窓を開けば、そこは桜色の景色が広がっていた。
僕はそれを眺めて、この季節の余韻に浸る。
季節は春。桜の季節、出会いと別れの季節でもある。今年も大きな出会いと別れがやってくるのだろう。
「この季節がやってきたんだな。別れの季節」
自分に言い聞かせるかのように呟くと、僕は窓の方に腰をかけて外を眺める。
ひらりはらり、舞い落ちる桜の花びらが美しく、春に相応しい色鮮やかな桜色の花びらがゆっくりと重力に抗うように舞い落ちる。
桃源郷と思わせる、美しい街並みの背景を眺めていると、僕はどうしようもなくコーヒーを飲みたくなる。
朝の一杯はコーヒーから始まる。カフェインを摂取することで、良い一日が始まると、世界的ヘアデザイナーの父さんの言葉を思い出す。
コーヒーを求めるために、重い腰を窓から動かせる。
ふと、高校の制服が目につく。
皺一つもなく、綺麗な状態の制服がドアの横のところに飾っていた。入学式の時はこの制服を気に入っていたが、毎日着用していると飽きるものだ。
ともあれ、その制服は二度と着ることはない。
なぜならば、自分はもうすでに高校を卒業してしまった。大人への階段を一歩昇り、これから社会に向かって貢献しなければならない歳になったのだ。
卒業式を迎えたのは昨日の出来こと。
卒業式に参加し、学校に感謝を述べ、僕は友達とお別れを告げた。
まだ、実感は湧かないが、もう自分は卒業生だ。学園のOBになったのだ。幸せな高校生はもう終わった。
胸の中はぽっかりと空洞のような穴を感じる。
「それにしても、もう何もないな」
そう呟くと、僕はこの寝室を見回す。
本棚、机、椅子、そんなどこにでもあるようなものがなかったのだ。
この寝室にあるのはベッドしかない。
なぜ、こんな状態になったからというと、先週、引越し会社に荷物の運びを依頼したからだ。
僕、青木光は高校を卒業した後に自分の夢を追うため、イギリスに移転することが決めた。
遠い国は輸送に時間がかかる。空輸とはいえ、一週間の期間が必要だ。だから、僕は早めに荷物をまとめて引っ越しをした。
この寝室に残っているものといえばさっきまで眠っていたベッドだけだ。
必要なものはもう、飛行機の中にあるのだろう。
「それにしても、海外留学か。イギリスってどんなところなんだろうな?」
僕はイギリスを想像してみる。
日本と同じ島国であり、人の性格も似ているとよく耳にする。
英語の成績は良かったため、現地人と話すのは躊躇はない。むしろ、人と話すが好きであるから、僕からしたら現地人と話すに抵抗感はなかった。
けれど、イギリスに行って問題になるとしたら、料理の問題だと思う。イギリスの料理はまずいと聞く。そこは我慢するしかない。留学と言っても一生イギリスに住むというわけではない。人生の短期間、四年間の我慢で済む話だ。
ピンポーン。
と、僕はあれこれ考えていると、ドアベルが鳴り響く。
僕は思わず首を傾げる。
こんな朝の8時に誰がくるんだ? 宅配便の人か? でも、荷物を頼んだ覚えはない。新聞配達なら、尚更だ。
この家は新聞を頼んでいない。全部電子書籍で注文している。だから、新聞配達がドアベルを押すわけがない。
店である美容室の客なのか? と、一瞬思う。
しかし、本日は世界的美容師である父さんは外出しているため、店はこの期間は休業している。
看板にも今月いっぱいは休業であることはちゃんと伝えてあるはずだ。
その看板を見た使用客は、諦めて戻っていくはずだ。
じゃあ、一体誰なんだ?
