〈虫取りに行ったら「丑の刻参り」撮れました!〉
ミサはTwitterに、哀れな女を晒してやろうという悪意を持って書き込んだ。添付した写真はあっという間に拡散され、一万「いいね」を超ている。
昨夜、京都の某神社の敷地内の山林で遭遇したのは、黒のジャージ姿のラフな格好に長い髪で顔を隠し、クスノキに向かって金槌を振り下ろし、怒り狂う女だった。ミサは意図せず、金槌を振り下ろす瞬間をシャッターに収めた。
肝心の藁人形は死角になって写り込んでいないことがミサには不満ではあるのだが、スマホのシャッター音に女が身じろぎしたのを思い出すとおかしくてたまらなくなるのだ。
ツイートのリプライには本物を疑う声や、返って生々しいと気味悪がる人、誰かに見られたら呪いが成就しないことに女を憐れむ声もあった。ミサは愉快になって女の姿を目撃した夜のことを思い出す。
ミサは一人ではなかったとはいえ、夜の闇に目を凝らすようなまねをしたのは初めてだった。白装束ではないジャージ姿の一般人に、危うく声さえかけそうになった。一日経った今でもカンカンカンと甲高い音が素早く打ち鳴らされるのを、ミサは鮮明に思い出すことができる。鳥肌が立ったのは一瞬で、案外怖くないことに驚いた。
ツイートには詳しい状況を知りたがるウェブニュース記者などがリプライに張り付いていた。ミサは大学の授業中であるにも関わらず、ガッツポーズを決める。人生ではじめてバズるツイートをした達成感があった。一躍有名人になった気分で、先生の声も耳に入らなくなる。
ミサはウェブニュースになったときのために、詳しい状況を追記していく。
〈場所は、京都の有名な神社です。行ったのは昨日、七月二十七日。彼氏と一緒に深夜ニ時半頃に入山して、クヌギやナラの木のウロの中にいるオオクワガタを探してたの。彼は採集した昆虫を売るビジネスをしています。ちなみに昨夜捕まえたのは、これ〉
オオクワガタの写真も添付する。ミサは彼氏の秋人が有名になれるのならと興奮してTwitterに打ち込んだ。三十ミリのクワガタの写真は、ミサの思惑に反してあまり拡散されなかった。オオクワガタのメスなら五十ミリはないと大型とは認められないからだ。ミサもそのことは知っていたが、少しでも秋人の手柄を拡散したかったのだ。「いいね」がつかない(ついたのはたったの五)なのでむしゃくしゃしたミサは、丑の刻参りツイートに自らリプライを繋げていく。
丑の刻参りをしていた女性を醜く晒すほど、恩恵が得られるような錯覚に陥ってくる。何故なら、拡散されるということは自分の行いを肯定してくれること。そんな気がしていたのだ。
〈あれって、怖くないですよね? 幽霊じゃないから身体ははっきり見えるし。やってる人頭おかしいのかなぁ。やってて恥ずかしくないのかなって、彼と一緒に吹き出しちゃって。釘を打つときの音がカンカンカンカンって激しくて、お祭りかよってなって余計に笑いが止まらなくなっちゃって〉
自分で文章を打ち込んでいて、お祭りという語に我ながら感心するミサ。大学のレポートでは上手く文を紡げないのに、こういうツイートのお祭り騒ぎのようなムードがあれば饒舌に表現できる。ツイートが人々の目に触れる喜びを噛みしめて、ノートをとる手は完全に止まった。ミサの視野はスマホ画面上へどんどん吸い込まれていく。ここが、世界の中心になるような高揚感をひたひたと感じている。
ミサは元々丑の刻参りをする人間が理解できないでいた。深夜に入山してわざわざ誰かを呪おうなんて、馬鹿げているとしか思えなかった。本当に憎い相手がいるのなら、包丁を持ってその人を殺す方がやりがいがあるのにと考えた。
何にせよ、ミサは四つ葉のクローバーを見つけたときのようなささやかな僥倖を得たのだ。それは、別に丑の刻参りでなくても何でも良かったのだが、丑の刻参りをするような人間ならば、ネットを通じて世界中に晒しても叩いても構わないと単純に考えていた。
