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第6話 ペンギン

「明日、水族館に行こう」

 そんな連絡が美里花からきたのは、その週の金曜日の放課後だった。

 俺はなんと返信したものか、ドキドキしながら数分間考えあぐねたあげく、

「いいよ」

 と端的に返事する事にした。

「やった。明日桜海駅の改札前に13時集合でいいかな?」

「いいよ」

 いいよとしか言えない機械になった気分だったが、それ以外に余計な事を言うとぼろが出そうで、俺は何も言えなかった。

「よっしゃあああああ!」

 俺は、初めての女子とのデート、それも強く心惹かれている、顔だけなら超絶美少女といっていい美里花とのデートに、完全に浮かれていた。

 そうだよな? 休日に女子と二人で水族館に行ったら、もうデートだよな?

 俺は浮かれ、騒ぎ、母親にうるさいと突っ込まれ、それでも気分の高揚は収まらないのだった。

 翌日の12時30分に桜海駅に着いた俺は、そこに既に美里花が所在なさげに立っているのを見て、驚いた。

「……待ったか?」

「ううん、今来たとこ……なんかすごい定番のセリフだね、これ」

 そういって、にへらっと笑う美里花は、いつもと違い私服に身を包んでいて、ホワイトの肩を出したセーターに、淡いピンクのフレアスカートの組み合わせが、なんともいえない感動を生み出すくらい可愛かった。

「……私服、初めてみたな」

「……そう。似合ってる、かな? あんま可愛い服持ってなかったから、実は今日のために、買ってたり……」

 俺はまたしても驚かされた。

 ずいぶん可愛い服だと思ったが、今日のために新調までしてくれていたとは。

「そっか。嬉しいよ。水族館は俺が出すよ」

 俺は少し背伸びしてそんなセリフを吐いてみる。

「いや、いいって。わたし、結構親に金だけは渡されてるから、困ってないんだ。気にしないでいいよ」

 俺はその言い方に、なんとなく美里花の親に対するトゲを感じ、彼女の家庭環境はあまり良くないのかなと想像してしまった。だが、これから楽しい水族館に行くという時に突っ込む話でもないかなと思い、「そっか、悪いな」と言うに留めた。

「それより早く行こうよ! わたし、水族館って行くのはじめてなんだ。今日いくとこ、昔テレビで見て、いつか行ってみたいなとずっと思ってたんだよね」

「そうか、水族館に行った事ないのか。珍しい奴だな」

 普通は親に1回や2回は連れて行ってもらうものだと思っていた。

 俺はそこに、先ほども感じた家庭環境の問題を邪推してしまったが、今は言わない方がいいだろう。

「うん! だから東雲くん、ちゃんとエスコートしてよね」

「はいはい」

 美里花は意外と、そういう女子扱いというか、お姫様扱いみたいなものを求めるタイプなんだなと思った。

 俺は美里花を先導するように改札を抜け、階段ではそっと手を繋いで、ホームへと降りていく。

 ――あー、さりげなく手つないだけど、これめっちゃドキドキするな。

 美里花も気のせいか、少し顔を赤くしていたように思う。

 それから電車で、並んで座って手をつなぎながらほぼ無言の時を過ごした俺たちは、水族館のある駅に到着した。

「……ついたね」

「……ああ」

 俺たちは、まだ手を繋ぐことに対して顔を赤くしていた。だが決してやめる気にはならず、美里花も手を放そうとしなかったので、そのままになっている。

「……いこっか」

 美里花の声を合図に歩き出し、水族館までの道のりを進む。

 到着すると、入り口の所にチケット売り場があったので、そこに並んでチケットを2枚購入する。最初はそのままチケットを渡そうとしたが、美里花は強情に代金を渡そうとしたので、大人しく交換した。