と、僕は考え込む。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
「あ〜うるさい! そんなに押さないでよ。ドアベルが壊れるよ!」
僕は考えを放棄し、寝室から出ていき一階の方へと降りる。
考えるより先に自分の目を確かめる方が早いと感じたのだ。
一階の美容室である箇所を駆け抜け、正門の方へと向かっていく。
乱暴な客人だな、と思いを寄せながら僕は重い扉に手を当てると、ガチャリと木製の扉を開く。
そして、そこに立っていたのは、僕の見知った顔だ。
少女だ。彼女は透き通るようなキラキラとした金色で、手入れをしたツインテールの髪の持ち主。アリスの国から出てきたかと思わせるお姫様みたいに上品な格好をしている。小さな体躯は可愛らしく、まだ成長しきっていない胸が特徴だ。瞳は海を想像するかのような青色は吸い込まれそうにもなる大粒だ。
綺麗で可愛らしい女の子ではあるが、少女の表情は全て台無しになっていた。
少女はへの字の口をし、眉間に皺を寄せながら、腕を組んでいる。
とてつもない不機嫌であることが一目見てわかったのだ。
そんな彼女に、僕はあまりにも関わりたくないと思った。
でも、扉を開いたため、彼女の相手をしなければいけないのだ。
「遅い! 早く開けてよね」
幼馴染の開口は罵詈雑言であった。
腕を組みながらもガミガミと雷を落としたかのように語る彼女に、僕は呆れる。
彼女の名前は、小鳥直美。僕と同じ年齢。近所に住んでいて、幼少期は一緒に遊んだ仲だ。いわば、幼馴染であるのだ。
「直美。どうしたの?」
「どうしたも、こうしたもないわよ。早く、私の髪を切って頂戴。これから好きな人に告白しにいくの」
「父さんなら、いないよ。来月には帰ってくるから、そこまで我慢してね」
「アタシはあんたに切って欲しいの。これくらいもわからないの?」
「美容師資格を持っていない僕が髪を切ることはできないよ」
「あ、そう。幼馴染の依頼を聞かないだ。ふーん、偉くなったわね」
直美は口を尖らせて、皮肉を語る。
こうなった彼女は、一歩も引くことはない。頭でっかちで、口は悪くて、全く女の子らしさがない。
学校ではスクールカーストの上位で、誰でも優しく振る舞い、優しい態度を取る。
しかし、なぜか僕の前では口は悪くなり、態度もこのように我儘と強引なのだ。
そう。彼女は猫をかぶっているのだ。
どうして、こんな面倒臭い幼馴染を持ったのだろう僕は。
昔はすごく可愛げがあったのになあ。
学校では、僕は直美に声をかけないようにしている。だって、彼女の顔に泥を塗るわけには行かないから。
しかし、困ったことに、直美の機嫌を損ねている。こうなったら、直美の機嫌を直す方法は一つしかない。
直美の要望を受け入れることだ。
まあ、髪の毛をカットするのは特に問題ないけど。
僕は大きくため息を吐き出してから、扉を開き、彼女を招き入れる。
「わかった。でも、失敗しても怒らないでよ? 僕は美容師見習いなんだから」
「何よ? 世界一位の美容師になろうとしている人が失敗をこわがるの?」
「そうじゃないけど……」
「なら、いいじゃん!」
彼女はルンルンと鼻歌を歌いながら、ヘアカット椅子に鎮座する。
僕は慌ててケープを奥の部屋から取り出すと、彼女の方へと被せた。
顧客の前に立てば、プロ意識は忘れてはいけない。たとえ、自分が見習いでも、全身全霊で幼馴染の髪をカットする。
父さんの教えを思い出す。
彼なら、一言も文句を言わずに完璧に髪を仕上げるのだろう。
僕も父さんを真似をしなければいけない。この依頼を受けよう。
「じゃあ、お客様はどのような髪をご所望でしょうか?」
「お任せするわ。一番いいのもを頼む。さっきも言ったけど、アタシ、これから告白しにいくのだから、アンタの感情で」
「かしこまりました。お嬢様」
「何よ? お嬢様って、くすぐったいわよ」
直美はツンツンと尖った口調で突っかかる。
僕は気にすることなく、自分の愛用しているハサミを取り出す。
彼女の髪を図ってみる。ちょっとだけ長い気もする。ここをカットすれば、いい髪型になるのだろう。
と、僕は髪を図っていると、直美の言葉を思い出す。
確か、これから告白しにいく、とかなんとか言っていなかったっけ?
