放課後、俺はしばらく抑えきれない衝動に身悶えした後、結局我慢できずに美里花の教室に行く事にした。
2年1組。彼女はそう言っていた。同じ学年とはいえ、違うクラスを訪れるのは少し勇気が必要だったが、俺は何食わぬ顔をして、クラスの中に入っていく。
だが、美里花はいなかった。
――もしかしたら、また屋上か?
そう思い、屋上へと向かう俺は、ストーカーと呼ばれても文句は言えないかもしれないと思った。
だがそれどころではない激情に動かされて、俺は屋上へ向かう。
立ち入り禁止の看板を乗り越えて、なぜか開いた窓から、屋上に侵入する。
――そこには、美里花がいた。
だが今回の美里花は、昨日と同じく安全のための柵を乗り越えて、いまにも落ちてしまいそうな不安定さで、屋上の縁に立っていた。
それを見た瞬間、俺は不安と焦燥感でいっぱいになって、美里花の事を放っておけないという気持ちが爆発するように広がっていった。
――お前。
――なにしてやがる。
――もしお前が死んだら。
――俺はこの感情を、どうすればいいんだよ……
そんな自分勝手な怒りがこみあげてきて、気づけば俺は美里花に向かって走っていた。
感情のまま柵を乗り越えて、美里花の横に荒々しく着地する。
そこに恐怖はなかった。
ただ、激しい衝動だけがあった。
「……お前!」
俺に気づいておらず、どこか放心状態だった美里花は、突然の俺の叫び声に、びくっとなって振り向いた。
「……東雲くんか。びっくりした」
そういって、美里花は微笑む。
その反応に、嫌われたりはしていないと分かり一安心するが、どこかこいつにしては弱々しい反応だとも感じた。
「どうしたんだよ、こんな所で。また死にたくなったのか?」
「……うん、まあね」
美里花は、どうも表情から感情を読ませないようにしている感じだった。
「……聞くぞ。嫌じゃなければ」
俺は勇気を出して、ぶっきらぼうながらも美里花の気持ちに踏み込む。
「はは……今日は優しいんだね。昨日はあんなに乱暴だったのに」
俺は美里花の腕を思いっきり引っ張って柵に身体を打ちつけた事を思い出し、今更ながらなんてことをしてしまっていたんだと、自分の行いに衝撃を受けた。
「いいから」
内心の動揺を隠すようにぶっきらぼうに促すと、美里花は諦めたように微笑んで、そっと話を始めた。
「まあ、大したことじゃない、ていうかよくある事なんだけどさ。ぶっちゃけわたしは、めっちゃ可愛いわけじゃん? それで、今度はなんかサッカー部のキャプテン、みたいな感じの人に告白されてね。なんかうざかったから、振ったの。そしたらそのキャプテンの事が好きな女子軍団、みたいなのがいて、ひたすら付きまとってきてさ。鞄を奪われて、わたしの詩を見つけてさ。笑われて、全部びりびりに破られちゃったんだ……そんだけ」
俺は、ガツンと胃をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
こいつは、普段からそんな苦労をしているのか、という衝撃もあった。
だが、俺の衝撃の大部分は、美里花の才能、努力の結晶ともいうべき詩が、そんな奴らに台無しにされた事への、どうしようもない深い怒りだった。
「ふざけんなよ……そんだけ、ってなんだよ……自分の作品をそんな風に扱われて、悔しくないわけないだろ……」
俺は、その怒りを真っ直ぐ表現する事が出来ず、なぜか美里花を責めるような口調になってしまった。
今まで知らなかった自分の不器用さに絶望したくなったが、美里花は静かに微笑んだ。
「……ありがと。東雲くんは優しいね。わたし、これでも傷ついてるから、結構キュンと来たよ」
幸い美里花は、俺の怒りの背後に、美里花の事を思う気持ちがあるのだと、正確に見抜いてくれたようだった。
「詩、自体はいいんだ。たぶん全く同じものは書けないけど、また新しいのを書けばいいから。でも、なんか、今回は本当にきつくってさ。わたしさ、あの詩にも書いたけど、ある時期からずっと詩が書けなくなっててさ。最近になって、もしかしたら書けるかもって思って、ちょっとずつ頑張って書いてたのが、その詩たちなんだ。昔に比べれば、下手くそで、不格好な詩なんだけど……それでも、それを台無しにされてさ、なんか、わたしの努力は無駄だったのかなって、わたしは一生詩が書けないままなのかなって、そう思ったら、自分でも良く分かんないんだけど、死のうって思っちゃったんだ」
俺はそう話す美里花の辛さをありありと想像してしまった。
怒りと、悔しさで一杯になった。
「そいつらの名前を教えろ。俺が、ぼこぼこにしてやる……!」
「……! それはだめ。わたしなんかのために東雲くんの高校生活が台無しになるなんてさ、許されないよ」
そういって悲し気に笑う美里花を見ていると、無性にイライラした。
こんな美里花はもう見たくないと思った。
こいつは、あんなに心を動かす詩を書ける、紛れもない尊い存在なのに。
俺の心は、こいつにこんなにもぐちゃぐちゃにされているのに。
