あなたは家にガソリンを撒いて、一息吐いたところです。
何故そんなことをしたのかというと、目的はずばり、無理心中です。
あなたには結婚したパートナーがいます。その間に子どももいました。ところが、最近子どもが忽然といなくなり、近所であらぬ噂が立ち始めたのです。
「あの子、いつも怪我してたわよね。もしかして虐待かしら」
「私はベランダに締め出されているところを見たわ」
「食事はちゃんと食べていたのかしら。あんなに痩せ細って……」
「まさか、親の虐待に耐え兼ねて逃げたとか」
「逃げただけならまだましよ。どこかで身を投げたのかもしれないわ」
「そんな! かわいそうに……」
「それにしても酷い親ね。たった一人の子どもでしょうに、そこまで追い込むなんて」
などというもので、近所の奥様方の井戸端会議では持ちきりです。当然、こんな噂が出たからには、あなたもパートナーも遠巻きにされて、次第に孤立していきました。
それでも、二人で一緒に乗り越えていけばいいとあなたは思っていました。けれど、パートナーは違ったのです。
「そもそも結婚したのが間違いだったんだ。子どもができたからって責任取って結婚なんて、考え方が古い。もっと色々、やり方があったはずだ。今の時代……」
「どんなやり方があったと!? それにやっと二人になれたのに……」
そんな感じで揉めに揉めて、あなたは遂に離婚届を突き出されてしまいました。
当然といえば当然なのかもしれません。けれどあなたはパートナーと離れる未来なんて考えられませんでした。何度それを訴えても、パートナーは再構築をするつもりはない、というばかりでした。
やり直すのなら、真っ赤な他人に一度なろう、と。そう言われて、あなたはパートナーの説得が無理であることを悟りました。
あなたの中で張り詰めていた糸がぷつりと切れました。あるいは箍が外れた、とでも言いましょうか。
もう一緒に死ぬしかこの人と最後まで一緒にいる方法はない、という結論に至ったのです。
決行は真夜中。二人の寝室で。
あとは花瓶に射した油にマッチを投じるだけです。
パートナーは眠っています。明日も同じ朝を迎えられると思っているのでしょう。
「あなたにあたたかな朝を」
そう呟いてあなたはマッチを擦り、花瓶に投じました。花瓶からぶわりと炎が吹き出し、あなたはすかさずそれにベッドのシーツをかざしました。よくガソリンを染み込ませたそれは、あなたの腕ごと見事に燃えます。
火傷もちっとも痛くありません。この人と一緒にいられるのなら。
そうして燃え盛るシーツをあなたがパートナーの上にかけた瞬間。
「今宵も始まるミラクルナイト! 曇った夜空にシューティングスター! どうもー、ラジオパーソナリティでっす!」
無理心中の光景には到底似合いそうもないテンションの高い声が、耳をつんざくような大きな声で発されました。振り向くと、あなたのベッドの上にラジオがぽつんと佇んでいます。見覚えのない、古びたラジオです。
ラジオパーソナリティは一人でべらべら喋ります。
「いやぁ、変なテンションのコールだと思ってたけど、やりきってみると意外と爽快なもんだねえ、うん。こういうの、性に合ってるのかな、もしかして」
たーのしー、と滅茶苦茶テンションの高いパーソナリティは一人で盛り上がっています。あなたは正直ドン引きしました。
するとパーソナリティが言います。
「あっれー? もしかしてドン引きしちゃってる感じですかぁ? 家中にガソリン撒いて無理心中しようとしてる人がぁ? ウケるー」
「なっ」
何故一介のラジオパーソナリティにそんなことを言われなければならないのでしょう。あなたは怒りのままに泣き叫びました。
「添い遂げるために共に死ぬことの一体何が悪いというのか!! あの人は話を聞いてくれない。このままでは離れ離れになってしまう。そんなのは嫌だ。だったら終わらせるしかない」
「人生を? すっごい極論。到底一介のラジオパーソナリティには理解できませんな」
「そうでしょうとも! 私とこの人は、死んでも一緒なのだから!」
高らかにあなたが勝ち誇ると、ラジオパーソナリティはからからと笑いました。
「それ、本気で言ってる? 死んでも一緒かどうかなんて、死んでみないとわからないじゃん」
「は?」
その瞬間、あなたの頭上から炎に包まれた柱が落ちてきました。
ほとんどの感覚機能が一気に閉ざされた中、唯一聴覚がパーソナリティの声を拾います。
「ゲストの方々、ありがとうございました! ではまた次回、お会いしましょう。ばいばーい!」
からからとしたパーソナリティの笑い声がずっとずっと響いてあなたの脳に焦げ付きました。