「わかったのか?」
「だって、違うって言うだけ、そうだねって言ってるようなもんだし。うん、首が伸びる人はいる。人の首は伸びる。それだけ認める」
どこまでも突っぱねると考えていたのか、意外そうな写楽に私は言った。多分、苦いものを口したような顔をしていると思う。
「逆によくわからんが……」
困惑している様子の彼は、何のつもりか、もみ消した煙草を摘みあげる。
「……?」
ゴミ箱にでも捨てるのかと見ていたら、引き出しから鋏を出して焦げた先を切り取り、短くなった所でまたライターで火を点ける。
「……何してんの?」
「最後まで吸わないともったいないだろ」
「貧乏くさっ!」
しれっと答えられ、思ったことがそのまま口から出た。吸殻を再利用するやつなんて、初めて見た。けれど、写楽は恥じ入るどころか呆れた顔をしている。
「そうは言ってもな、大事にしないと次に煙草が届くまで保たないんだよ」
「ああ、そういう……」
外との取引は、そんなにしょっちゅう行われているものでもないのだろうか。
「煙草、止めればいいのに」
「人造人間にニコチンの害とかあるのか?」
冗談めいた言い方だが、どこか投げやりにも聞こえる。
ふと思う。ここが楽しいから全ての非現実を『受け入れる』というのと、それを『良しとする』ことは違うのではないだろうか。
人造人間であることを認めても、そこに忌避感は残るのではないだろうか。
「知らないわよ。獏に訊けば?」
私はわざと、ぷうと頬を膨らませてカウンターに顎を乗せる。椅子に座ると床に着かない脚を、ぶらぶらさせて考える。
店内には、ピアノの他に別の楽器が混じったクラシックが流れていた。それが誰の曲なのかは当然のようにわからない。この作者にも波乱万丈な人生があって、その上で色々考えて、それを反映させて曲を造っているのだろう。
何も無い私には、こんなもの造れない。
先延ばしにする事が、本当に正しいことなのだろうか。人造人間というのが真実なら、ただ恐ろしいだけだ。
だけど、優月さんの予測が的を射ていて、私が記憶喪失なのだとしたら。
やっぱり、私はそれを取り戻したい。
それはきっと、私という人間を構成する、大事な一部なのだから。
「ねえ」
「んー?」
「私は、自分にも歴史ってやつがあるなら、知っときたいと思うよ」
写楽は三秒程の間を空けて、「そうか」とだけ答えた。煙草はとっくに燃え尽きている。煙とカレーの匂いが混じり合う空間で、私は言った。
「あんたは、この村に来てから、そういうことも考えたんだよね。勿論。でも、全てを保留にして逃げるのが最善だって考えた。どうして?」
「…………」
カウンターの向こうの彼は、何も答えない。ただ背を向け、コーヒーサーバーに残った漆黒の液体をカップに注ぐ。
「家族や友達との楽しい思い出が私にも在るなら、家に帰りたいし、楽しいこと忘れるなんて悔しいよ。ここで暮らすのも良いと思うけど、それは、一番の選択なのかな?」
こちらを向いた写楽は、コーヒーを一口飲んでから唸るような声を出した。
「優月から何か聞いたのか」
頷くと、彼は溜息を吐いた。休憩用の背の高い椅子に腰かけて足を組む。
「俺が人造人間じゃなくて単なる記憶喪失だって話だろ」
「知ってたんだ」
面白くなさそうな顔で、写楽は肯定した。
「ああ。……勿論、その可能性だって考えた。だけど、俺にとっては俺が人造人間である方が都合が良いんだ」
「何で……? 意味わかんない」
彼の表情は、さっきとは打って変わって真剣だった。まるで、何かの禁忌に触れる前のようだ。
「……俺は、自分の記憶が良いものだとは信じられないから。むしろ、忌まわしいものである可能性の方が高いと思ってる。お前が来たことで、その考えは更に強まった」
「私が来たことで……? 何で?」
「何で何でって、言葉を覚えたオウムか」
顔を顰めて、写楽は暫くコーヒーをちびちびと飲んでいた。カップを置き、もう一杯飲むか、と言ってカウンターに回りこむと、コーヒー粉の缶を手に背を向ける。
「お前は」
フィルターに粉を入れる、ざらざらという音が耳に届く。
「俺達が記憶喪失者だと仮定したとして、一体どこで、そうなったと思う?」
訊かれて考える。私が目覚めたのは旅館だという屋敷の中。目の前にはろくろっくびと獏が座っていて、二人が誰なのかわからなかった。でも、布団の持ち主と、寝る前に顔を合わせていないというのも不自然な話だ。
ということは――
「もしかして、眠った後?」
思いついたままを口にする。
「そうだ」
硬い口調で、写楽は肯定してきた。だが、それの何処が問題なのだろうか。さっぱり見当がつかず、後に続くであろう説明を待っていると、彼は準備を終えた機械に背を向けて、真摯な表情で私を見詰めた。
「……?」
「…………」
話を続けずに黙ってしまった彼は、私が自分で答えを出すのを待っているようだった。けれど、わからない。眠る前までは記憶を失っていなかった。それが何を示しているというのだろうか。
「……えっと……?」
「わかんねぇか? つまり……」
写楽は数秒迷うようにしてから、口を開く。
「俺達は、人為的に記憶喪失にされたってことだ」
一言ずつを噛み締めるように告げた彼は、目を逸らすことなく私を見ていた。そこから伝わってくるのは、負でも正でもない、静かなだけの、無風の中の湖を見ているような、そんな感情だった。