やはり、彼女には度胸がある。昨日、写楽とどんな話をして戻ってきたのかは聞き出せなかった。現時点でどの程度の情報を得ているのかは分からない。だが、ここで『都会の女子高生』と堂々と返せる辺り、獏の説明を信じてはいないのだろう。服装から優月の店に行ったのは確かだろうが、店主とはどういった会話をしたのか――
「…………」
獏が次の行動を考えていると、椿は勝気な表情で言葉を継ぐ。田舎者に教えてあげる、という得意気な空気を感じる。
「東京は人で溢れてるんだから、怖気づいてたら生きていけないの。自然に身に付く処世術ってやつよ」
「なるほど。覚えておくよ。遠慮していたら足元を掬われるかもしれないからね」
少女への牽制を含めて応えると、創がそこで口を挟んだ。
「旦那。俺は、あんたが遠慮してるようには見えねえぜ。人当たりは良いが、言うことは言うでしょう。謙遜もほどほどにしねえとバチが当たるってもんですよ」
筋肉が盛り上がった腕を腰に当てて豪快に笑い、土塗れになった軍手を嵌めた手を伸ばし、獏の背中を叩こうとする。辛うじてその攻撃をかわすと、微笑しながら獏は答えた。
「そうですか? そう思われているのは嬉しいですね。……ところで」
椿の方へ向き直り、意識して微笑を消して一度唇を引き結ぶ。こうして怒っているという意思表示をしてから、話題を変えた。
「僕が、どうしてここへ来たか分かるかい?」
「さあ? 創さんに用があったの? だったら、さっさと済ませれば? 私は消えるからさ」
質問の意図に気付かなかったのか、端から考える気がないのか、彼女は大して悩むこともせずに、言い放った。
「なんだ、そうだったのか。旦那、何の用です?」
「違います」
一緒になって話に乗ってくる創に辟易しつつ
「君を連れに来たんだよ。ここに到着してまだ一晩しか経ってないのに、早朝から姿を消されちゃ心配するだろう」
「え……?」
椿は、驚いたような、泣きそうな顔で獏を見上げた。
「…………?」
てっきり、また悪びれない態度を取ると思っていた獏は、その意外な様子に戸惑った。どうすればいいのか、分からなくなる。何故、突然涙を浮かべるのか。
突然、夢の中での『裏切者!』という叫びを思い出す。東京の、闇の下に浮かぶ人工的な光を思い出す。
朝、獏は『あの夢』と共に目覚め、自暴自棄になった。しかし、こういう時に思うのは、自分と椿は確実に別個の存在だということだ。彼女の思考の流れが理解出来ないというのは、彼に一種の安心を与える。
創の様子を伺うと、彼は困った面持ちで頭を掻いている。髪に土が付くのは、別に気にならないらしい。
男二人がそわそわとしていると、椿の片眼から涙が落ちた。
「ごめんなさい」
「え? それは……」
場の空気を変えてしまったことに対する謝罪か、それとも――
「勝手に旅館から居なくなって、ごめんなさい」
「…………」
全く、理解できない。それとは別に、居心地の悪い沈黙が落ちる。とりなそうと口を開いたのは、創だった。
「まあまあ、そんなにしょげなくてもいいだろ。旦那、椿さんも反省してるようだし、勘弁してやってくれませんか」
「え、ああ、勿論ですよ」
慌てて獏は同意した。元々、彼は本当に怒っていたわけではない――多分。
「じゃあ、帰ろうか。陶子さんが待ってる」
創に会釈して来た道を折り返して歩く。付いてこないかという考えが頭を過ぎり振り向くと、椿も両足を交互に前に出して歩き出していた。大根は、相変わらず両手に抱えている。彼女は俯いたままで、何を思っているのだろうか分からない。
自分が合流するまでに創と話していた内容も、非常に気になるところだ。
創は、獏と椿に軍手を脱いだ手を振っていた。掌に埋め込まれた目玉がぎょろりと動いている。創を振り返ろうとしない椿には見えていないが、見えていたらどんな反応をするだろうか、と獏は思う。
足を止め、彼女が隣に来るまで待ってから声を掛ける。
「大根、持とうか?」
足を止めずに四、五歩進み、無言のまま歩き続けるかと思い始めたところで、彼女はやっと答えてくれた。
「いい」
「そうか」
声が、どことなく不貞腐れているような感じだ。先程まで沈んでいた筈なのに、もう別の感情を抱いているようだ。理解出来ないのは、年齢、性別、それとも、性格が異なる所為か。
本来なら、彼女と同じ箇所など殆ど無きに等しい獏が、思考が読めないのは当然のことだろう。だが、彼は確かに、彼女の全てを知っている。その上で、ここまで予測が付かない相手というのは珍しい。
これまでに駆使していた、何もかもお見通しだというスタイルが使えない。その為、彼は椿にどう接すれば良いのか判らなかった。
「さっき、何を考えたんだい? 僕が連れに来たと言ったとき」
迷った挙句に出たのは、ひどく単純で素朴な問いだった。知りたい事を教えてくれと乞う、随分と久しぶりな行為だった。
「私にも説明出来ないんだけど……あんたからあんな言葉聞くなんて、全然予想してなかったから」
そんな曖昧な言葉を使われても、理解出来ない。ほんの数分前に口にした台詞を思い出そうと、彼が頭の中をまさぐっていた時、付け加えるような彼女の声が耳に入る。
「心配、なんて」