「あれ? さっき、直美は変なこと言ってなかった?」
「変? 何よ?」
「告白しにいくって……」
「そうよ。悪い? アタシにも恋ができたのよ」
「悪くないけど……」
「なら、いいじゃない。さあ、早く切って。あまり、時間がないのよ。相手が逝ってしまうわ」
直美は赤面を浮かべながらチラチラと僕の方を見る。
きっと、焦っているのだろう。早く直美の髪をカットしないと、相手がいなくなる。
正直、僕は複雑な気持ちを抱いている。
直美は僕に髪の毛の仕上げを依頼したのはいいものの、その髪型で恋を抱いている人に会いにいくのだからだ。
なんだか、自分は踏み台にされている気がする。
僕の手が止まったとを感じたのか、直美は不機嫌な表情を浮かべせてから、僕に注意をしだす。
「何ぼさっとしているのよ。早くしてよね」
「……あ、うん。わかった。ごめん、ごめん」
彼女に注意された僕は手を動かす。
まずは、彼女の長い前髪を指で図って、ハサミの入りところを確認する。
「それで、アンタはいつ、この街から出ていくの?」
「あ、うん。明日にはもう出ていくよ」
「早いわよ。もうちょっと、居てもいいじゃない」
「早く、イギリスに慣れたいだ。これから四年間、ヘアデザイナーのことを学ぶから、早めに行って、空気を吸いたいだ」
「アンタなんか、ホームシックになっちゃえばいいのに」
この幼馴染。なんで辛口に僕のことを責めるんだ?
僕には大きな夢がある。それは父のように世界一のヘアデザイナーになりたいのだ。だから、何がなんであろうと、イギリスにあるデアデザイン専門大学に通わなければならない。
ホームシックなんかに負けていられないのだ。
ちょっと、不機嫌になった僕は口を閉じて作業に集中した。
直美が言うことに反応しないようにした。いつものことだ。だから、これも無視。
そう思いながら、僕は直美の髪を指で図り、切る。
誰かが言ったように、観客はカボチャと思えばいい。
彼女を髪の毛があるカボチャと思えば気楽でいいかもしれない。
黙々と作業をしていると、彼女は横目でチラリと僕をば眺めると、また喧嘩腰するように尋ねてくる。
「で、アンタ。卒業式はどうよ?」
「え? 卒業式? どういうこと?」
「惚けないでよ。卒業式といえば、あれだよね。あれよ」
「あれだと、わからないよ。直美。ちゃんと言わないと意思疎通できないよ?」
直美は僕の言葉を聞くと、耳を真っ赤にしながら、怒鳴り出す。
「もう! なんで、わからないのかな!」
「ごめん。直美が怒っているの理由がわからない」
「お、女に言わせるな。バカ」
いやあ、そこまで言われても僕にはわからないよ。
卒業式の日は色々ありすぎて、一々覚えていられない。
クラスのみんなと涙を流しながら、お別れを言って、早めに帰ったのは覚えている。
それ以外のことは特に何もしていない。
僕は開口する前に、直美は口を開く。
「こ、告白よ。あ、アンタ、告白されたんでしょ? 卒業式の日に鈴木さんに」
カチン、と髪を切る音と共に僕は固まった。
僕は鏡を通して、直美の双眸を見つめる。
みるみると怒りをしているようで形相を浮かべながら、僕を見つめていた。
やはり、彼女はその日のことを知っているのだ。
昨日の卒業式の日。
僕は大きな桜の木の下に呼び出された。そして、人生で初めて告白された。
相手は鈴木桃香さん、同じクラスの女子だ。
桃香さんは僕のことを好きと告白した。僕が海外行くことも知っていた。そして、僕が海外に行く前にどうしても、この気持ちを伝えたかったと。
そんなことはいいとして、僕は違うことを気になる。どうして、直美がそんなことを知っているのか。
だから、僕は直接、直美に尋ねる。
「なんで、知っているの?」
「女子の間では有名な話よ。鈴木さんがアンタのことが好きだって」
「そうなんだ。それって、女子ネットワークのことかな?」
「どうでもいいでしょ? そんなこと。で、アンタはなんと答えたの?」
僕は眉を潜める。
彼女に嘘は言えない。っと言っても結果はもうすでにわかっているのだろう。
だから、僕は観念をして直美に事実を伝える。
「断ったよ」
「どうしてよ?」
「遠距離恋愛なんて、できやしないと思ったから。これから、四年間。僕はイギリスでヘアデザインのことを学ぶ。邪念を残したくなくて」
「ヘタレね」
「ヘタレで結構」
そう言いながら、僕は散髪を続ける。
けど、昨日の告白は今でも忘れられない。
桃香が大きな涙の粒を流しながら、去っていくのを僕はただ黙って見ているだけしかできなかった。彼女が逃げ出すように走っていく姿を後ろから黙って見ることしかできなかった。
相当悪い事をしたと思える。でも、それでよかった。
それ以上、桃香を傷つけたくはなかったからだ。
僕と彼氏彼女の関係になったら、彼女は僕という存在に束縛されてしまう。海外で四年間過ごすということは、僕と彼女は遠距離恋愛をすることになる。
それはあまりにも孤独で、彼女を束縛してしまう。
なぜ、僕なんだ? こんなヘアデザインにしか脳がない自分が選ばれたのだ?
