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第2話 もう一人の人造人間

                二

 脇の下あたりまで伸びた紅みがかった茶髪が、水面に映って揺れている。丸型の顔の中には、特別大きくもない目に低い鼻、薄い唇が収まっていた。可愛くはないなと、どこか客観視している自分がいる。

『君は、僕に造られた人間だ』

 獏の言葉を、思い出す。

(造るなら、もっと可愛くしてほしかったな……)

 自然と浮かんできたこの考えにそら恐ろしくなり、川面に映る私から目を逸らす。

 途端に、鼻の奥がつんとしてきた。

「……くしゅんっ!」

 今日、何度目のくしゃみだろうか。外の空気は、零下なのかと疑いたくなるほどに冷たかった。白い着物一枚で飛び出してきたからとにかく寒くて、体は絶えることなく震えている。指先が真っ赤になってしまった裸足の足には、既にいくつものすり傷が出来ていた。

 それでも、帰ろうとは考えなかった。

 帰る所なんかどこにもない。地球には何十億という人間がいて、家だってもう必要ないだろうというくらいに建っているのに、私は、そのどこにも帰れないのだ。

「ばかみたい」

 鼻水を啜りながら、一人ごちる。

 私はあれから、寝かされていた部屋から庭へと飛び出し、ただひたすらに走った。土の上を、敷き詰められた砂利の上を走り、あの建物の門を抜けた。がむしゃらに、目前に伸びる道を、息が苦しくて、心臓の鼓動がこれ以上無い程自覚出来ても全力で走った。走って走って走って、最後に辿り着いたのがこの河原だった。方向転換をすればまだ行けたけれど、無闇やたらに草むらへ入ったら、その先にあった岩に足をとられて転んでしまった。一度止まったら最後、もう、動く気にはなれない。

 空を見上げれば、見慣れたという感想すら浮かばないくらいに当たり前の景色があった。周囲の町並みはどうだっただろうか。少なくとも、ファンタジー全開な異境という感じではない。都電に二時間程揺られたらお目にかかれそうな、極めて日本的な田舎という印象だ。観察する余裕などなくここまで来たけれど、多分正しい。上下左右どの角度から見ても、同じことしか言いようがないと思う。

「あの野郎……」

 思ったことをそのまま、声に出してみる。

 彼が変な事を言わなければ、私は、すんなりとここに馴染んでいたかもしれない。

 のびのびと、楽しく毎日を過ごせたかもしれない。

 だって、ここはまるで――楽園だ。

 呆れるほど何にも無い世界。生活感の無い箱庭のような場所で、幽かだけれども確かに在る人間の気配が。

 それが、ひどく心地良い。

 ふ、と背中が重くなった。振り返ると、厚手のジャンパーが掛けられていて、すぐ後ろに黒髪の若い男が立っている。随分と痩せていて、明るい、人懐こそうな顔をしていた。二十代から三十代半ば、の中には入っているだろう。

「よお」

 男は、意外と野性的な笑みでそう言った。

「……誰? 人造人間? ろくろ首? それとも……ただのモブの村人?」

「何て答えて欲しい?」

「…………」

 結構真面目に訊いたのににやりと笑われ、茶化されているようで少し腹が立った。その気持ちは見透かされているようだった。からかうように、彼は笑う。

「人造人間、と答えてもろくろ首って答えても、今のお前は俺を拒否する気がするんだが……村人って答えておけばいいのかな」

「…………」

 私は唇を尖らせて暫し黙り、それからちょっと警戒心を解いて訊く。

「拒否、されたくないの?」

「まあ、されたくないな」

 初めてまともに目を合わせた私に一度頷き、男は私の隣に座った。

「話をしないと、何も始まらないだろ? 俺は、お前と話がしたい」

「……どうして」

「お前が可愛いから、かな」

「……!」

 言われた途端、顏がぼっと熱くなった。膝を抱えて、男から目を逸らす。

「……な、何よ、ナンパだったの? 私はそんな……」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 軽い女じゃない。そう言いかけて、彼が言葉を被せてくる。のらくらとした答え。ふざけているように見えるけれど、私は気付いた。

 はっきりと答えを返せないのは、彼がモブの村人ではないからだ。

「……拒否しないから、本当のことを答えて」

 ぼそりと言うと、隣で男がぴくりと動いたのが分かった。

 沈黙が、落ちる。

「俺は、お前を連れ戻すように獏に言われた、人造人間だ」

「……そう」

 人造人間という言葉の響きに、まだ慣れない。その単語を聞くだけで、頭が混乱してくる。何を言ってるんだ、と思ってしまう。

 また、何だか腹が立ってきた。

 変なことを言う奴に、近くにいてほしくない。

 私は、私の常識の世界を守りたい。

「……悪いけど、どっか行ってくれる?」

「拒否しないって言ったじゃねーか」

「そうだけど……」

 気分を害した様子もない男と顔を合わせないまま、俯く。すると、彼が立ち上がる気配がした。歩き出そうとした彼を――

「……!」

「……?」

 彼のズボンの裾を、私ははっしと握っていた。

 座り直した彼は、特に話しかけてこなかった。私も正面を見たまま、何も聞こうとしなかった。考えをまとめたかったというよりは、時間が欲しかったんだと思う。頭の中は、空白だった。

 隣で、割と大きなくしゃみが聞こえた。それで我に返る。私にジャケットを貸したから、男は長袖シャツ1枚だった。

「……寒いな」

「……うん」

 それはそうだろう、とは言えないで素直に頷く。すると、彼はおもむろに立ち上がって尻をはたいた。

「移動するか。つっても……」

 彼は、まじまじと私に視線を注いでくる。

「な、何?」

「お前、靴履いてねーんだな」

「え? あ……」

 起きた時の姿のまま飛び出してきたのだから、もちろん靴なんか履いていなかった。

 男は私の前に来ると、しゃがみこんだ。それは、どう見ても――

「乗れよ」

 おんぶをしよう、という格好だった。

「えっ! ええっ!?」

「遠慮しなくていいから。ほら」

「いや、遠慮とかじゃなくて……」

「恥ずかしがらなくてもいいから。ほら」

「恥ずかしいわ!」

 つい叫んでから、私は彼の背中を睨みつけるように見つめた。

「うー…………」

 自分の真っ赤になった足を見る。建物――今思うと屋敷だったかもしれない――から出て走っていた時は全然気にならなかったのに、それなりに平静になった今は、この足で歩くのにどうしても抵抗を感じてしまう。

 目の前の背中がやたらと魅力的に見えて(乗り物として)、私は恥ずかしさとその魅力の前で葛藤した。

「いいのか? じゃあ」

「あっ、待って!」

 立ち上がりかけた男を、慌てて止める。彼は私を振り返ると、またにやっと笑った。

「ほら」

「…………」

 何だか負けたような気持ちになりながら、私は彼の肩に手をかけた。

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