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第17話 1/3653

「クソむずいわね……」

新田はぼやきながらキーボードをタイプしていた。


景隆、柊、新田の三名は貸し会議室で霧島カレッジの作業をしていた。

霧島カレッジとは無事に契約が交わされ、株式会社翔動にとっての初仕事となった。


今日は休日なので、丸一日を作業に当てていた。

この三名は普段は会社員として働いているため、まとまった時間を取れるのは休日だけになる。


新田は霧島カレッジの声優コースで録音された候補生の音声データを分析していた。

音声データの特徴量から、感情表現を評価する仕組みを作っている。

この時代では非常に難しいタスクだが、柊が持っているノウハウを元に新田が実装している。


「これはなんの役に立つんだ?」

景隆はLMSを霧島カレッジで使えるようにカスタマイズ作業をしている。

音声データについては素人だ。


「声優コースの入学希望者が増えているので、送られてきたボイスサンプルをコンピューターで審査できるようにするんだ」

「これまでは人間が審査していたものを効率化するってことか」

「そうなんだけど、これが大変なんだよ……今やってるのは教師あり学習で人手でラベルを付ける作業が必要なんだ」


「ラベル?」

「今扱ってるデータだと、『怒っている声』には『怒り』というラベルを付ける。

つまり、この声は怒っていると判別されるのが正解ですよと機械に学習させるんだ。

こういう学習方法を『教師あり学習』という。

別の音声データが同じ特徴を持っていたら、そのデータも『怒り』ということになる」


「なんとなくわかったような気がする。なにが大変なんだ」

「まず、ラベル付をする必要がある。

この音声データは『怒り』というラベルは人間が付ける必要がある。

つまり、手作業だな」


「ラベル付は誰がやっているんだ?」

「名取さんに依頼しているが、名取さんは勉強という名目で候補生にやらせているらしい」

「声優の卵も大変だな……」


名取は声優コースの講師だ。


「それと、文字列なら『努』や『憤』というような文字が含まれていれば、『怒っている』という判別ができるが、音声データは信号――つまり数値データなので文字のような明確な特徴がないんだよ」

「なるほどなぁ、新田が苦労する訳だ」


「あんたたち、他人事みたいに……」

新田はプログラミングに没頭していたが、断片的に会話を聞いていた。


「しかし、これができると色々と応用できるんだよ」

「たとえば?」

「わかりやすいのだと、自動音声だな。

ロボットのような不自然な声が、自然な声で読み上げられるようになる」


「会話した内容の意味がわかったりするようになるのか?」

「今の技術だと難しいんだが……」


柊が石動景隆だった時代には実現していた技術だ。

柊は景隆に耳打ちした。


『今、新田がやってることも、実現するのは早くても10年後だ』

『え、じゃあ今回の仕事では……』

『霧島さんには長期的な投資と認識してもらってる。俺の知識もあるし、新田なら1年でできるかもしれない』

『霧島さん、顔は怖いけど話の分かるおっさんだな』


霧島カレッジを含め、霧島プロダクションのグループ会社は全て霧島が実質支配している。

柊によると、霧島と橘を納得させることができたら、どうにでもなるらしい。

(社長はともかく、橘さんは……?)

景隆の疑問は尽きなかった。


「ただ、この音声コーパスだけでも大きな資産になりそうだ」

「コーパス?」


「自然言語を構造化して大規模に集積したデータをコーパスと言うんだ。

テキストデータで使われる用語だけど、音声も自然言語だから音声コーパスと言うんだ」

「確かに、テキストデータはネットを探せばいくらでも手に入るけど、音声データは貴重だな」


「しかも、ラベリングされたデータはもっと少ない。

コーパスだけでも大企業が買ってくれる可能性は十分にある。

データの所有者は霧島プロダクションと霧島カレッジだけどな」

「どういう売り方をすればいいかをうちでコンサルティングするのはありそうだな」


「あんたたち、金のことばっかりねー」

新田はあきれるように言った。


「新田の報酬もこうやって稼いでいるんだよ」

「まぁ、それはわかってるけど……できた!」


「え!? うそ!?」「はぁっ!?」

景隆と柊は驚いた。

特に柊は一日出来ることを全く想定していなかったため、景隆とは比較にならないほど驚愕している。


「プロトタイプだけどね。ちょっとしゃべってみて」

新田のPCにはテスト用のマイクが接続されている。


「あー、あー、てすてす」

景隆はマイクに向けて話すと、モニターに表示されたイコライザーの棒グラフが波形を描いている。


「何か怒ってみて。感情を込めてね」

「コラー磯野!!!」

景隆は声を張り上げた。

イコライザーの棒グラフが赤く表示されている。


「怒っていると判別されると赤くなるのよ」

「うそ……だろ……?」


柊の半世紀近くの人生で培った常識は、砂の城が波にさらわれるように一瞬にして崩れ去った。

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