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第2話 思惑

 正体を隠し、少年に教鞭をとりながら父君の帰りを待つこと早3ヶ月。

 それなりに知識をつけた少年は、極上の····いや、立派な青年としての振る舞いを身につけていた。

 そろそろ帰る予定の父君を迎える為、小屋の掃除をしていた時の事だった。

「これ、母さんなんだ」

 そう言って、1枚の古い写真を見せてくれた。椅子に座って赤ん坊の少年を抱くエルフの女性の肩に、今よりも少し若い父君が睦まじく手を添えている。2人の顔を見れば、幸せだったのだと分かった。

 これが、僕の母様····。

「メルトゥス、どうした!?」

 僕の両目から、ボロボロと大粒の涙が零れていた。

「あぁ、ごめんねフラテ。なんでもないよ」

「なんでもなくはないだろ。写真これ見て泣いたのか? 何か辛かったか?」

「まぁ、ね。何の罪もない、仲睦まじい君達を裂いたのかと思うと、どうしようもなく胸が痛んだんだ。僕には家族が居ないから····どれほど辛い事なのかは想像でしかないけどね」

「お前、よく含みのある言い方するよな。そういうのやめろ。隠し事されてるみたいで気分わりぃ」

 賢くなったこの子は、存外聡いのだと分かった。言葉遣いはまだまだこれからだが。

 元々、感情の機微には敏感に反応を示す節があった。意味を理解できなかっただけなのだろう。

 さてはて、父君はこれを予感し、意図して教育をしなかったのだろうか。帰ったら問い詰めてみよう。

 フラテが熱心に勉強するのも、昼夜を問わず鍛錬をするのも、全ては復讐の為。父君には申し訳ないが、僕はそれを阻むつもりはない。

 ただ、フラテが失敗しないよう、できうる限り力をつけさせてからと思い育てている。彼に、易々と死んでほしくないのだ。

 僕もまた、教育に熱心であった。復讐に関係のない事まで、色々と教え込んだ。父君が触れてこなかった世の中の事や、男の事まで。

 そんな僕に、フラテが日に日に懐いたのは必然だ。

 彼に魔法の才はなかったので、専ら体術をメインに特訓を重ねた。座学はできるものの、好きではないようだった。彼は体力が有り余っているようで、大人しく机に向かうのがそもそも困難だったのだ。

 召喚した獣魔との戦闘訓練や、土人形との攻防戦など、どれも真剣に取り組み、見違えるように逞しく強くなった。けれど、こんなフラテを、帰ってきた父君が見たらどう思うだろうか。

 僕は、時々不安に駆られた。復讐を阻むつもりはないが、すすめるつもりもなかったのだ。少年の判断に委ねる。それは、ある種の逃げだった。

 元より少年は、狩人として武器の扱いに長けていた。素手でも相当強いが、特に槍ほど柄の長い大斧を持たせると、人が変わったように土人形の大郡勢を容易く屠ってみせる。

 その光景に、僕はゾクゾクと静かな興奮を覚えた。鬼人の様な彼の瞳に、僕は何を期待しているのだろう。これはきっと、いけないものだ。

「メルトゥス、お前は分かってんだろ? 俺の考えてる事」

「··さぁ、何の事だい? て言うか、話す余裕なんてあるんだ。訓練最中だよ、集中しなさい」

 言葉を交わしながら、瀬戸際で攻撃を躱し続けるフラテ。僕との組手では、まだ一度も僕に勝てていない。

 当然だ。この世の最強と謳われた男を討ち取った僕に、そう易々と勝てるはずがない。

 けれど、少し手加減をすると懐に飛び込めるまでにはなった。上々だろう。

「くそっ····余裕なんてねぇよ!」

 今日も、自信をつけさせる為に懐へ呼び込む。他意はない。

「メルトゥス、お前が嫌じゃなきゃ、兄さんて呼んでいいか?」

「へっ!? わっ····」

 油断した。いや、動揺した。あっさり押し倒され、首元に大斧を当てられた僕の完敗だ。

 しかし、これはいささか卑劣ではないだろうか。事情を知らないとはいえ、“兄さん”だなんて、動揺するには充分すぎるワードだ。

「どうしたんだ。何か考え事でもしてたのか?」 

「え、あぁ、うん。ごめん」

 僕は、咄嗟に返す言葉を見つけられず、差し出されたフラテの手を取る。引き起こされたは良いが、彼の顔を見れずに今日の訓練を打ち切った。

 何も言わずに小屋へ戻るフラテ。僕は、近くの泉のほとりで心を鎮める事にした。

 日が暮れるまでボーッと泉を眺めていた。が、ふわっと香る甘い匂いで我に返る。フラテがよく飲んでるハニージンジャーだ。

「やっぱりここに居たのか。ほら、体冷えてんだろ」

「ありがとう。······ん、甘過ぎ」

「何か悩んでんのか? こう見えても、もうガキじゃねぇんだ。話を聞くくらいできる。言いたくないなら無理に聞かねぇけど····」

 優しいフラテに、愛おしさが込み上げる。この3ヶ月、この子の憧れであり続けるために耐えてきたというのに。

 昂った感情を抑えきれなかった僕は、とうとうその優しさに甘えてしまう。

 ここへ来るまでの身の上話を、どこぞの誰かの話だと偽って語る。魔王が既に存在しない事は伏せて、あくまで、僕たちには関わりない話だと仮定して、他人事の様に話したつもりだった。

