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第3章 「貴方は真実に心臓を穿たれた」②

思考回路が一本に繋がる。強烈な悪寒。

手を引きたい。聞いたら戻れない脳内で反芻される言葉とは裏腹にもう一人の自分が告げる。

手を伸ばせ。聞いて、対処し、迎撃しろ。決して折れない。怖いと感じる自分とは裏腹にこの数年間で培われた防衛本能が告げる、撃たれる前に、討ち取れと。

「18歳の女性であること、髪の色が茶色であること」

そんな特徴はごまんといる。あふれかえっている、むしろ、当てはまらないほうが年齢的には少数だ。染めていなくても、日々のダメージ蓄積や夏場のプールの塩素のせいで髪が変色するから、茶髪の18歳の女子高生なんていくらでもいる。

「最後に、マーブルであること、よお」

新鹿の地を這うような低い声が告げる。マーブルであること、あぁ、それなら少ない。それなら絞り込める。それなら。耳を塞ぎたくなる様な事実に、倒れそうになる。同時に、なにか冷たいものを感じた。背後に冷たく、地を這う、とっさにテーブルの上のカッターナイフを向けると、そこに立っていたのは。

「あ、浅葱」

「顔、真っ青だ」

詰めた息を吐く。浅葱は私の手からナイフと端末を奪い、端末をスピーカーモードにすれば、背後に回り私を抱き締めた。安心させる様に守る様に。上がっていた息が落ち着きを取り戻していく。呼吸が収まる。どうやらよほど自分は酷い顔をしていたらしい。浅葱がこうしてくるのはいつも余程のときだ。

「で、新鹿サン。なにがどうしたんですか」

どうやら会話は聞いていなかったのか。まあ、そもそもいつから聞いていたかは知らないが、浅葱は端末に声を投げかけた。

「あら、浅葱クン。こんばんはあ」

食えない人だなあなんて思う。それか向こうは電話の主が変わっても問題ない、と考えていたんだろう。同じ班なのだいずれ露呈する話でもあるし。

「こんばんは、で、内容教えてくださいよ」

私のとったメモとにらめっこした浅葱は早々に、それを机の上に置いた。うん、断片的過ぎて内容が把握しきれなかったのだろう。心の中でごめんね、と謝りながら今までの一連の話をもう一度聞く。唇を噛んで恐怖に耐えていると、唇に指を割り込まれた。

「噛まないで、傷になるよ」

浅葱の指なら傷ついていいの?……そもそも見えていたのかなんて色々思い浮かぶも、気遣われていることに気づけばなにもいえなくなる。人の皮膚はしょっぱいなあなんて思考に至れるほどには冷静になったころ、話は私の聞いていたところまで戻った。

「さて、此処までで質問あるかしら」

新鹿の問いに、浅葱が私の口から指を引き抜きながら問いかけた。

「俺たちが、俺や伽耶さんがそこまで至るっていうのは無理なんですか」

浅葱はそれが一番の策だ、なんて言わんばかりの強い語調で言う。だけど、それは。

「な、……」

でかかった言葉は浅葱の手によって塞がれ、「しー」なんていわれる始末だ。だが、浅葱が望んだそれは狂気に堕ちる行為。絶対にさせてはいけないし、してはいけない、浅葱の腕を強めにたたくが、びくともしない。それは今まで何が何でもさせてはいけないと防いできた行為なのだから。

「残念ながら無理よお」

極めて冷静に。新鹿は言葉を放った。無理、だと。その言葉に私は安堵して体の力を抜く、無理ならそうなることはない。

「どうしてですか」

浅葱は淡々と問いかける。どこか棘を感じる声に、浅葱の思惑がそこにあることを感じる。

「それはね、人員を失う余裕がこちらにはないからだよ」

続くのは麻布の声。言い聞かせるんじゃない、強引に屈服させる強い声。

「実際、過去それを何回かやろうとしたデータも貰ったんだ。まあ、結果は察してくれると嬉しいんだけどね」

結果は察せ。ようは実験は失敗した、ということ。あぁ、狂気を乗り越えられる人間なんて一握りだろう。浅葱の顔を見上げれば、諦めたような諦めていないような曖昧な色を浮かべていた。だけど、それも数刻。私を一度開放してからぎゅうと抱きしめなおし、不貞腐れて「はーい」なんていうのであった。でも、私には分かった。浅葱の腕が小刻みに震えている、浅葱がこんな風な反応を取るのはこの数年間で初めてだ。怯えるようで、普段の浅葱からは考えられないほど顔が青ざめている。

「まあ、話を戻すけど……そういうことだから、在香。君は」

君は、そこまで麻布が言ったところで食い気味に浅葱が端末に問いかけた。

「昼夜問わず、俺が護ります」

「あらあ、分かってるじゃない」

新鹿の冷やかすような声が今はとても救いに感じられる。それに、浅葱がこんなにも怯えているからだろうか、さっきとは打って変わって冷静だ。頭の奥が冷たく、シンと冷えている。

「明日、学校へは行かなくても行ってもいいわあ。家から出さないのも得策だけどお」

ラボへいらっしゃい、なんて艶かしく呟く新鹿に適当に浅葱は返事をしながら端末をぶっちぎった。

「あさ」

「在香」

振り向こう、その意思を浅葱の腕は強く拒絶した。冷たい床の上、痛いぐらいに食い込む浅葱の腕から震えているのが分かった。うなじ辺りだろうか、何度か吐息が当たる。恐らく、また、なにをどう伝えようか迷っているのであろう。口をあけては噤む、そんな動きが微弱な感触で伝わる。そして、15分ぐらいだろうか。真剣な声が形となった。

「今日から、一人行動はしないでほしい」

本当は要望じゃなくて決定でありたいだろうに。決め付けない辺りが浅葱のやさしさだ。そして、自分は浅葱の優しさの理由をいまだに知れていない。そのことにちくちくと胸が痛む。だけど、今はそれを考えているときではない。その言葉が現実逃避だろうが、浅葱が言ってくれるまで待つ、と決めたのだ。

「はいはい、大丈夫。私も命は惜しいよ」

苦笑してそう伝えれば浅葱の腕は安心したように少し緩んだが、まだ離してくれる様子はない。伝わってくるのは動揺、焦り、苛立ち、不安。さまざまな負の感情がまぜこぜになったものだ。吐き出したいだろうに、でも、それを言ってしまえば言いたくない、つまりは隠してきたことまでも言ってしまうのだろう。

(心配、してくれてるんだな)

いえないけど、心配をしてくれているのは確実で、護ろうとしてくれているのも確実で。だから。

(私は傍にいるしか、できない)

今は声をかけても、抱きしめても、すべてが水の泡と化すであろう。それなら今宵は浅葱の不安が消えるまで傍に居ようではないか。


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