「この公募価格は柊の想定内なのか?」
「いゃ、俺が記憶している初値よりも高いな」
初値とは、株式の上場時に初めて付く価格である。
相場環境が悪くなければ、初値は公募価格を上回ることが多い。
「なんで公募価格が上がっているんだ?」
「おそらく、主幹事証券会社がアストラルテレコムの出資を評価したんだと思う」
「それが株価にとってポジティブな要因になったってことか?」
「んー、一般的に第三者割当増資ってのは、株式が希薄化するので、既存株主にとってはネガティブなんだよ」
「じゃあ、なんで評価された?」
「MoGeは未上場企業だから、そもそも既存株主が少ないんだよ。
むしろ、増資によって資金繰りがよくなって、ゲーム開発の予算が増えることがポジティブな要因になったんじゃないかな……
IPO銘柄は成長力が重視されるから、将来的な期待が高くなったのではないかと」
「なるほどなー……こりゃ初値が楽しみだな」
「新作ゲームの発表も控えているし、長町さんが出演するだけで投資家の期待も高くなるんじゃないか?」
柊の話を聞く限りだと、MoGeに投資した資金はまだ増える余地がありそうだ。
「その長町さんなんだが――」
景隆の前フリに、柊は「ん?」と首を傾げた。
「大河原がオーディションを勝ち抜くためには、何ができると思う?」
「彼女にがんばってもらうしかないんじゃないか? オーディションは公正に行われるだろうし」
「そうなんだけど、キャラクター原案のイメージに合う声優が選ばれるだろ?」
「あぁ、そうだな。そのキャラクターに近づけるような特訓でもするのか?」
柊は景隆が言わんとしていることが理解できなかった。
「ポイントは長町さんの妹ってことなんだ」
正確には『長町が演じるキャラの妹キャラ』であるが、景隆は端折って言った。
「うん、そこまでは理解できた」
「要は長町さんと息を合わせるってことが重要なんだよ!」
「まさかと思うが……」
柊は嫌な予感がしたのか、顔をしかめた。
「柊のツテで、大河原を長町さんに会わせてくれ」
「はぁーーーーー」
柊は昔ながらの塩気が強い梅干しを大量に口に入れたような渋い顔をした。
「お前がそこまで露骨に嫌がるのは珍しいな」
「まぁな」
「今回のオーディションはキリプロの新人か、候補生だけなんだ。
彼女らにとって長町さんは雲の上の存在だから、長町さんと面識があるだけで優位に立てると思うんだ」
「いゃ、そこはわかっている」
「そもそもMoGeのゲームに、彼女が出演できたのは柊が何かやったからだろ?」
「そこまでこぎつけるには、いろいろあったんだよ……」
よほど大変だったのか、柊の表情は疲れていた。
「これが梨花さんなら話は簡単なんだよ。
「神代さんは柊のためなら、大抵のことはやってくれそうだからな」
「長町さんの場合は話が別だ。お願いするなら何らかの対価が必要だ」
「単なるお願いでは聞いてくれないってことだな」
『頼めば聞いてくれるんだろうけど、そうなると……』
柊はブツブツ言いながら苦悩していた。何かトラウマがあるのだろうか。
「対価かぁ……俺は長町さんのことを一切知らないからヒントがほしいな。長町さんの性格を教えてくれないか?」
「一言で言うと『承認欲求モンスター』だ」
「いきなり強いワードが出てきたな!」
「彼女はいい意味でも悪い意味でも貪欲なんだ。自分の知名度を上げるためなら、何でもやる」
「ものすごい有名人じゃないのか?」
「そうなんだけど、一番じゃないとダメなんだよ……負けず嫌いとも言える」
景隆はしばし考え込んだ後にこう言った。
「――ちょっと待て、その負けず嫌いは使えるんじゃないか?」
「どういうことだ?」
「大河原って、プロを目指した途端に結果を出しつつあるだろ?
これって長町さんにとって脅威じゃないか?」
「確かに……自分より上の存在は常に意識してるだろうけど、下から急激に追い上げてくる存在は無視できないだろうな」
「長町さんは今でこそ抜群の知名度だけど、デビュー前はそれほどでもなかったと思うんだ」
「同じ時間軸でそろえたら、大河原さんのほうがリードしているかもな……確かに気になる存在にはなりそうだ」
「そうだろ、そうだろ」
景隆はドヤ顔で言った。
「でも、大河原さんの存在を知ったら、潰してくる可能性もあるぞ」
「え!? そんな人なの!?」
「あくまでも可能性の話だ……なので、長町さんにとって大河原さんが利用価値があると思わせる方向に持っていったほうがいい」
「確かにそうだな……そうなると――」
景隆と柊による悪巧みが始まった。