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第8話 危惧される繰り返し

 写楽の言葉に咄嗟に反応出来なくて、ただ、彼を凝視する。目を逸らされることはなく、私の視線を正面から受け止める顔は、いつまでも笑わない。「冗談だ」と言ってくれない。

「どう……いうこと……?」

 ひくつきながらも唇が動き、疑問を口にする。

(何かの事故に遭ったとか、そういうことじゃなくて……?)

 誰かが。

 私達を。

 記憶喪失に――

 した。

「…………」

 今日だけで何度、こんな感覚を味わっただろう。もの凄い既視感に襲われながらも、溢れる感情を止められない。

 混乱と怒りと、マイナスの方向に振り切った精神的ショックだ。

「獏が教えてくれた人造人間説が嘘だと仮定した場合、に限られるけどな」

 どこまでも真顔で、創作物にしか使われないような言葉を台詞に混ぜてくる。私はまだ、それに慣れない。

『そんなもの』は嘘に決まっている。人間そっくりの生物を時代遅れ甚だしい田舎で製造するなんて、二十二世紀になったって難しいだろう。

 ましてや、五感や思考力まで造り上げるなど、絶対に不可能だ。

「じゃあ、私が人間だった場合……その説の信憑性って」

『人間だった場合』とか言うだけで、肌が痒くなる。

「ほぼ間違いないだろうな。だって、それ以外に考えられるか? 辻褄の合う説がさ」

「今は……ちょっと、思いつかないけど……」

 人為的に記憶喪失にされたなんて、突拍子もない話だ。だが、獏から聞いた話よりは、余程に現実味があって、受け入れやすいことだとも言えた。

「頭に電気を流して記憶を消すとか……? なんかそういうの聞いたことある」

 徐々に冷静になりはじめた私の脳裏に、様々な仮説が浮かんでは消えていく。それも創作物の中の話だったかもしれないけど、人造人間とかよりは抵抗が無い。

「方法は知らんが……俺が知る限りは、ここにそんな実験施設みたいなもんは無いな。イコール、人造人間が造れそうな施設も無いわけだが」

 私はちょっとがっかりした。

「施設が無いのに、記憶は消されたと思うの?」

「状況がそう言ってるからな。状況証拠ってやつだ」

 写楽は残っているコーヒーを飲み干し、名残惜しそうにカップの底を見て「飲みすぎだよな」とひとりごちてから、新しい煙草に火を点けた。

「記憶を消したのは、十中八九、この村に住んでいる誰かだろう」

 煙が喫茶店内に広がっていく。今更ながら、こんなに店を煙草臭くして優月さんに怒られないのかと思ってしまう。

「ここで重要なのは、犯人の特定じゃない。もっと別のことだ」

「……私達が望んでこの村にやってきたのか、それとも、全く自分には関係の無い理由で、無理矢理記憶を消されたのか」

 悩むことなく言葉を継ぐと、写楽は少し驚いたようにこちらを見た。彼が何を重要と考えているのかは知らないが、『記憶を消された』のなら『何故消された』のかが大事だろう。

 写楽は静かに笑みを返してくる。

「そうだな。その通りだ」

 授業中の教師かと内心でツッコみつつ、私は話す。

「前者だった場合、思い出しても損でしかないような事を、わざわざ呼び起こして後悔するって訳ね」

 私が記憶喪失に『なりたくて』。

 記憶喪失に『してもらいに』この村に来たのなら。

 記憶を取り戻しても、せっかく消えた傷をまた抱え直して私は後悔するのだろう。

 しかし当然、後者の可能性も高い筈だ。確立で言えば半々だろう。そして、後者なら単なる事件だ。単なるじゃないかもしれないが事件だ。だったら、事件なのかそうじゃないのか調べればいい。それから、記憶を取り戻すか選べばいい。

