「ただいまより、デルタファイブサミットを開催いたします――」
デルタファイブサミットの会場では、大河原のアナウンスが流れた途端に、来場者のざわつきがピタリと止まった。
それほどまでに大河原の声はよく通り、来場者の注意を引きつけるには十分だった。
続けて、注意事項がアナウンスされており、来場者はその声に耳を傾けていた。
多くのイベントでは会場の注意は聞き流されることが多いが、大河原の心地よい声色が聴衆を惹きつけていた。
***
「ふぃー、大河原はうまくやってるかな……」
デルタファイブのオフィスで仕事を終えた景隆は、大河原のことが心配になり、イベント会場へ足を運んだ。
残るは似鳥による閉会のあいさつのみであったが、その前に、大河原の無双時間が始まっていた。
「落とし物のご連絡です――」
いつの間にか、来場者は大河原のアナウンスに耳を傾けるように訓練されていた。
会場のざわつきがピタリと静まり返った。
途中で参加した景隆は何がなんだかわからず、混乱している。
「おしゃれな皮製のペンケースが届いています。
ただのペンケースではありません。
キャメルブラウンの美しい色合いと使い込むほどに味わいが増すヌメ革の魅力に加えて――
ロゴの可愛いねこちゃんが、ご主人様のお帰りを今か今かと待ちわびています。
ねこちゃんが寂しがっているので、ご主人様は今すぐ受付カウンターまでお越しください」
会場内がどっと笑いに包まれた。
お堅いビジネスイベントの会場ではなく、寄席にいるような空気に変わった。
「あーっ! 俺のだ!」
講演を聞くために着席していた男性が立ち上がって言った一言で、周りの注目を集めた。
周りでは「よかったなー」とか「ご主人様、大事にしてあげなよ」など、フレンドリーな反応があり、落とし主と思われる男性は一躍この場でのヒーローになった。
「次に、USBメモリが届いています。
そう、このUSBメモリ、ただのメモリじゃありません。
太陽とともに立つその姿は、次なる時代に息吹を与えています。
見た目だけでなく、中身もきっと大事なデータが詰まっていることでしょう。
特に、セキュリティ担当者や上司に怒られる前に、ぜひお早めに取りに来てください。
黒光りするその存在感は、きっとあなたの大切なデータを守ってくれているはずです」
「げっ! やばっ!」と言って新人と思しき若い男性が駆け出していった。
その様子を見て会場は大いに湧いた。
『太陽とともに立つ』とは、とある企業のロゴを暗喩している。
企業名を伏せたのは、落とし主に配慮したのだろう。
景隆は大河原の機転に驚いた。
「Inspire the Nextかぁ、うまいなー」来場者の一人がつぶやいていた。
(おぃ、ネタバレはやめて差し上げろ)
「Attention, dear customers! We have received a lost item that could be considered a ticket to heaven. Yes, it's the Bible! Perhaps you dropped it because you couldn't bear the weight of your sins. Or maybe you succumbed to the devil's temptation and threw it away? Then again, it might simply have been too heavy to carry around all day. In any case, if this sounds familiar to you, please come to the reception counter immediately. Remember, if you don't read this book, you might not be able to face Saint Peter in heaven!」
大河原の流暢な発音に、今度は会場がどよめくとともに、英語が理解できる来場者から笑いが起こった。
「Oh my God!」
どうやら落とし主がいたようだ。
「My Bible decided to go on an adventure without me. I guess it was looking for some divine inspiration on its own!」
外国人と思われる男性はオーバーなリアクションをしながら、嬉しそうに受付カウンターまで向かった。
「……」
いつの間にか来場者は、次の落とし物を楽しみにするようになっている。
固唾を飲んで待っている姿は、滑稽ですらあった。
「――落とし物のご連絡は以上です」
「はぁー」と来場者が落胆を隠さなかったことに、景隆はおかしくて仕方がなかった。
「最後に、デルタファイブエンタープライズ部門、統括本部長似鳥による閉会のあいさつです」
大河原のナレーションで、聴衆の注目が似鳥に集まった。
「えー……大分会場が温まった中でプレッシャーがかかっていますが、がんばって話します――」
どっと会場が湧いた。
イベントが盛り上がったことで気をよくしたのか、登壇した似鳥の表情も明るく、普段よりも饒舌だった。