当の本人ときたら、こんな風に悲しげに微笑むばかりなのだ。
「美里花ッ……!」
気づけば俺は、衝動のままに美里花の両肩を掴んで、彼女の名前を叫んでいた。
名前で呼ぶのはこれが初めての事だったが、そんな事をまったく俺は気にしていなかった。
「俺はさ! 悲しいんだ! お前は紛れもない天才なのに! そんなやつが、こんなクソつまらない所で、死のうとしてる事がさ! どうしようもなく、許せないんだよ!」
思いをぶつける。
感情を爆発させる。
美里花は、目を見開きながらも、俺の叫びを聞いてくれていた。
「お前はさ! めっちゃ可愛いのに、めっちゃ性格悪いけどさ! それでも、天才なんだよ……! 俺なんてさ、お前の詩を一つ読んだだけで、お前の事、大好きになっちゃったんだよ! それくらい、お前は凄いんだよ!」
感情のままに、何を言っているのかも分からないまま、ただ自分の真摯な思いを不器用に伝えようとする。
言い終わった後で、俺は静かに、目の前の美里花の顔を見つめる。
美里花は、俯いて、少し頬を赤く染めて、目に涙を貯めていた。
「……ふふっ。ふふふっ」
それから美里花は、突然笑いだす。
「……美里花?」
俺はその様子に言い知れぬ不安を感じた。
「……東雲くん。わたしは天才なんかじゃないよ。むしろ馬鹿だ。だって……」
そして、美里花は涙とともに美しい笑顔を浮かべて、こういった。
「キミみたいな地味な男子の告白で、こんなにも喜んでるんだから……」
そういって、精一杯強がるように、美里花はにっと笑って見せる。
その表情は、俺が見たかった、元気に俺と接する時の美里花で……
「ちょ、ちょっと待て、告白って何……あ……」
俺は今更になって、何を言ってるかも分かってなかった今の発言が、告白と取られても何も不思議ではない事に気が付いてしまった。
「『お前の事、大好きになっちゃった』んでしょ? これはもう告白だよねぇ? あーあ、出会って2日で告白されたのは、最短記録かもなぁ……東雲くん、ずいぶん惚れっぽいんだね?」
美里花は涙をぬぐって、完全に俺をからかうモードに入っている。
俺は発言を悔やみながらも、美里花が明るくなったことに、素直に嬉しいと感じてしまっていた。
――俺はもう、ダメなのかもしれない。
「ちょ、ちょっと待て。今のはなんていうか、本当に必死になってたから、何を言ってたのかも良く分かってないんだ。だから、ノーカン、ノーカンってことで……」
そういうと、美里花は途端、不機嫌そうに唇を尖らせる。
「えーそういう事いうんだ。男らしく認めてれば、ちゃんと返事してあげたのに。やっぱ陰キャはダメだね。そういう事言う人には、言いませんー」
「な……」
俺はその口調に、今とんでもないものを逃してしまったんじゃないかと、そんな焦りを覚えだした。
「ふふっ、まあでも、とりあえず元気は出たかもね? そこだけ、感謝しといてあげよう、少年」
そういって、美里花はにっと笑う。
そういわれてしまうと、これ以上追求するわけにもいかず……
俺は、もしあのまま告白を認めていれば、美里花はなんと返事してくれたんだろうと、そんな宙づり状態のまま、美里花のどうしようもなく可愛らしい顔を、悔しそうに眺めるしか出来ないのだった。
……ちくしょう。
「よいしょっと」
だが、とにもかくにも、美里花は柵を乗り越えて、安全な地帯へと無事戻ってくれた。
俺はそれを見て、安心したように続いて柵を乗り越える。今更だが、ずいぶん怖い所にいたな……
「ねぇ東雲くん、連絡先交換しようよ」
美里花は突然そんな事を言い出す。
「どうした、急に?」
俺は先ほどまでのやり取りの照れを隠すように、あえてぶっきらぼうに返事をする。
「まあ、せっかく友達くらいにはなれたわけだし、一緒に遊ぼうよって思ってさ。いやー、誰かさんが間違えてなければ、友達じゃなかったのかもしれないんだけどねー」
俺はかぁっと頬が赤くなっていくのを感じる。
「も、もうからかうのはやめろ! そのネタは1回までだ。せっかく人が慰めるために一生懸命話したっていうのに……」
「ふふっ、そうだよね。そうなんだよね。東雲くんは、いいやつなんだよね」
美里花はそういって、透き通るような笑みを浮かべる。
「わたしもとりあえず東雲くんの事は、友達としては大好きだよ」
そういって、にっと笑って見せる。
ちくしょう、むかつくけど可愛いなぁ、こいつは……
「いいよそれで。ほら、連絡先交換するんだろ。携帯出せよ」
俺は照れを隠すように携帯を出し、美里花の端末と連絡先を交換した。
「ふふっ、ありがと。なんか、嬉しいな。ふふっ」
美里花はそういって、どこか浮ついたように笑っている。
そんな様子も可愛いなと素直に思った。
「……それじゃね」
そういって、美里花は鞄を肩にかけなおして、去っていった。
俺はそんな彼女の後ろ姿の、ゆらゆらと揺れる腰まで伸ばしたサイドテールを、綺麗な髪だなと思いながら眺めていたのだった。