桃香は僕より、もっといい男性と結ばれるべきだ。
このヘアデザインしか脳のない自分と結んでもいいことは何一つないのだ。
「で、結局、アンタの気持ちはどうなの?」
「どうって?」
「も、桃香さんのことは好きなの?」
「だから、断って」
「そ、そうじゃなくて。やっぱりアンタって気が利かないわね! あ、アタシが知りたいのは、鈴木さんのこと、す、す、好きなの?」
直美は顔を真っ赤にしてから、怒鳴り出す。
ああ、そうか。彼女が知りたいのはそういうことか。
僕は桃香のことを好意を抱いているか、か。
「どうも思っていないよ。好きでも、嫌いでもないかな」
「何よそれ」
「事実だもの。しょうがないじゃない」
「じゃあ、質問を変えるわ。もしも、アンタがイギリスに行かなかったら、彼女と付き合う?」
バシン、とハサミで前髪を少し切る音とともに沈黙が美容室を支配する。
僕は一瞬口を籠る。
想像してみる、あんなすごく可愛い桃香さんと彼氏彼女関係になったら、どうなるのだろうか?
大学が違っても、東京の大学に行けば、週一は会う事ができるだろう。断る理由がないと思った。
「きっと、付き合っていると思う……」
「ふ、ふーん。そうなんだ。鈴木さん可愛いしね。ああ、光のバカ」
「なんだか、すごく棘がある言い方だね」
「ふん。光のバカ」
彼女は口角を曲げて、どこか不機嫌な表情を浮かべていた。
なぜだ? なぜ、いきなりヘソを曲げてしまうのだろう。この幼馴染の気分は読みにくいものだ。
「そ、そうだ、アンタ。イギリスの留学をやめれば? そうすれば、アンタも鈴木さんと付き合えるわ」
「はあ? そんなことできるわけないよ。もう学費も払ったし、部屋も手配しているんだから」
「アンタ、家事はできるの?」
「た、多少は」
「絶対に無理よ。片付けなんて、出来もしないし、料理もできないでしょ? どうせ、向こうに行っても、毎日カップラーメンで過ごすでしょ?」
「うぐ」
痛いところを突かれてしまった。
僕は家事のレベルは絶望的にできていない。料理はお湯を沸かすこと、レンチンしかできない。
イギリスに行っても、カップ麺か、冷凍食品か、外食の3択になるのだろう。
「成績も悪い方じゃない。大人しく日本に残りなさいよ。大人しくアタシと同じ美大にすればいいのに、そこでヘアスタイルを学べば?」
「そ、それは無理だよ。僕には夢があるんだから」
僕は再びハサミで彼女の前髪をカットする。
あともう少しで、彼女の髪型はいい形に仕上がる。そこまで我慢だ。
「世界に羽ばたきたいなら、日本のヘアスタイル学校は無理だ。僕は、イギリスで色んなヘアデザイナーから学びたいだ。世界的のレベルだと、この国は遅れているんだ」
僕の夢は父さんを追い越すこと。
父さんが世界的ヘアデザイナーになっているのをずっと見てきたので、僕もそうなりたいと思った。
日本のヘアデザインは世界より遅れている。いや、これはヘアデザインだけの話ではない。芸術全般にも言える言葉だ。
日本の芸術は遅れている。なぜならば、日本は独自の偏見を持っている国であるからだ。
その日本の偏見を払拭するためには、海外に行きそこから学べなければいけない。
だから、僕は覚悟を決めて四年間、イギリスに留学することを決めた。
「釣れないわね。アンタなんか、ホームシックになればいいのに」
「それさっきも聞いた」
流石に二度目の罵倒は聞き逃せない。
この幼馴染、僕のことを嫌いなのでは?