授業が終業となるやいなや、ミサはこのはじめてバズったツイートを恋人の秋人にダイレクトメールするため、中庭に向かった。途中ニヤニヤして変な子だと思われないために急ぐ必要がある。
中庭に着くとベンチに腰掛け、バズったツイートのリプライを再確認すると、「いいね」は二万にまで膨れ上がっており、リプ数は千を超えて全員に返事を送ることは困難な状況だった。
〈顔がはっきり写ってないようですが、どのような表情をしていたか分かりますか?〉
特に重要だと思ったリプライに返事を打とうとして、リプライを飛ばしてきた人のアイコンを凝視する。
貞子みたいに長い髪の人だった。顔は髪に隠れて見えない。昨日の丑の刻参りをしていた張本人のようで、さすがにミサは鼻で笑った。
〈顔は見えなかったかなー。でも、鬼みたいでしたよ。人間ってあんなしわくちゃに顔を潰せるんだね?〉
ミサは面白半分に書いた。顔なんか見ていやしなかった。重要なのは事実ではない。バズり続けることだった。
秋人にバズツイートをコピペすると、一分と待たずに返事が来た。
〈マジで?〉
秋人のありきたりな驚きっぷりでは満足できないミサは、すぐさまスカイプで連絡を取る。彼は虫取りをしているとき以外はたいてい家にいる。
「ねえ秋人。すごくない? あの女の写真貼ったら万バズ。チョーうける」
「へー、バズってんな。丑の刻参りすげーなー」
秋人の声はあまり抑揚がないので、ミサはすぐに察した。二人で採集したオオクワガタが小さすぎて売りに出すことができないのだろう。
「一応オオクワガタの画像も貼ったのよ? 気を落とさないでよ。またオオクワガタ採りに行こう? あの女もまた来ないかな。今度はちゃんと藁人形も写るように撮れば、心霊番組に三万円ぐらいで売れそう」
ミサは邪な気持ちをつらつらと述べたが、それに対するスマホ越しの秋人の声は、苦笑いが混じっている。
「いいよ。今夜も採りに行くつもりだった。あれじゃあオスとセット売りでも一万円以下の価格しかつけられないからな」
ミサは今夜も神社に行く約束を取り付けるなり、秋人の太い腕や大木のような首周りを思い描いてスマホに眠る過去の画像を漁る。
付き合ってまだ一ヶ月そこらだが、画像アルバムには優に百枚もの秋人と過ごした毎日の写真が保存されている。クワガタを手のひらに乗せたツーショットを撮ったときは、ミサの付け爪と皮膚の間にクワガタが足のツメを乗せて痛かった。秋人に引き剥がしてもらってミサは怒鳴ったりしたものの、写真の中ではすっかり笑顔になっていた。
ほかに、はじめて秋人の家に上がったときに撮った写真は二人とも変顔で写っている。チューハイとビールで酔って赤ら顔になっていたので、危うくミサはスマホに吹き出しそうになった。
それから更に画像を遡ると、突然別の男とのツーショットに切り替わる。ミサは深くため息をついて、それらを一枚一枚確認してゴミ箱へと消去していく。
スマホを買い替える度にグーグルが自動バックアップを取るから、機種変更で画像を復元する度に必ずついてくる画像だ。一年前に付き合っていた痩躯の男、ハヤトとの写真だった。ミサは今なお、ハヤトのいいところを思い出し兼ねる。
ハヤトはミサの隣に正座こそしないが及び腰で座敷に腰掛け、ミサは大口を開けてハヤトの小さな口にビールを飲ませようと躍起になっている。そんな一枚にミサは目を留めると、ハヤトは大人しくて女々しい奴だったと思い出す。切りそろえられた前髪の間から上目遣いの困惑した目が覗いているのを見ると、ミサには言いようのない嫌悪感が背筋を走る。
出会いは、ミサが一回生のときに参加した卓球同好会の他大学との交流戦のときだ。女子学生と男子学生が遊び半分で男女混合戦を催したときに知り合った。ミサはもう、ハヤトの所属していた他大学の校名すら忘れている。
ハヤトは人一倍卓球が上手かった。イケメンというわけでもなかったけれど、その才能にミサは惹かれたと自覚していた。だけど、ハヤトは男子学生から、狭い肩幅や丸みのある顔を馬鹿にされていたので、そんな彼に同情と母性愛みたいなものも感じていたのかもしれないと、今になって気づいた。
