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第3話 四年前

四年前の春、二十五歳になったばかりの俺は、大手ゼネコンの営業部に新卒で入社してきた東谷の教育係を任された。


初めての教育係で緊張していた俺だったが、東谷は教えたことを一度で覚え、新人とは思えないほど自発的に行動し、課題を発見すれば解決する仕事のできる男だった。


そんな優秀な男の教育係を、営業部所属ではあるが、大きな成績も残していない俺に何故任せたのかと初めは疑問だった。


だが、俺の手が塞がっている時に先輩や同僚へ東谷のことを頼むと、東谷が作成していた資料の削除や伝達ミスが発生するなど、東谷が起こすとは考えにくい初歩的なミスが何度も続いたことで俺は状況を理解した。


この会社の人間はアルファばかりのため、いくら有能と言われるアルファも社内ではそれほど能力に差が出ないせいか、少しでも自分より突出するものがある新人は許せないらしい。


(他者を貶めることでしか自分の立場を上げることができないなんて、本当にくだらない……)


「東谷、俺……!」


「いいんです。勇利先輩は気付かないフリをしててください。これは俺の問題なので」


証拠は何もなかったが、ミス自体が東谷を貶めるための嫌がらせだと気付いた時、俺は怒りに任せて抗議しに行こうとすると、東谷に真剣な顔で止められた。


「俺じゃないって信じてくれてありがとうございます。でも、それだけで十分です。大丈夫。絶対あの人たちよりのし上がって、後悔させてやりますから。俺、この会社に入ってやりたいことが見つかったんです。だから、これからも俺のこと見ててください」


そう言われて結局何もできなかった俺をよそに、東谷は研修を終えて独り立ちすると、先輩たちさえ圧倒する営業成績を残し、わずか一年ほどで本社への栄転が決まった。


本社栄転が決まると、まるで手の平を返したように今から本社とのコネを作っておこうと、東谷のことをおもしろく思っていなかった奴らは盛大な送別会を開いた。


「東谷ならやるって信じてたよ」


「東谷ってSNSとかやってる?アルファ限定っていうのがあってさー」


送別会で東谷に群がる奴らを少し離れた場所から見つめていた俺は、あんなに東谷のことを邪険にしていた奴らが態度を急変させたことへの嫌悪感と、その輪に入ることさえできない疎外感を覚えた。


『絶対あの人たちよりのし上がって、後悔させてやりますから』


弱肉強食世界をさらに濃縮させたようなこんな会社で、何もできない俺とは違い、真っ直ぐ前を向いて戦っていこうとしている東谷は羨ましくもあり、カッコイイと思った。


(必死にアルファを装っている俺とは違う……)


平凡顔を際立たせるため、あえて身に着けている黒縁眼鏡。


一度も染めたことのない黒髪と筋肉がつきにくい細身の平均身長で、必死にアルファを装っているだけ。


本当は弱肉強食世界の最下層で社会のお荷物とされるオメガだから、初めからアルファの輪に近づくことさえできないのだ。


(東谷の目には、もう俺のことなんて……)


『俺のこと見ててください』


そう言って、東谷が俺を見つめてきた真剣な目を思い出すと、身体の奥が熱くなる。


(もう、アイツの目に俺が映ることはないだろう……。けど、もし今日が最後なら、あの目に……)


何かが変わって欲しいだとか、本当の自分を見て欲しいと思ったわけじゃない。


三年前のあの日、俺は東谷に、俺だけを見て欲しかったんだ。


この世の中は男女の他にもう一つの性、第二次性が存在する。


第二次性はアルファ、ベータ、オメガの三種類に分かれており、人口の大半はベータで、アルファは総人口の数パーセントしか存在せず、生まれた瞬間から神に選ばれた存在とされていた。


それはアルファがあらゆる能力に長けるものが多く、それ故、世の中の重要なポストである政治家や企業の重役などはアルファが大半を占めていたからだった。


だが、そんな選ばれた存在であるアルファを『ヒート』という激しい発情状態にし、時には凶暴化させてしまう危険なフェロモンを放つのがオメガだった。


オメガは男性であっても妊娠でき、アルファを発情させるフェロモンは月に一度訪れる発情期のみに放たれるが、その時アルファに首元を噛まれると、番と言われる契約が成立される。


番は死ぬまで解消されず、番をもったアルファはヒートを起こさなくなり、オメガのフェロモンも番にのみ有効となり、番であるオメガの首元をアルファはまた噛むことでオメガを自由に発情させることができた。


オメガの発情を抑えるには、発情を迎えて性欲を発散させることで沈静化させるか、発情期抑制剤を服用することが必要だった。


しかし、発情期抑制剤の処方には第二次性がオメガであることを国に申請しなければならず、申請するということは、自分はオメガだと公にするということでもあった。


そのため、オメガだと隠して生活していくのは、この国では不可能に近かった。


オメガは優秀なアルファを誑かす劣等種であるという風潮と、発情期中は働くことができないため、社会のお荷物扱いされ、まともに働くことさえ許されなかった。


この世界は劣等種であるオメガと選ばれた種であるアルファでは、生きる世界が初めから違うのだ。

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