「どうした?」
振り返ると、宗良和尚の息子である
身長187センチ。均整の取れた彫りの深いローマ軍人の胸像を思わす顔立ちの宗高は、緋坂市ではちょっとした有名人だった。
緋坂薬師寺を、通称、緋坂少林寺と言わしめた本人であり、陰口を叩く者は彼を『薬師寺の僧兵』などと呼んでいた。
緋坂市にいた凶悪な暴走族を、学生時代にことごとく討ち果たしたという逸話すら持つ男であり、この話半分にしか聞こえない逸話を彼も否定することはない。
「刑事さんだってさ」
「ずいぶんと
「宗高さんも、そう思う?」
「ああ。なんかこう……昔風に言うなら、
宗高の言葉に、朔也は激しく同意し頷いた。
「宗高さん……。叔父さん、なんで死んだの?」
朔也をちらっと見た宗高は、どうしたものかと言うように天井を見上げた。
朔也が拓朗に再会した時、すでにその遺体は棺に収められた状態で、隣家の薬師寺の一室に安置されていた。
さらに警察からは決して遺体を棺から出さないように、さらに棺を覗き見てもならないと厳命されていた。
なぜ?
遺体となった叔父との再会の時点では、悲しみからその厳命というおかしさには朔也も気づかなかったが、改めて考えなおしてみるとあまりにもおかし過ぎる。
疑問に思っても、拓朗が収まった棺は何も答えてくれない。
「拓朗さんは、何者かに殺された……」
「それは、事件性の変死って聞いたから分かるよ」
「まぁ、聞け。緋坂市は結構大きな都市に見えるが、その大部分は新市街であり、旧市街はそんなに大きな街じゃない。だから、旧家などはほとんど顔見知りだな。公的な機関ともつながり深い」
宗高が唐突に語り始めた緋坂市の話。なぜと思いつつも朔也は大人しく耳を傾けていた。
「そういう意味では、ウチの寺も拓朗さんの家も旧家だから緋坂市じゃ有名な家と言える。だから、交友関係も市内に限っていれば、大体は知れ渡っている」
「そういう意味では田舎っぽさが残ってるね」
「まぁな。そういうつながりだから拓朗さんが亡くなった時、親父に警察から連絡があった。あの人は市内に身寄りがいなかったからな」
「そうだね……」
「親父があわてて飛び出していったんだが、帰ってきた時の顔は、その、
ご先祖様と言われ、一瞬、朔也にはなんのことか分からなかった。もっとも、すぐに宗高が遠回しに
「蒼白ってこと?」
「まぁな」
宗高は手にした数珠をもてあそびながら話を続けた。
「棺を覗くなというのは、親父の提案らしい」
宗高は苦虫をかみつぶした様な顔をして、軍人のように短く刈り込んだ頭をかいた。
「あまりにも酷い死に顔だったから、それには俺も賛成した。こう言っちゃなんだが、あれは
それはどういうことなのだろうか?
そのことを朔也が口にすると、宗高は素直に頷き、そして拓朗の棺が安置されている部屋を見た。
「半ばミイラ化して表情は苦悶に歪んでいた」
「ミイラって……」
「やれやれ。話してしまったか」
ため息混じりの言葉をもらしながら宗良和尚が姿を見せ、宗高をじろりと一睨みしてから朔也に顔を向けた。
「拓朗さんが何に襲われたのかはわからん。ただ、仏様をおかしな話題のネタにしてはならんと思い、棺を開けないようにと考えた」
「せめて、それを話して頂ければ」
「すまんな。君も気が動転していたと思うし、越してきて早々にそんな対面は避けたいと考えたからなのだよ。ゆるしてくれ」
「だが遅かれ早かれ対面せざるを得ないし、さっきみたいに戦時中の特高警察に憧れでも抱いてるような、そんな雰囲気を持ったおかしな刑事が現れて、朔也を尋問しねえとも限らねえ」
宗良和尚は腕組みしてしばらく考え込んだ後、該当する刑事を思い浮かべたのか、ああと頷いた。
「佐久間とか言う刑事かな?」
「そうです」
「特高警察とはな。くっくっく……確かに」
「僕も容疑者だって……」
「馬鹿な!」
住職親子は異口同音の言葉を口にすると、二人は顔を見合わせ、きまり悪そうに頭をかいた。
「でも、あの刑事は僕にそう言い切りましたよ」
「なにトチ狂ってんだか。まあ、俺の知り合いの警官に伝えておいてやるよ。狂犬を野放しにしとくなってな」
「宗高、出すのは口だけにしておけよ」
