「え? 下山くん、また休むの?!」
アストラルテレコムのオフィスで、三田は忌々しげに言った。
その表情には不快感を隠そうともしなかった。
三田はアクシススタッフの主任で、翔太と同様にアストラルテレコムに出向している。
出向先であるアストラルテレコムの現場責任者だ。
アクシススタッフから、アストラルテレコムに派遣されている人員は三田の管理下にあり、部署が違う翔太も彼の管理下におかれている。
「はい、妻の入院が急に決まりまして……妻は私が付き添わないと移動すらままならない状況です」
下山は申し訳なさそうに答えた。
下山は人材派遣会社、エンプロビジョンの派遣社員だ。
アストラルテレコムにとっては、アクシススタッフの社員から派遣されていることになっている――所謂、二重派遣だ。
この時代では、派遣先企業が受け入れた派遣労働者を、さらに別の企業に再派遣することが禁止されていない。
アクシススタッフは複数の人材派遣会社を子会社として保有し、安価に人材を調達して派遣している。
エンプロビジョンは、その子会社の中の一つだ。
アクシススタッフからアストラルテレコムに派遣される人員は非常に少ない。
これは、アストラルテレコムが高いスキルの人材を要求しているためだ。
これだけでも下山が優秀な人材であることが伺える。
下山と部署が違う翔太も下山の仕事ぶりを高く評価していた。
「本当に困るんだよね、何とかならない?」
三田はさらに圧力をかけた。
アクシススタッフは出勤率を異常に重視する企業で、派遣先への出勤状況が三田の評価に直結する。
アクシススタッフのほとんどの社員は、労働基準法で定められた有給休暇を取ることすら困難だ。
子会社であるエンプロビジョンの従業員も例外ではない。
三田は翔太が入院して休んだ時にも嫌味を言っていたが、子会社の人員である下山には、より高圧的な態度で接していた。
***
「参ったなぁ……」
下山は思わず独りごち、途方に暮れた。
なんとか三田を説得し、妻の入院日には一日だけの休みを獲得したものの、三田の様子からはこれ以上休みを取るのが非常に困難であることが容易に想像できた。
下山はこれから予定される手術日には妻に付き添ってあげたかったが、三田がこれを許可するのは絶望的に思えた。
エンプロビジョンを辞めてほかの企業に就職することも検討したが、妻の入院費をすぐに工面することを考慮すると、現実的な選択肢には思えなかった。
就職氷河期であるこの時代、一般的に労働者にとって転職はリスクが高い選択肢だった。
これは下山にとっても例外ではなく、加えて、彼は自身の能力を過小評価していた。
「下山さん、ちょっといいですか?」
下山は翔太に、人気のない休憩室に呼び出された。
部署が違うため、翔太と下山はたまに会話する程度だ。
下山は翔太より年下だが、彼は翔太のことをかなり優秀な人材だと評価していた。
この評価は、アストラルテレコムの社員から漏れ聞こえてくる評判も後押ししている。
加えて、三田のような高圧的な態度ではなく、紳士的に接してくることにも好感を持っていた。
「――それで、柊さん、どのようなご要件でしょうか?」
下山は三田に目をつけられてしまっているため、手短に話を終わらせて仕事に戻りたかった。
翔太も三田と同様にアストラルテレコムの社員であるため、言葉遣いや態度に注意しながら促した。
「単刀直入に言います。下山さん、今よりも良い条件で働きませんか?」
「……は?」