

「……ねぇ、月也。わたし、月也と一緒に学校に行きたいな。月也の家まで、朝迎えに行ってもいいかな?」

「……ま、いいぞ。住所は後で送っとく」

 嬉しかった。月也は本当に優しいなぁ。

「やった。ありがと。嬉しいなぁ、えへへ」

 そうして月也は帰っていった。

「またな、美里花」

 月也が部屋からいなくなった後は、しーんとした静けさが空間を支配していて、なんとも物悲しくなる寂しさがあった。

 寂しい。

 寂しいなぁ。

 明日までは、月也に会えないのかぁ。

 そう思うと、わたしは幼い頃、ずっと一人だった頃の事を思いだして、無性に辛い気持ちになってきた。

 でも、我慢だ。

 明日まで頑張れば、月也に会える。

 そうすれば、この何もしていなくてもどんどん募ってくる、寂しさ、辛さ、悲しさは、どこかへ消えてなくなるはずだ。

 そうなのだ。

 月也こそ、わたしの救いなのだから。

 そんな思いを胸に、わたしはベッドに横になりながら、ぼうっと辛い精神状態に耐え続けるのだった。

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