夜になり、秋人がミサの自宅まで車で向かいに来た。これから二人は県を跨ぎ、車で三時間かけて京都まで赴く。
途中のパーキングエリアでミサは秋人と車中で抱き合った。夏場の薄着が自然とお互いをそういうムードにさせたのだろう。ミサは、秋人の筋骨隆々とした上腕二頭筋に長い髪ごと抱き寄せられることに、愉悦を覚えた。まだ夜の十一時なので駐車場には人がちらほらいる。
秋人はクワガタを捕らえるためのライトトラップ用の布を車内の窓に取り付けた。外から見られない二人だけの空間ができたことで、ミサは歓喜する。秋人の大きな口に吸い寄せられるように、唇を重ねて秋人のどっしりとした頭を抱え込む。
秋人はミサのジーパンの股の間に手を滑り込ませてミサが自らジッパーを下ろすのを促した。
途中の小休止のつもりが、秋人がクワガタのオスよろしく太い腕でミサを手放さなかったために、すっかり二人してイッてしまった。
なので、某神社に入山したころには二人は夢見心地で夜の闇もものともしなかった。秋人に至っては、チノパンから再び男性器がそそり立っていた。懐中電灯を手にミサは彼のあそこを照らして笑い転げる。
「もう! やめてよ、秋人! 一日一回じゃ満足できないわけ?」
「クワガタの交尾に季節なんか関係ないからな」
「もう、ふざけないでよ。メスは何度も交尾すると早く死んじゃうんだから」
自分たちをクワガタに例えてミサは爆笑した。ミサがクワガタであるならばとっくに寿命が縮んで死んでいることだろう。
秋人の前にもハヤトと乱雑な性交をしたことがある。ハヤトはインポで、そのくせ早漏で、ミサをイライラさせた。それどころか、ミサはハヤトの筆おろしをしたのだ。ミサの家に招いたのが失敗だったとミサは今でも後悔している。
服を脱いだハヤトの身体は女のように華奢で、卓球をやっているとはいえ、足ぐらいしか肉付きの良い筋肉はなかった。ミサよりも細く、肋は浮き出ており、凹んだ腹がミサをがっかりさせた。
そのくせ生意気にボクサーパンツはカウパーで湿っていたことがミサにはたまらなく許せなかった。この人は私のタイミングに合わせることができないとミサは失望した。
「私より先にイクつもりじゃないでしょうね!」
案の定、ハヤトはミサのクリトリスを愛でる前に勝手に一人でイッてしまった。
ハヤトはミサに近づきたいと己を恥じていた。ミサには耐え難い屈辱だった。どこまでも自分勝手な男だと思った。ハヤトは一人でイキながらミサの髪に手を伸ばしてきた。その手は乳白色に汚れている。
「僕はミサが好きだ。その黒髪が好きだ。僕にも分けて欲しいぐらい好きだ。ミサは僕に人を愛することを教えてくれた。愛してるよ。ミサにもっと、もっと近づきたい」
「ふざけないで! あんたなんかと寝た私が馬鹿だったわ! 二度と来ないで!」
ハヤトはそのとき今まで見たことのないような鬼の形相をした。ミサは怖くなって、ハヤトを追い出した。それから一年、音信不通だ。
ミサはハヤトの言葉を反芻するだけで嫌気が差してきた。秋人の勃起したそれをチノパンの上から撫でて、早くクワガタを採集して楽しみましょうと促した。
そうは言ったものの、自分のツイートが気になるミサは二万いいねからちっとも進展のないバズツイートにがっかりした。二万いいねが簡単に達成できたので十万いいねも夢じゃないと思ったのだ。ろくに返信していないのにリプライだけは増えている。まだあの貞子のようなアイコンの人が張り付いていたのでミサは、いい加減テレビ局から取材が来ないかなと苛立つ。
〈丑の刻参りをした人が女だとどうして思うんですか?〉
貞子のようなアイコンの女の変な質問に呆れてしまって、返事も書かず開いたばかりのTwitterを閉じた。丑の刻参りは白装束の女がするものだと決まっている。
カンカンカンッ……!
