「ロックアップがあってよかったよー」
景隆はしみじみと言った。
ロックアップとは上場日から一定期間株式を売却できない規制だ。
これは上場後の需給を安定させることが目的であり、既存の大株主が上場直後に大量に売却をして暴落する事態を防げる。
翔動が保有しているMoGeの株式は、ロックアップが解除されるまで売却できない。
「もしかして、直ぐに売りたかったのか?」
「ソ……ソンナコトハナイデスヨ」
実は景隆の心中は揺れに揺れていた。
IPO銘柄の株価は上場初日をピークに下げてしまう展開がよくあるためだ。
MoGeは霧島プロダクションとの資本提携を正式に発表した。
この発表がさまざまな憶測を呼び起こし、MoGeの株価はさらに上昇していた。
これを機に、株式情報サイトのMoGeの掲示板では書き込みが急増した。
『神代がゲームのCMに出演する』や『Pawsのゲームが発売される』などの憶測が書き込まれ、未だ発表されていない新作ゲームに対する予想や期待が渦巻いていた。
中には『長町がMoGeの新作ゲームに出演する』という正解を引き当てた書き込みもあった。
「まだ新作ゲームの発表が控えているからな」
「わかっているよ……そのための
釘を刺された景隆は落ち着きを取り戻した。
(売れない株の株価に一喜一憂しても意味がないからな……)
MoGeの新作ゲーム発表日は景隆も知らされており、それに合わせて仕込みをしていた。
***
「新田さん、ユニットテストが終わったッス。全然問題ないッス」
翔動が事務所用に借りているマンスリーマンションの一室で、竹野が新田に報告をしていた。
竹野は大学卒業後、フリーターとしてアルバイトを転々としていたが、現在は人材派遣会社エンプロビジョンの派遣社員である。
彼は明るい茶髪にピアスをつけ、派手な柄のシャツに細身のジーンズを合わせていた。
翔動では服装に関する規定がないため、竹野の装いが問題視されることはなかった。
(そういえば、新田も最初は雑な格好をしていたって言ってたけど、ホントかな……?)
柊によると、初対面のときの新田はラフな格好で、化粧もほとんどしていなかったらしい。
景隆が知っている新田とは大違いだ。
「じゃ、次はベータテスト環境のデプロイをやっといて」
「おーけぇッス」
竹野は新田のそっけない指示に対して軽快に応答し、仕事をこなしていく。
当初、竹野には位置情報APIの仕事のみを与えていた。
しかし、思いの外優秀であったことから、新田によってどんどん仕事が与えられ、それに連れてスキルも向上した。
(仕事はできるのに、見た目と言葉遣いで評価を下げられてしまったんだろうな……もったいない)
竹野のような人物が大手企業に受け入れられることは難しいだろう。
景隆は竹野のような人材こそが、今の翔動には相応しいと感じていた。
人材の選考には柊や新田も関わっていたが、二人は竹野の技術力や仕事ぶりを評価し、翔動への採用が決まった。
「いゃー、竹野くんが来てくれて本当に助かるよ」
「え? マジッスか?!」
景隆の正直な感想に、竹野は素直に反応した。
「最初からちゃんとした会社に入っていれば、もっと稼げたのに……もったいない」
新田は遠回しに褒めていたが、竹野には伝わっているようだ。
彼女にとっては技術的な課題を解決することが最優先であり、見た目に関してはどうでもいいスタンスだ。
「自分、こんななりッスからねぇ。ここはどんな服装でもいいから最高ッスよ!」
竹野にとっては金額的な報酬よりも、自分を許容してくれる環境のほうが重要らしい。
「コンピューターに詳しかったから、IT業界に就職していてもおかしくはないのに、興味なかったの?」
柊は以前から疑問に思っていたことを口にした。
「大学では楽しくやってたッスが……就職活動では勘定系とかお堅いところばっかだったんで……自分には無理って思いました」
「あぁ、なるほど」
翔動では常勤で勤務している社員がいないため、勤務時間に制約はなく、与えられた職務さえこなせば問題はない。
「なので、翔動さんの職場環境は自分にとって天国ッス。柊さんも新田さんもすごい人ですし」
景隆は竹野がほかの企業に魅力を感じて転職されることを懸念していたが、今のところその心配はなさそうだ。
「あー……竹野くん」
それでも景隆はダメ押しをすることにしていた。
「はい?」
景隆が改まった表情になってことで竹野は身構えた。
「来月から給料上げるから、今後ともよろしく」
「ええええっーーー!」