「すごい! すごい! お魚さんがいっぱいだよ、東雲くん!」

 入口から入るとまず、巨大な水槽が目の前に広がっていて、そこで大小さまざまな魚があちこちを群れをなして泳ぎ回っていた。

 ――これは、確かにすごい。

 綺麗だなと思って遠くから眺めていた俺の手を引き、美里花は水槽の目の前まで駆け足で向かっていく。

 そして、美里花は目を真ん丸に輝かせて、手を広げて、感動を全身で表現するようにしていた。

「すごい! すごいよ! 綺麗……宝石がいっぱい漂ってるみたい!」

 そんな美里花の姿は、魚たちよりも眩しい煌めきを放っているかのように感じられて、俺は思わず目を細めてしまう。

 ――こいつは、詩を書くくらいだから、本当に感受性が豊かなんだな……

 俺は、美里花のそういう所は本当に好ましいなと思った。

 その後も、美里花のペースに合わせて、俺たちは館内を一緒に手をつないだまま進んでいく。

「くらげさんだ! くらげってこんなふよふよしてるんだね! すごいすごい!」

「うわ、毒を持ってるお魚さんだって! なんか怖いね! ちょっと突っついてみてよ」

「ふわぁ! ペンギンさんだぁ! 超かわいいよ、東雲くん! なんかあの一生懸命歩いてる感じ、たまらないね!」

 美里花は新しい展示に移るたびにテンションをマックスまで上昇させて喜んでいた。

 そこまで喜んでくれると、俺としても一緒に来た甲斐があって、楽しかった。

 何より、美里花の笑顔は本当に魅力的で、それを眺めているだけでも俺としては幸せだった。

「ふぅ、いっぱいはしゃいでちょっと疲れたね」

 俺と美里花は、水族館の中にある喫茶店のような所で、コーヒーを飲んで一息ついていた。

 俺はブラック、美里花はカフェラテを注文して大量の砂糖を入れていた。

「甘党なんだな」

「ブラックとか飲めないって、人類には」

「俺は人類じゃないのか……」

 そんな会話を楽しみながら、俺は美里花の横顔をなんとなしに眺める。

 長い睫毛にくっきりした二重の瞼が可愛らしい瞳は、どこか優し気に、照れている様子で俺の方をチラチラと見つめてきている。

 頬はピンク色に染まっていて、唇はつんととがりながらストローでカフェラテを静かに飲んでいた。

 その仕草に何とも言えない色気を感じて、俺は自分の顔が赤くなるのを抑えられなくなった。

「ねぇ、東雲くん。東雲くんの事、月也って呼んでもいいかな?」

 その言葉に、さらに俺のドキドキが加速していく。

「……どうした急に」

「なんとなく呼びたくなったの。いいでしょ、月也?」

 もはや決定事項とばかりに、美里花は堂々と俺の事を名前で呼んだ。

「じゃあ、俺もお前の事を、美里花って呼んでいいのか?」

「もう一回呼んでたじゃん」

「あ、あれは……ノーカン、ノーカンだ」

「あれ、嬉しかったんだけどなー。まあいいや、とりあえず呼んでよ」

「……美里花」

「……なんか照れるね。ありがと、月也」

 何とも言えない、甘酸っぱい空気が場を支配していた。

 俺は、幸せだった。

 美里花も、少しくらいは幸せを感じてくれているだろうか?