 特に言葉を挟むでもなく、相槌だけを置いて話を聞き終えたフラテ。チラリと僕の耳を見て、じっと目を見つめる。耐えきれず逸らしたのは僕の方だった。

「さっき考え事してたって言ってたけど、嘘なんだろ。アレに··動揺したんだよな? その··、深い意味はなかったんだ、信じてくれ」

 フラテがそんなこすい真似をする子じゃないのはよく分かっている。僕もまだまだ心が弱い、今回はそれが敗因だ。

 けれど、それを上手く誤魔化しながら説明するのは骨が折れる。から、上手く話を合わせよう。

「兄さんが居たら、お前みたいなのかと思って····けど、訓練の最中に話すことじゃなかったよな。悪かった」

「いいよ。気を取られてしまった僕がマヌケだったんだ。好きに呼んでくれればいいよ」

 これ以上、悟られるわけにはいかないのだ。呼び名くらい何だっていい。フラテにとって、僕は兄のような存在。それでいいじゃないか。

「いや、あの後冷静になって考えたんだ。お前が兄さんだったらって」

「····うん」

「なんかしっくり来なかった」

 来なかったのか。それはそれで残念だ。と、少々本気で思ってしまった。

「兄さんとは違う、けど、強くて賢くて格好良いお前に憧れてる。でも、兄弟だったらと考えると、しっくり来ないんだ」

「親····とか?」

「親父はお前より偉大だ」

「そうですね。なら、フラテにとって僕は何なの?」

「お前はアホみたいに強いし賢いのに、時々すげぇ弱く脆く儚く見える。守ってやりてぇと思うほどだ。で、気づいたんだ」

「あー····、弟とか言わないでね?」

「あぁ、それもしっくり来なかったからな。俺はお前が好きなんだと思う」

「············はぁ?」

 跳躍力がエグイな。どこをどう解釈すればそんな発想になるのだろう。こんなに可愛い少年に好かれるなど願ってもない事だが、それはとてもまずい展開だ。

 これまで僕が色々と耐え忍んできたことを、一瞬で水の泡にしかねない。

「親父が言ってた。家族以外に守りたい奴ができたら、それは運命の愛すべき人なんだって」

 父君のフェイタリズムには鳥肌が立つ。

「俺は親父の教えに従う。お前が俺とどういう関係でも、俺は何も知らないままでいい。お前がずっと傍にいてくれるなら、なんでもいいんだ」

 どうやら、聡いフラテは察してしまったらしい。そして、僕の身の振りは彼にとって気まぐれを起こさせたようだ。

 それならそれでいい。そう思えるのも、フラテの成長を目の当たりにしているからだろう。

 今の彼なら、忌み嫌う人間を、家族を引き裂いた憎き人間を、街一つ程度なら容易く滅ぼせる。けれど、だからと言ってフラテに復讐をさせていいものか、僕の迷いは消えていない。

 僕なりの、彼への愛情なのだろう。この子を見た瞬間から芽生えていた劣情を、母性に換えていた僕の苦労が裏目に出たのか報われたのか。

 どうやら僕の心よりも、フラテの心に気を配るべきだったようだ。彼の瞳の熱には、今はまだ気づかないフリをしておこう。

「はぁ····。フラテ、僕もここで暮らしていいかな」

 僕には、彼を見届ける義務がある。父君に託されたのだから。そう自分に言い聞かせて問うてみる。答えは分かりきっているが。

 フラテが、この先何を企もうと事を起こそうと、僕にできるのは見守ることだけなのだ。

「どこへ行くつもりだったんだ? ずっと居ればいいだろ。親父だって、きっとそう言う」

「そっか····うん、ありがとう」

 滲む涙を、薄暗がりに隠してハニージンジャーを啜った。甘いったらない。

 フラテは復讐の機を見つけられぬまま、程なくして父君が帰られた。まぁ、阻んでいたのは僕なんだけど。

 ささやかに、機を逃すよう仕向けた。ただそれだけだ。

 やはり、少年には無垢なままで、綺麗な手のままでいてほしくなったのだ。これは、僕の我儘である。

 次期魔王として、世をどう統べるべきか。折角だ、この子次第ということにしよう。

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