闇の中に、赤みがかった三日月が浮かんでいる。
どこか不気味で、魅惑的で幻想的で、そしてせつない。
月は、何者にも邪魔される事無く、星々を家来のように引き連れてその存在を主張していた。
(こんな空、初めて見た……)
空だけではない。土も、空気も、澪が知るものとは違っていた。混じり気の無い自然が凍てついた空気によって更に浄化され――まさに、美しいとしか言いようのない光景である。
運転手と二人きりのバスの中、彼女は後ろから三列目の座席に座り、ひたすら外を見つめていた。
(もっと早くに、出会いたかった)
小さく息を吐き、目を落とす。その視線は、自身の右手の甲へと注がれていた。親指の付け根から真一文字に走った傷跡。決して消えないそれは、彼女にとって罪の証であり、最大の荷物でもあった。
だがそれも、今日で終わる。
約三十分の間、一度も止まらなかったバスが、緩やかに速度を落としていく。再び外を見ると、『宮景村』と刻まれた石碑が、丁度目の前を流れていくところだった。程なく、全身に感じていた振動が消え、運転手が無言の圧力で降車を促してくる。
「ありがとうございました」
本来持ちつ持たれつの関係である彼に礼を言うのも妙な気がする、と少し皮肉気に考えながら、とりあえず彼女はステップを降りた。途端に、バスは左後方の脇道まで後退し、Uターンをして去っていく。
土煙が舞う背後には目もくれず、早速、唯一の荷物であるポシェットから地図を取り出し、目的地である旅館の場所を確認する。パソコン独特のゴシック体で書かれた説明文が、歩いて一時間と告げていた。
準備万端に運動靴を履いた足で、澪は静かに一歩を踏み出す。
自分の魂を、洗い流す為に。