「石動さん、芸能事務所とつながりがあるんですって?」
デルタファイブのオフィスで、営業の鶴田が景隆に声をかけてきた。
「え? なんのことですか?」
「またまたー。とぼけちゃってぇ、横須賀の竜野さんから聞きましたよ?」
「げ!」
竜野はアストラルテレコムの研究開発部門の責任者だ。
『横須賀』とはアストラルテレコムのR&Dセンターのことを指し、対して本社は『溜池』と呼ばれることもある。
(柊の名刺か……しまった、口止めしてなかった)
これについては柊の失策であるので、景隆は後で柊に苦情を言うことにした。
「えっと……おそらく霧島プロダクションのことだと思うんですけど――」
「ええっ! キリプロですか!? めちゃくちゃ大手じゃないですか!」
(しまったぁ……そこまではバレてなかったのか……)
これは景隆の自爆だ。
(一勝一敗のタイということにしておこう)
「キリプロさんとはつながりがないこともないのですが、何かご要件があるのですか?」
景隆ははっきりしない言い方になった。
神代などの存在が鷹山に知られると面倒なことになりそうだが、仕事の話となれば別だ。
ちなみに、白鳥の妹が霧島プロダクションの所属タレントであることを二人は知らない。
「今度デルサミがあるじゃないですか?」
「はい、そろそろでしたっけ?」
『デルサミ』とは『デルタファイブサミット』の略称である。
デルタファイブサミットはエンタープライズの顧客を対象にしたイベントだ。
社長や各部門の責任者、業界の著名人らが講演を行ったり、製品やサービスを紹介するブースがある。
さらに、デルタファイブのパートナー企業が協賛しており、多くの来場者が集まる大きなイベントとなる。
「今年は私も実行委員のメンバーにアサインされたんですよ」
「それはお忙しくなりそうですね」
「それでイベントのナレーターを私が手配することになったのですが、プロにお願いできないかと思っています」
「社内の誰かにやってもらう訳にはいかないんですか?」
「それが……みんな忙しいんです……
それに、会場のナレーションが素人っぽいとイベント自体の印象を下げてしまうリスクもあるんです。
うちにとってかなり重要な顧客が来場されるので……たとえば
デルタファイブの一部においても姫路の存在は知られている。
彼女の不興を買ってしまって、悲惨な末路をたどった人間は少なくない。
鶴田のような営業にとっては死活問題だ。
しかし、景隆にとっては思わぬところで、都合のよい話が舞い込んできたことになった。
柊の失策が、むしろファインプレーに変わったかもしれない。
「なるほど、お話はわかりました。声優でよければ心当たりはあるのですが――」
「ホントですか!」
鶴田は藁をも掴むかのように食いついてきた。
「ちなみに、顔出しがあると問題が出るかもしれません、特に司会進行で全面に出るような感じだと難しいです」
「それは大丈夫だと思います。
会場のオペレーションルームが放送室のような扱いになっているので、表に出たり、ファシリテートしてもらう必要はないです。
芸能界の風習については疎いのですが、接触があるとまずいのですか?」
「実はまだ高校生なんです」
「なんと! そういうことですか……その……言いにくいのですが、大丈夫なんですかね?」
景隆は鶴田が言わんとしていることを理解していた。
彼女の声が幼く聴こえた場合に、ビジネスの場面としてふさわしくないと考えているのだろう。
大事なビジネスの大イベントで、社会人経験のない人間に仕事をやらせるリスクも高い。
「今、彼女はビジネス向けの教材に声を当てているんですよ。
したがって、子供っぽい声には聴こえないと思います……ちょっと聴いてみますか?」
「え? 私が聴いて大丈夫なやつなんですか?」
「はい、問題ないです」
現在作成している教材の著作権は翔動にある。
その翔動のトップである景隆がOKを出しているのだから、問題はない。
***
「すごっ!……」
景隆のPCから再生されている、大河原の声を聴いた鶴田は驚いた。
彼女の声は柔らかく穏やかでありながらもどこか力強さが感じられ、絶妙な抑揚が聞き取りやすい上に心地よさを感じさせた。
「多少は大人っぽい声を出すようには指示していますが、もう少し調整できるかもしれません」
教材の音声は主にビジネスパーソン向けだが、学生を含む全年齢を対象としている。
「ぜひ彼女にお願いしたいです!」
鶴田は即決した。