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第6話 反転する割合

「………………?」

 彼の台詞を、改めて脳内再生する。テンポを下げて、リピートをかけて、ゆっくりと内容を吟味した。

「意味が分かんないんだけど」

「だろ? でも本当なんだよなあ。『七草』っていう喫茶店あるだろう? あそこの店主の女は、人間だ」

 周囲には他に誰も居ないのに、創さんは私に顔を近付け、声を潜めた。それはよく知っている。内緒にするようなことでもない……と思うけど。

「へ、へえ、そうなんだ」

 この村に住む人々の価値観を知る為、そして、彼からもっと情報を聞き出す為に私は知らないふりをした。

「あと、駐在の大葉さんもそうだな。彼女と大葉さんが、人間だ」

「へ、へえー……」

 多少大げさにリアクションしながら、私は頭が混乱するのを感じていた。もう、これで何度目だろうか。

「だから、あの二人の前では人間っぽくしてんだよ。皆が妖怪だと知られてはいるし、そんなに心配することもないんだけどよ」

「ふ、ふぅん……」

「おう」

 ニカッと笑った創さんの額に大きな眼が出現した。その三つ目も芋虫みたいな形をして笑っている。ひっ、と言いそうになるのを、何とか堪えて愛想笑いをする。

 ――二人しか、人間が、居ない?

 ――皆が、妖怪?

 気温の所為ではない鳥肌が立ったが、創さんは呑気に話し続ける。

「椿さんも、旦那の親戚だってんなら随分と長生きしてんだろ? 人間には色々と苦労させられてきただろうが、あの二人は妖怪だからって嫌な目で見てきたりしないからよお、安心してくれよな!」

「あ、う、うん……ありがと」

「まあ、あんまビビらせてもあれだからってことだ」

「う、うん……」

 何とか相槌を打ちながらも、私は必死に情報を整理していた。

(ええと……村の人達は皆、妖怪で……。獏は結構長生きしてて……親戚って言った私も、妖怪で長生きしてると思われてて……それで、この、目の前の創さんも……目がおでこにもある妖怪ってことで……)

 ここが妖怪だらけの村だということに恐怖を抱くと共に、昨日、優月さんに「やめて!」と叫んだのを思い出した。あの時は、妖怪という存在を認めることを拒絶していた。それっぽいのが陶子さんだけだったから、彼女が妖怪であれば、人造人間を造れる化学者もいるのかもしれない――そう考えたくなくて。

 でも、今の私は宮景村が妖怪の村だと信じてしまっている。これだけ自然に言われ、第三の目まで見せられたら、受け入れるしかないだろう。その中で、私は昨日とはほぼ真逆の感情――希望を感じていた。

 私はやっぱり、人造人間なんかじゃないのかもしれない。ちゃんと両親から遺伝子を継いだ人間なのかもしれない。

 だって、妖怪が人造人間を造れるのかと考えたら、それはきっと、難しい。

 人間で在りたい。私は人間で在りたい。

 私は、造られてなんか、いない。

「お、旦那」

 創さんがひとりごちたのはその時だった。ちらりと目を遣ると、噂の主が近付いて来ている。

「あ、ところでその大根、太くておいしそうだねー」

 私は話を切り替えた。


『人造人間とかさ、自分が化学者だとか、いい年した大人が、恥ずかしくならない?』

 私のこの問いに、獏は全く動揺を見せなかった。

 いい年した大人だったら、恥ずかしいだろう。

 長生きをしている妖怪だったら、世の理が分かっている分、もっと恥ずかしいだろう。

 恥ずかしくなかったとしたら、本当に彼が化学者なのか、重度の中二病患者なのか、そのどちらかだ。

(中二病患者なんだ……。獏は中二病から抜け出せなくなってるんだ……)

 自分にそう言い聞かせながら、私は寒空の下を歩き続けた。


 旅館に戻ると、受付には誰の姿もなかった。知ったばかりのこの場所の実態と、客は滅多に来ないという写楽の言を鑑みればこれが普通なのかもしれない。旅館とは名ばかりで、ここは客を求めていない。普段は獏と陶子さん、写楽の自宅であり、求める客が居たらそれに応じるだけの場所なのだろう。

 しん、と静まり返り、人の気配が感じられない旅館の廊下をひたひたと歩く。この時間なら、写楽は厨房に居るはずだ。

 料理人だって言ってたし。

 朝ごはん食べてないし。

 お腹空いたし。

(こんなに色んなことがあったのにお腹が空くんだ……)

 もっと可憐な乙女に生まれたかった。

 私自身の図太さに辟易しながら板戸を開けると、もわりとした空気と共に味噌の匂いが漂ってきた。写楽はトレーナーにジャージズボンという格好で、両手鍋の前で顔面を湯気に包まれながら呆けっと立っていた。手前のコンロでは、網に載った鮭の切身が焼かれるのを待っていた。まだ、火は点いていない。

「写楽、獏はただの中二病だったんだよ」

 私が宣言するのと、お腹の音が鳴るのは同時だった。写楽は、片眉を跳ね上げて心底意味が解らないという顔をして「はあ?」と言った。私は顔が赤くなるのを感じたが、腹の虫については完全スルーだ。

「知らない? 中二病ってのはね……」

「知ってるから説明はいらん」

「知ってんの!? 写楽ってオタ……」

「オタクじゃなくても知ってるだろ」

「オタクじゃないと知らないでしょ」

「……では、椿もオタクなんじゃなあ」

 写楽に隠れてよく見えなかった陶子さんが、しみじみとした口調で言った。何を納得したのか、湯呑みに入った透明な飲み物を啜りながらうんうんと頷いている。

「違うから! ……あ、違わないかも」

「どっちなんだよ」

「どっちなんじゃ」

「オタクだよ。だって、中二病を知ってるんだから。私は何も覚えてないけど、多分、オタクだった」

「ほお……」

 陶子さんは面白そうに口角を上げる。逆に写楽は、苦々しそうな表情で顔を逸らした。

「そうか。てことは獏はオタクなんだな。俺達に中二病が何かという知識をインプットしたんだから」

 私は思い切り頬を膨らませて写楽を見た。彼の気持ちは昨日で解っている。もう、異を唱えるつもりはない。自分が人造人間であると思い込みたいから、どんな事象が出てきても『人造人間であっても矛盾はない』『人造人間だからこそこうなる』と屁理屈を作り上げてしまうのだろう。

「…………」

「何だよ」

「……別に」

「それで、中二病とは如何なる病気なんじゃ? 獏にどんな害を及ぼす?」

「……えーとだな、それは……」

「ちょっと痛いだけで本人は平気なんだけどね」

「……ちょっと痛いのに平気なのか?」

 本気で心配そうにしている陶子さんに、私と写楽は若干しどろもどろになりつつ説明した。


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