「ああ。しかも俺は、後悔するだけじゃあ済まないと考えている」

 写楽は、今までよりも更に表情を引き締めている。これ以上、何を言う気なのか。

「例えば……忘れないと生きていけないような、性格が破綻してしまうような経験をして、俺達が、記憶を消してもらう為に宮景村に来たとする」

「うん」

「過去を思い出してしまったとして――その“俺”はどうすると思う?」

「さあ……」

 他人の判断なんてそれこそ千差万別である。何年も付き合いがあって、手の内を知り尽くしているというのならともかく、会ったばかりの男の行動を、どう予測しろというのか。

 どんな答えを期待していたのかは知らないが、彼は満足そうに頷いた。

「自分の行為を後悔して、記憶を消した人物に再び同じ事を頼むだろう。そして再び、何もかもをリセットして、あの旅館の、布団の中から人生を始めるわけだ。同じ説明をされ、それに疑問を抱き、散々悩んだ挙句にやはり同じ結論に辿り着く。記憶を取り戻そうと奔走して、無事手に入れた時」

 写楽は、そこで言葉を切った。


「次に目覚めるのは、あの和室の布団の中だ」


 セーターの下の肌が、ぞわりと泡立つのを感じた。理屈からは生まれない、本能が現す恐怖。

「漫画や小説なんかで、一日を何回も繰り返す、とかいうのがあるだろ。で、登場人物の大半が、その事実に気付いていない。俺達は、それを地でいっちまう。実際」

 写楽はいきなり顔を近付け、少しのけぞった私に対して、声を低くしてこう告げた。

「今の俺が何度目の俺なのか、教えられない限り分からないんだ」


 夜が近くなり、太陽の光と闇が混じるこの時間。扇風機を連想させるライトの電球が細々と灯る中、薄暗くなった店内が沈黙する。光量の低下と共に空気が重くなり、窓が開いていないにも関わらず、冷たい風が何処かから侵入してきているような錯覚に陥る。

「俺は、今の自分が好きだ。変わってしまうなら、今の俺でいられなくなるなら、このままの方が良い」

 返す言葉も思いつかず、私は黙って、右手で空のマグカップをいじくり回していた。言っている事は理解出来るし、その意味をじっくりと考えてしまうと、自分としても取り返しがつかなくなりそうで恐かった。

 それでも。

 私は無性に苛々してきて、彼に怒りをぶつけずにはいられなかった。


「すっごいネガティブ」


 そんな未来の無い想像なんて、考えたくないし考える必要もない。全てが仮定でしかない今の状態では真実味も皆無だし、自らをマイナスな論理に漬からせて、現状が良くなる事など無いだろう。

 後ろ向きな思考が生み出すものは、停滞と後退だけだ。

「私だったら、喜ぶよ? 記憶を取り戻したからって、今の記憶が消える訳ないじゃん。こうして悩んで、あんたと話してカレー食べてコーヒー飲んで、私は、ここに居ることをこれ以上ないくらい感じてるのに、忘れるなんて有り得ないよ。過去を思い出せたら、それがどんなに苦くったって、きっと嬉しいよ」

 一気に言い切ってから、鼻息荒く写楽を見る。呼吸を整えてから、少々気圧されたように身を引いている彼を前にゆっくりと胸に手を当てる。


「……この空っぽの恐さを覚えてるから」


 強がりだという事は解っていた。私みたいなずぶの素人が何を言っても、説得力など欠片も無い。だがここは、断言しなければいけない。

 例え間違っていようが、写楽の仮説にどれほど真実味があろうが、自分には関係無い。強気でいないと、私は私じゃなくなってしまう気がしたから。

「ね? そうでしょ?」

 有無を言わせぬ迫力ある声音になるように精一杯力を込めて、ついでに頬杖をついて余裕のあるふりをして、笑ってみせる。

 写楽は、暫く呆けたような表情をしていたが、脱力したように破顔して座り込んだ。

「そうだな」


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