「いやー……ホントに別人にしか見えなかったですよ。品田さんも豊岡さんも全然気づいていなかったですし」
景隆は豚肉と湯葉のアスパラ巻を食べつつ、感心しながら言った。
マンスリーマンションの一室では、エンプロビジョン買収の関係者を集めた慰労会が行われていた。
景隆は個室がある飲食店を探すつもりであったが、神代のたっての希望で、この場での開催となった。
神代はめがねを外し、髪をおろしており、変装を解いている。
(まさか……長町さんの対抗意識ではない……よな……?)
「石動さん、大事な商談の場で梨々花を使ってもらってありがとうございます」
橘は丁寧にお礼を言った。
橘は「サクサクで美味しいですね」と言いながら、れんこんのはさみ揚げを食べている。
神代は、映画『ユニコーン』の役作りの一環として、
映画で買収を仕掛けるシーンがあり、今日の交渉の場はうってつけだった。
特に、作中の神代が演じる的場が若いことで、交渉相手に舐められるシーンがあり、これが再現できたことを神代は喜んでいた。
(役作りに妥協しないって聞いてたけど、そこまでだったか……)
神代を同行させる対価として、橘は霧島プロダクション専属の公認会計士である吉野をアドバイザーとして付けた。
神代は吉野からのアドバイスをすべて頭に叩き込んでおり、そのうえで交渉に臨んでいた。
景隆は吉野も誘っていたが、仕事の都合上参加できないとのことだった。
柊によると、吉野は霧島プロダクションとMoGeとの資本提携の場にも参加していたようだ。
「こちらこそ、神代さんがいてくれてすごく助かりました」
景隆は買収交渉の場での経緯を語った。
「――ほとんど梨花さんがやっていたんじゃないか……石動は仕事したのか?」
柊は鯛の兜煮をつっつきながら、ジト目で言った。
柊はアクシススタッフの社員であるため、さすがにその場には同行できなかった。
神代を石動に任せるのに不安もあったようだ。
「ふふ、大丈夫だよ」
神代は上機嫌に言った。
神代は「ホント、柊さんはなんでもできるよねー」と言いながら、あんきもポン酢を食べて日本酒をあおっている。
柊が作ったメニューは、和食を好む神代に合わせている。
「――それで、デバフって……?」
「エンプロビジョンで一番稼いでいる人を引き抜いたんだ」
「うわっ……えぐっ! ……それで品田さんが手のひらを返してきたのかぁ」
景隆は柊の手口にドン引きしていた。
柊が引き抜いた人物は下山を指しており、彼はエンプロビジョンでは稼ぎ頭であった。
エンプロビジョンの事業規模は小さいため、下山一人の影響は甚大だ。
稼ぎ頭を失った今、品田は事業を売却したほうが得だと判断したのだろう。
「もちろん、下山さんにとって悪い話じゃないぞ。
あのままアクシススタッフにいたら、間違いなく不幸になる」
柊は以前より給与が増えることと、柔軟な勤務形態により、彼の配偶者を支えやすくなったことを話した。
「うわー、三田さんって人も相当だね……」
神代は三田の傲慢な態度に立腹していた。
「俺もこれ以上三田さんのところにいるのは嫌なので、そろそろかな……」
「おや? いよいよですか?」
橘は柊の去就に関心を持っているようだ。
神代に関しては言わずもがなだ。
「今の会社なら、柊にばばーんと給料払えるからな!」
景隆は胸を張った。
「MoGeの株が売れるようになって、手元の資金に余裕ができたんだ」
柊は「ん?」と首を傾げる神代に説明した。
「これもお二人のおかげです!」
景隆は心から礼を言った。
霧島プロダクションとの資本提携がなければ、上場すらままならなかった可能性もあった。
MoGeの株価上昇には長町の貢献もあったが、景隆にこの場でそれを言う勇気はなかった。
「――ええぇっ! そんなに!?」
柊からMoGeの株価の上昇率を聞いた神代はしこたま驚いていた。
翔動が保有しているMoGeの株式は、エンプロビジョンを買収資金に当てる分だけ売却している。
「これでようやく、会社のオフィスを構えることができます。賃貸ですが」
景隆はしみじみと言った。
翔動の登記上の住所は、景隆が住んでいるアパートの一室で、執務は貸会議室や今のようなマンスリーマンションを借りて行っていた。
***
『あの……橘さん。ここに来るのは初めてですが、ここがなくなるのは寂しいですね』
神代にとっては、この場が非常に居心地の良い空間だった。
『そうね、私もそう思うわ』
橘も神代に同意した。
***
「――それと、ようやく弊社も映画のスポンサーになります!」
「そもそも、お前の思いつきのせいで、こんなに目まぐるしい展開になったんだよなぁ……」
柊はヤレヤレといった顔で言った。
元々はMoGe株の売却益から、映画の製作協賛金を得る目的だった。
「ふふふ、よかったですね」
橘の声は優しかった。
(俺がこんなに積極的に行動するようになったのは橘さんの影響なんだよな……)
景隆の決断は、橘がきっかけとも言える。
「ということは、ユニケーションとユニコーンのコラボが実現するんですね!」
神代はワクワクとした表情で言った。
「そうですね、どんなコラボレーションをさせてもらえるかは山本さんとの相談になると思いますが」
山本は映画のプロデューサーだ。
「あの……提案ですが、私が的場の格好をして、講師を演じるコンテンツを提供するのはどうでしょうか?」
『的場』は神代が演じる映画の主役だ。
「「えええぇっ!?」」