 ――そうだといいな。

 それからも、俺たちは水族館を楽しみ、イルカショーで美里花が興奮しまくっているのを楽しそうに見つめたりした後、水族館を出たところにある公園でベンチに座った。

「今日は楽しかったね! 本当に、楽しかった……」

 噛み締めるように言う美里花に、俺は一緒に来れて本当に良かったと改めて思った。

「ねぇ東雲くん……じゃないや、月也。わたし、今なら一つ、詩が書ける気がするんだ。ちょっと待っててくれないかな」

「……いいぞ、美里花」

 まだ呼び慣れない名前を呼びながら、美里花にぶっきらぼうに返事をする。

 内心は、月也と呼ばれただけで未だにとてもドキドキしていた。

 それにしても、詩か。どんなものが出来るか、楽しみだな。

 そう思いながら、俺はルーズリーフと下敷きを取り出し、ベンチに置いて何かを書き始めた美里花を眺める。

 集中している様子ながら、その口元には笑みが浮かんでいて、実に楽しそうだった。

 ――そうなんだな。

 美里花は、こんな風に、いきいきと喜びながら表現するんだな。

 そう思うと、最近の小説を書こうとしている時の自分と比較してしまい、どこか気持ちが暗くなる。

 だが、今は美里花の前なのだ。

 そんな様子を見せていいわけはない。

 そう思い、俺は美里花を慈しむようにしながら、ゆったりと美里花の執筆作業を眺め続けた。

「……できた」

 美里花はやがて、完成を宣言した。

「良かったな……で、見せてくれるのか?」

「……うーん。渡すけど、恥ずかしいから、後で見て」

 そう言うと、美里花は照れた様子を隠すように後ろを向いて、立ち上がる。

「今日はこのへんで別れよっか。わたしちょっと買い物してから帰るから。月也は、わたしがいなくなってから詩読んでよ」

「……いいぞ」

 俺は正直名残惜しかったが、美里花がそういっているのに引き留めるのも違うと思った。

「じゃあね、月也」

「ああ。じゃあな、美里花」

 別れ際、美里花は俺に近づいてきて、ぎゅっと手を握ってきた。

「月也と別れても寂しくないように、ちょっと握った感触を覚えておこうと思って。今度こそ、じゃね」

 やられた、と思った。

 俺は完全に顔を真っ赤にしていただろう。

 それから長い間、美里花に握られた手の感触が、脳に焼き付いていた。

 その手の感触がようやく薄れてきたころ、俺は公園のベンチで、美里花に渡されたルーズリーフを手に取る。

 そこにはこんな詩があった。

 *****

「ペンギン」

 ペンギンの少年と少女が、水族館を訪れました

 少女は、水族館に行くのは初めてで、少年にはしゃいだ様子を見せています

 二人はとてとてと可愛らしく並んで歩きながら、水族館の生き物たちを見ていきます

 ねぇ、あれはなに?

 あれはくらげ。ふわっと海に浮いている、のんびり屋さんの生き物さ

 ねぇ、あれはなに?

 あれはうつぼ。いつも穴に潜んでいる、鋭い目つきのハンターさ

 少年は水の生き物にも詳しく、ペンギンの少女に一つ一つ、優しく教えてくれます

 少女は、そんなペンギンの少年の横顔を見つめます

 凛々しい瞳を知的に輝かせながら、優しく包み込むような目つきで、自分の事を見つめてくれていました

 少女は少年の事をもっと知りたいと思いました

 ねぇ、あなたはなに?

 そういうと、ペンギンの少年は、困ったようにしながらこういいました

 俺はペンギンの少年。ペンギンの少女をいつでも優しく見守っている、キミだけの王子様さ

 それからペンギンの少年は、こう問いかけ返します。

 ねぇ、あなたはなに?

 ペンギンの少女は、嬉しさを隠すようにしながらこういいました

 わたしはペンギンの少女。ペンギンの少年の事が大好きな、あなただけのお嫁さんです


 *****


 ……読み終わった俺は、強烈な照れを感じた。

 ドクンドクンと、心臓の鼓動が高鳴るのが止まらなかった。

 この格好いいペンギンは、どう見ても美里花視点の俺だった。

 そしてこのペンギンの少女が美里花だろう。

 という事は、この最後のペンギンたちの会話は……

「あぁああああああああ……!」

 思わず変な声が出てしまう。

 ――美里花。

 ――なんてことをしてくれるんだ。

 これは一種の詩を介した告白という奴ではないだろうか。

 いや違うのか?

 分からない。

 美里花が、分からない。

 いずれにせよ、言える事は――

 ――詩というものが持つ魔力を、俺は舐めていたのかもしれない。

 美里花はそれを知って、俺にこんな心理状態を強いてきたのだろうか。

 だとするなら、とんでもないやつだ。

 そう、悔しい思いを感じながらも――

 ――この素晴らしい詩が読めた喜びを……

 ――そして読めたのが俺だけである喜びを……

 ――俺は、ただただ噛み締めていた。

「……来て良かったな」

 俺は美里花と水族館を訪れたこの日の事を、一生忘れたくないなと思った。

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