そんなこんなで、髪型も上手くカットできたし、僕は鏡を持ってきて、彼女に確認してもらう。
「こんな感じでよろしいでしょうか? お嬢様」
直美は鏡を覗き込むと、前髪と自分の襟足を確認する。
「及第点。といったことかしら」
「父さんみたいに上手くできないけど、お目にかなってよかったです」
「か、勘違いしないでね。これは、その、まあまあということよ」
「手厳しい」
僕はそう言いながら、ドライヤーを取り出すと、カットした髪の毛をブローする。
直美の頭に髪の破片を残さないようにする。
ブローを終わると、僕は直美の体にかけているケープを取った。
「お代はいいよ。僕も練習できたから」
「そう? なら、いいわ」
直美は椅子から立ち上がると、踊るかのようにルンルンで満足な表情を浮かべながらで鏡の前で髪の毛を確認する。
金髪ツインテールがよりにも綺麗になっている。来た時よりも、仕上がっているのは一目見てわかった。
自分がカットした腕前がこんなに成長しているのを見ていると、なんだか嬉しくなっちゃう。
でも、僕は思い出す。
これから直美は恋している人に告白しにいくことだ。
いい髪型で告白しにいく。きっと、相手もOKを出してくれるはずだ。
「これから、告白しにいくんだっけ? 頑張ってね。応援しているよ」
「う、うっさいわね。言われなくても、頑張るわよ」
直美はしばらくしてウジウジとしている。前髪をいじりながら、とチラチラと僕を見て、またも俯く。どうも、店から出ようとしないのだ。
「直美?」
「あ、ああ。わ、わかっているわよ。告白しにいくわよ」
直美に声をかけると啖呵を切るかのように怒鳴り散らかす。
え? なんで、怒っているの?
僕、なんか悪いことした?
僕は困惑していると、彼女は自分のスカートポケットから、何かを取り出す。
それは封筒なようなもの。色鮮やかにピンク色をして、可愛らしいリボンもついている。あまりにも可愛らしさに一発見てすぐにわかるもの。
これはラブレターだ。好意を寄せる相手に渡すもの。
「はい。あ、あげるわ」
「え?」
僕はますます混乱する。
こんなのは、僕に渡す品物ではなく、告白する相手に贈るものじゃないの?
「これ、告白相手に渡すのでは?」
「い、言わせないでよ」
直美の顔は茹でたタコのように真っ赤になる。
「こ、告白する相手は、この封筒受け取ったものよ! バカ!」
いやいや、バカ呼ばわりするのは酷くないか?
え? つまりどういうこと? 告白する相手は『光』つまり、僕であること?
封筒の宛先を見る。
しっかりと、自分の名前『青木光』と書かれている。
どうやら、これは僕宛のラブレターなのだ。
「べ、別にアンタのこと好きでもなんともないけど? イギリスで悪い女に捕まらないように、どうしようもなく、付き合ってあげるわ」
直美は尖らせた口調で語ると、フン、とそっぽを向く。
彼女の素直じゃない面が露わになっていた。
あまりにも可愛げがない態度でもある。でも、僕はなんだか嬉しい気持ちになる。
片思いとは言えば片思いの相手だ。
昔より、直美は綺麗に成長したからだ。
「いいの? 直美。 僕は四年間、イギリスで修行しに行くのだよ? 遠距離恋愛になるんだよ?」
「あ、アンタのことだもの。どうせ、好きな人なんて作れやしないわよ」
「でも、その間、僕は直美を幸せにできない。君を四年間束縛することになるよ」
「ば、バカなことを言わないでね。アタシが他の男に目移りするとでも? 何年幼馴染をやっているのよ。たった四年間でアタシたちの関係が変わるわけないわよ」
それは信頼と愛が含まれた言葉だ。
「開けていい?」
「あ、当たり前でしょ? アンタにこ、告白したんだから、アンタが開ける権利はあるわ」
素直じゃない回答を聞くと、僕はラブレターを開封する。
そこには一枚の紙切れと、丸い小さな何かが落ちる。
丸い何かとは、なんなのか、確認すると、僕はすぐにわかったのだ。
「制服のボタン……」
「か、感謝してよね。アタシ、色んな人から第二のボタンを譲ってくれって言われてたんだから。断るのは大変だったのよ? と・く・べ・つ・に・アンタにあげるわ」
「ありがとう! 直美」
嬉しさのあまりに、僕は情緒になり、ラブレターを手にしたまま彼女を抱き抱える。
彼女は顔を真っ赤にして、ちょっと!、と怒り出したが、抵抗しようとしなかった。抱かれたままフン、とそっぽを向ける。
本当に素直じゃない幼馴染だ。
でも、こんな可愛げない幼馴染だからこそ、僕は好きでもあった。
これから四年間イギリスでヘアスタイルを学び、腕を上げたら日本で美容師を務める。
そして、いつかは世界一の美容師になるのだ。