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第4話 仲直りと仲違い

 意外な回答に拍子抜けして、獏は再び椿に目をやった。相変わらず、彼女は下を向いている。

「それは……、僕のような怪しさ極まりない存在が発言するには似つかわしくない、という意味で?」

 昨日から、彼女が持ったであろう印象を想像すると、それも仕方ないような気がする。『作成者』という立場を除けば、自分は結構、人畜無害な性格をしていると思うのだが。

「そうじゃなくて。……私が忘れてた言葉なんだよね。誰かから言われるなんて考えたこともなかったし。多分、言われたこともないから」

「当たり前だろう? 君は生まれたばかりなんだ。耳に入るもの全てが、初めて聞くもので然るべきなんだよ」

 ふと吹いてきた向かい風に首を竦め、白衣のポケットに両手を突っ込む。少しだけ、足を速めた。

「だから、そういうことじゃなくってさ」

 苛立ちを紛れさせた口調で、椿は言う。

「あんたは、本気で言ってくれたから……」

 何を遠慮しているのか、声が徐々に小さくなっていく。終いには、お互いが土を踏む音しか聴こえなくなった。それでも、彼女の背中から何かを伝えてくれようとしているの察せられて 、獏はただ、それを待った。

 道は、あと少しで曲がり角に差し掛かる。


「――うれしかったんだよ」


 今度こそ、獏は立ち止まった。今のは聞き間違いだろうか。毛虫のように嫌っているであろう相手に心配されたというのが、『うれしい』?

「やっぱり、驚いた?」

 椿は、唇を尖らせた顔を振り向かせる。この寒い中で、頬を少し上気させている。眉間に皺を寄せている彼を放置し、先に歩みを再開させる。何となく、置いていかれたような気分になって、追い掛ける。

「あーあ、こんなこと、あんたに言う日が来るとは思わなかったな。しかも、こんな早く」

 頭の後ろで手を組んで、ふっきれたように彼女は言う。しかし余程不本意なのか、左斜め後ろから見ると、まだ口元が突き出ている。

「ていうか、君、僕のこと嫌いなんだろ? 僕に対してうれしいなんて、どう転んでも感じないんじゃないか?」

 椿も抱いているだろう、と疑問を代弁する気持ちで口を開く。だが、返ってきたのは反駁だった。

「嫌いっていうか、信用してない。でもこういう場合って、好きとか嫌いとか、関係無いじゃん」

 土の道から舗装された道へ変わり、民家の壁伝いに角を曲がる。いまいちピンと来ないままに彼女を眺めていると、その背中が小さく揺れた。

「うん……。他のことには何一つ感謝してないけど、言っておくね」

 こちらを向き、歯を覗かせて笑う。さっきまで怒っているようだったのに、本当にころころと表情が変わる少女だ。それだけ、感情の変化も頻繁なのだろう。


「ありがと」


「……どういたしまして」

 礼を言われる実感が湧かないまま、どうにも掴みどころがない、と思いながら苦笑を漏らす。だが彼は、椿を迎えに行くように言われた時にはこの上なく重かった気分が、いつの間にか消えていることに気付いた。