キツい口調で宗良和尚は息子に言ったが、宗高はすっとぼけた様子で肩を竦めてみせただけだった。
確かに宗高なら、口だけではなく自らの手まで出しかねない。そう考え、朔也はうつむいてほくそ笑んだ。
「にしても、緋坂のオカルト和尚がそうも脅えるっていうのには、正直、俺としては驚きなんだが」
自分の父親を捕まえてオカルト和尚と宗高は言い切ったが、多少の誇張はあれど、心霊やこの地方の妖怪と言ったことを宗良和尚が趣味で調べているというのは、緋坂市の旧市街の住人の間では知らない者などいなかった。
オカルト和尚と薬師寺の僧兵。緋坂薬師寺の住職も副住職も、異名を持つことが普通らしい。
もっとも、そのオカルト和尚だったが故に、隣家の好事家でオカルティストだった淡島拓朗と交遊を持てたのだろう。人付き合いが決していいとは言い難かった拓朗が、薬師寺の住職と家族ぐるみの付き合いなどするはずがなかった。
「曖昧な言い方になるが、拓朗さんはこの世あらざる苦痛を味わったとしか思えない」
「この世あらざるって……」
「大げさかな?」
続く言葉を察されてしまった朔也は困って宗高を見たが、彼も肩を竦めただけだった。
「私も大げさな言葉だと思ったよ。だが、拓朗さんの死に顔を見ると、どんな拷問を受けたらこんな表情になるのかと思ってしまう」
「拷問って、そんなに……酷いんですか?」
すでに和尚の言葉は朔也の想像の限界を超えていた。
「そうだな……」
二人とも、口に出して拓朗との対面を朔也に勧めようとはしない。だけど朔也は二人の顔を見てから頷き、拓朗の棺が安置されている弔事用の広間に向かった。
* * *
拓朗の棺のそばにはメイドの麟が正座して控えており、朔也の姿をみとめると立ち上がってそっと壁際に寄って頭を下げた。
「お疲れでございましたら、お茶でもお持ちいたしますか?」
「いや、あ……どうしようかな……」
本当にどうしようと言う顔をして、朔也は救いを求めるように宗良和尚の顔を見た。
ここで棺を開ければ、当然、麟も拓朗の変わり果てた姿を見ることになる。
「ああ。済まないが、麟さんの分もいれて4人分お茶を煎れてきてくださるかな。流しの脇の戸棚にお茶菓子もあるからそれも忘れずにな」
「かしこまりました」
そう言って麟は再び頭を下げると、足音も立てずに部屋を出て行った。
麟の背中が部屋から完全に見えなくなってから朔也は叔父の棺にゆっくりと近づいた。
本当に覗くべきなのだろうか?
そう問いかけても、相変わらず白木の棺は冷たく無言のままだった。
聞こえるはずのない心臓の鼓動が耳に入ってくる。
朔也は棺の覗き窓に手をかけ、乱れる鼓動を整えるために大きく息を吐いた後、ゆっくりと窓を開けた。
すでにひどい腐敗が始まっているのか、窓の蓋が開かれて棺の中の空気が漏れた瞬間、胃の腑を突くようなムッとする腐敗臭がセルロイドで塞がれているはずの小窓からこぼれ出てきた気がした。
棺の窓から見える拓朗の顔は、朔也が知る叔父のものではなかった。いや、面影がないとは言わない。しかし、穏やかで柔和な叔父の顔はそこにはなく、恐怖に引きつり、歪み、何かを叫ぶ様な表情が刻まれたままの引き攣り、
白濁した眼球が今にもこぼれ落ちんばかりに見開かれたその目は、棺の蓋という隔たりを通して朔也を見据えていた。
皮膚は異様に萎びて茶褐色に変色しており、30代の男性の遺体とは思えない。いや、それ以前に、それは死後数日しかたっていない死体には到底見えなかった。
ミイラ状と宗高が言っていたが、その遺体はまさにその言葉がふさわしかった。いや、きちんと乾燥されたミイラの方がまだマシかもしれない。
朔也は胸からこみ上げてくる悪寒を懸命に抑え、ゆっくりと棺の窓を閉めた。
自分はどんな顔をしているのだろうか? そう思いながら朔也は二人を振り返った。
到底、まともな顔をしてるとは思えない。口元が引きつっているのが朔也にもわかったし、何より心臓の鼓動が脳裏に響くほどに高鳴っている。
そんな朔也の心情を察したか、宗高が腕を上げて指差した。
「洗面所は、あっちだ」
宗高の言葉に頷き、朔也は駆け出した。