工事現場で鳴ってもおかしくない高音が甲高く山林を突き抜ける。
「秋人、今日もいるみたいよ」
近所に変人が出たぐらいののほほんとした声でミサは言った。
「待ってくれよ。せめて、ライトトラップを仕掛けるまで待ってくれよ」
秋人の方が慌てていた。ミサもつられて、スマホに収めるためにカメラを起動する。
「急がないと帰っちゃうわ。逃しはしないんだから」
クワガタを採るより、丑の刻参りをする女を撮ることのほうがミサには大事だった。
音が近い。山道を逸れて獣道に入り込む。秋人が不安定な坂道に転びそうになる。ミサは秋人を叱咤し、音のする木の元へ足早に進む。
ミサは釘を打つ音が繰り出される木を見つけ、例のジャージ姿の女を目撃する。
「待って、あのジャージって」
最初見たときは驚きでじっくり見ることができなかったが、今落ち着いてみると見覚えのあるデザインだった。ミサは鳥肌が立つのを感じた――。ミサは状況をつかめない。いや、信じたくなかった。あれは、間違いなく女のはずだった。
「ミサ、どうした。や、やっぱり、やめといたほうがよくないか。向こうに気づかれる!」
髪の長い女がミサと秋人を視界に捉えた。どこか上の空で、ハミングでもしそうな雰囲気の微笑を讃え、うわ言を繰り返している。許さない、許さないと。
カンカンカン!
ミサは悲鳴を上げる。藁人形を打つ女の容姿はミサにそっくりだったのだ! 長い髪はミサの髪色とよく似ており、毛の一本一本の跳ね方まで酷似しているように思えて来た。
しかし、その女と目が合い、空虚な眼差しに吸い寄せられるように魅入られたミサは……美人とは言えないその女の正体になんとなく気づいてしまった。いや、今まで気づくことができなかったというべきか。
長い髪の女は、長い髪の男だったのかもしれない!
秋人が手を引く。ミサは動揺を抑えきれず、Twitterを開く。バズったツイートのリプライ欄にあいつがいることを確信した。丑の刻参りをするのは女だけだと決めつけていたのが間違いだった!
ミサは怖気づいてTwitterに救いを求める。貞子髪の女のリプライに目を留めた。
〈丑の刻参りをするのは女だけだと決めつけないで下さい〉
貞子のような髪のアイコンの女は……男に見えなくもない。この貞子のような男は、今ミサの目の前で釘を激しく打ち付けている長髪の男だった!
〈僕はあなたを許しません。僕を捨てたあなたを許しません。すぐに別の男のフェロモンに吸い寄せられる虫のように飛んでいくあなたを許しません。惨めな僕の丑の刻参りを拡散したあなたを許しません〉
丑の刻参りが拡散したことで、男はTwitterに現れたのだ。そして、拡散したのが誰であるかも、おそらくは見当がついている……。
〈人に見られてはいけない儀式を、あろうことか拡散したあなたを呪い続けます。今夜も釘を打ちに行きます。もし、それが女に見えたのなら、それは……続く〉
ミサは続きを読んで愕然とする。
カン……。
釘を打つ音が止んだ。丑の刻参りをしている長髪の男が釘を打ち終え、金槌を手にかざして歩んでくる。
ミサは秋人の手を引いて慌てて後ずさる。スマホを取り落とした。その拍子に、指が画面に触れてハヤトとのツーショット写真が映し出される。
「やだ、嘘でしょ!」
はじめて卓球同好会で出会った二人の写真。二人とも黒のジャージ姿だった。
〈続き……ミサに近づきたい思いが僕の姿をミサに変えたんです。ミサ、丑の刻は、人が鬼に変わる時間のことだよ。僕は、僕にとっては鬼だったミサに変わるよ〉