 お互い、心を許し合っている関係ではないのに、楽しいと思ってしまうのは何故だろうか。

「ねえ」

 暫くして、椿が言う。

「ん?」

「人造人間とかさ、自分が化学者だとか、いい年した大人が、恥ずかしくならない?」

 彼女は、こちらをちらりとも見ずに、確実に旅館への道を辿っている。一回通っただけで覚えるとは中々の記憶力だな、と少しばかり現実逃避をしてから、獏は答えた。

「いいや。君は、自己紹介する時に恥ずかしいと思うのかい?」

 第一、彼はそれが絵空事に聞こえてしまう環境で育ってきていない。

「思わない。でも、馬鹿みたいなことを大真面目に言う時は恥ずかしいから、そうじゃないかなって思ったの」

「それは、意識の問題だろう。どんなことでも、馬鹿みたいだと思わなければ何も恥ずかしくない」

「……そう。だからあんたは、堂々と嘘を吐けるんだ」

 口調に冷たい響きを乗せて、一人納得するように彼女は言った。

 獏には、反論をせずに黙っていることしか出来なかった。冗談を含ませて茶化せない迫力が、赤い背中から漂っている。

「私は絶対、あんたの嘘を、私達の真実を、調べて調べ尽くして暴いてやるから」

 椿は、相変わらずに前を向いたままに言い放つ。誰も居ない空中に霧散する筈のその台詞は、しかし、確かに獏に届いた。

「…………」

 驚きは無かった。その上で、彼は彼女に返せる言葉を一つしか持っていない。

「好きにすればいいさ」

「……え?」

 獏の言葉が意外だったのだろう、椿は目を丸くした。微笑を作って、彼は続ける。

「ただし、一人でやってくれ。写楽や、他の人達を巻き込まないで」

 彼女は、釘で打たれたように自分と向き合っている。立場を逆転させたことを自覚しながら、獏は笑みを潜ませ、静かに言った。

「人造人間だと思っていれば、人生楽しく過ごせるんだ」

 椿の視線上から離れ、再び前へ出て先を急ぐ。旅館まで、もうそんなに距離は無い。民家の軒先からは、ちらほらと村人が姿を現して彼に笑顔で挨拶をしてくる。

 それに応えながら、足早に彼女から遠ざかる。

 わざと突き放したのではなく、本当に、一刻も早く独りになりたかった。離れに戻って障子を閉めて、外界を遮断してしまいたい。

 自分でも信じられなかったが、腹の底から苛立ちが湧き上がってきていた。これほど、感情の揺れに襲われたのは何年ぶりだろうか。

 彼女を『造る』為に多くのものを背負い、受け入れた。忘れたいと切望する苦しみは、まだ残っている。自ら望んでの行動とは言え、怒りを覚える。

 無意識に、左の手首を握っていた。

「ちょっと! 待ちなさいよ!」

 何故か近くから聞こえてくる制止の声も無視し、更に速度を上げようとする。だがそれは、椿に左腕を捕らえられたことで断念せざるをえなくなった。

 少女の手を拒絶するほど、思うが侭に行動が出来ない。この後に及んで、まだ外面を気にする冷静さを残していることに嫌気が刺す。

「あんたに、私達の何がわかるのよ!」

 正面に回りこんできた椿は白衣の襟を掴み、激しい眼差しを向けてくる。

「この姿がニセモノの皮にしか見えなくって、どこを探しても中身が無くって、自分が自分だっていう実感もなくって……そんな心細さを、知ってるとでも言うの? 家族や仲間が居るかもしれないのに、その顔も名前も、対する気持ちも湧き上がってこない恐さを、体験したことがあるの?」

「…………」

 表情を消して反応を示さない獏を至近距離から睨みつけること数秒、彼女は両の拳で彼の胸を殴りつけた。一片も手加減のないその衝撃に、息が詰まる。

「あんたの記憶なんか、全て奪ってやりたい!」

 たたらを踏みかけたところに、叩きつけるような椿の叫びが獏の耳を打った。

 彼女の腕は攻撃の意思を失ったように垂れていたが、拳だけは解かれることなく震えている。足元に落ちた視線が何を捉えているのかは分からないが、何処と無く、涙を零すのを堪えているのではないか、という予感がした。

 同時に、溢れるような椿の想いが、獏の中に流れ込んでくる。お互いに、無言でいるにも関わらず。

 悔しさ。

 そして、獏とは比較にならない程の、怒り。

 それに押し出されたかのごとくに、彼の苛立ちは萎んでいった。後にあるものは、空しさだけだ。

「……出来るものなら、やってみればいいよ」

 獏は、自嘲を込めた笑みを浮かべる。

「本当に奪えるのなら、僕としては大歓迎だ」

 紛れも無い本心として、言う。彼にとっては、椿達こそが羨望の対象なのだ。何もかも記憶を失くして、一からやり直せたらどれだけ幸せだろうか。

 いたたまれずに、彼は帰り道を辿り始めた。泣いている少女を置き去りにする、という行為が非人道的だということは解っていたが、どうしても、揃って旅館の敷居を跨ぐことは出来そうにはなかった。


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