志藤在香/紫藤浅葱宅前 17:51
家の前で意気込む。
「よっし」
インターホンを押そうとして手を引っ込める。自分の家なんだから押す必要はないじゃないか。なにやってんだろう、と苦笑をし、意を決して家の扉を開ける。
「た、ただいま」
声が上擦ってしまう。
「おかえり」
家に入れば、端末をいじって床に座っていた浅葱が顔を上げて微笑む。
(あ……)
一瞬、とても安心した色を浮かべる浅葱。これから別れ話なんて相手にこんな顔はしないだろう、驕りなのかもしれない。だけど、それだけで落ち着いて話ができる、そう私は感じた。
「昼飯、食ってないでしょ?作っておいたよ」
昼飯。そういえば浅葱はもしかしたら昨日の朝からなにも食べてないんじゃないか?もしかしたら適当に拾い食いしてるかもしれなけど、それは自分が居なかったせいであって。それが自分だったら、に置き換えると尚更罪悪感が増す。
「あ、浅葱!」
まず色々言いたい事があるが一番に言わなければいけないことがある。浅葱は端末をポケットにしまい、きょとんと不思議そうに私を見つめる。
「色々、言わなきゃいけないことあるけど、その、一番最初に……ごめんなさいっ」
深く頭を下げる。謝ることそれが第一歩だ。全部相手が悪いと決めつけ、子供みたいに逃げてしまった、自分が一方的に話すだけで相手の話を聞かなかった。いっぱい、いっぱいあるけど。唇が震える、次なんの言葉を紡げばいいのか、そもそも自分は喋っていいのか、ぐるぐるとぐちゃぐちゃと頭の中を駆け回る考え。ふるふるとたぶん体も震えている。そうしていると、頭の上に手がのった。
「うん、とりあえず、謝らなきゃいけないのは俺もだし、中はいろ?」
目を開ければ、しゃがみこんで覗き込んでくる浅葱の顔。あまりにも近いその距離に驚き、びくっと反射的に頭を上げて後ずされば、ドアに頭を打ち付ける。
「在香?!」
「っ~~~~」
そりゃもう形容しがたいぐらい痛い。じんじんと痛い後頭部を抑える。
「おい、だいじょう……あ、冷やすものもってくるか?!」
あたふたと浅葱は聞いてくるが、大丈夫と片手で返答する。なんだか。
(すごい、心配、してくれてるなあ)
この心配されようのどこを、なにを疑っていたのだろう。疑う余地なんてないじゃないか。
「たあ……ごめ、リビングいこ」
頭を抑えて、靴を脱げば、浅葱が気持ち悪くないか?とか血が出てないか?たんこぶは?なんて過保護にも聞いてくる。
(あれ)
その表情は怖さの欠片もない、純粋にただ私を心配して、ただ純粋に気遣ってくれている顔だ。1日前に感じた恐怖が嘘のように薄まる。一つ一つに大丈夫だよなんて返しながらリビングまで行けば、食卓にはラップに包まれたご飯が乗っていて。いつ帰ってきてもいいようにしておいてくれたことに尚更胸が暖かくもあり、むず痒くもなる。
「在香?」
浅葱に名前を呼ばれれば現実に引き戻される。いけない、いけない、トリップしていた。
「やっぱ、打ち所悪かったんじゃ」
眉を下げておろおろとする浅葱に首を振る。なんでこんなに心配してくれるのか、ここまでしてくれるのかそんなものは分からないけど、これは邪なものではないことは十分に分かる。思惑はあっても、絶対に邪悪なものではない。
「浅葱、ありがと……え、と」
うーん、なんて立ったまま唸っていると、浅葱は少し心配そうにしながらも、どこか決心を決めたように話は座ってから、なんて言われた。そういわれれば頷くしかなく、食卓に腰掛ける。浅葱もその正面に腰掛け、料理を勧めてくる。
「え、いや、食べながらじゃ」
「いいよ、お腹すいてるでしょ」
そういう自分だって、そう思いながらふ、と心の中で気づく。自分は今までこの視点がなかったんだな、と気づく。他人を気遣い、他人に優しくする、視点が。
「い、いただきます」
浅葱がいかに精神的に大人であったか、私を立てていてくれていたか、なんて今更ながらに思い知りながら、ラップをはずして食事を摘んでいく。
「で、まあ、その、今回のことなんだけど……」
気まずそうに頬をぽりぽりと掻く浅葱にこっちも緊張が走る。なんとなく箸を齧ったまま、動作が止まって浅葱を見つめてしまう。
「俺も悪かったし、在香も悪かった。いや、こういっちゃいけないんだろうけどさ」
まとまらない言葉を少しでもまとめる様に、浅葱は指で机にいくつか文字?を書いている。円を書いて、その机を見て言葉を拾うように。
「俺達には圧倒的にコミュニケーションが足りなかったんだと、思うんだけど……」
なんだかんだで浅葱も同じ結論に至った、ということなのだろう。そのことに多少の嬉しさを感じつつ、頷く。
「そうだね、私は浅葱のことを理解しようとしてなかった」
「俺も、在香に与える印象、というか、まあ、そんな感じのを考えられなかった」
浅葱は一瞬下を向き、言葉が固まった、といわんばかりに頭を上げた。私も、固まってしまう。
「コミュニケーションを」
「話を」
しよう。二人して語尾が小さくなっていく。言葉はまだばらばらでも、同じことを思っていて。次の瞬間に浅葱も私もぷ、と吹き出した。
「あはは、私たち同じこと思ってたかあ」
「だな、はは、はー……よかった、別れを切り出されたりしなくて」
浅葱にその言葉を切り出されると思ったのは私のほうだよ、なんて言えば、そんなことするわけない、なんて軽口が帰ってくる。ひとしきり笑いあえば、どちらともなく頷いた。なんとなく満足しているような、充足しているような、表情をしている浅葱にこっちまで釣られてしまう。そして、ふ、と大事なことを思い出す。
「あ、浅葱」
「なに?」
両肘を突いて、顎を支えながらこっちを見てくる浅葱に胸の辺りが熱くなるのを感じながら、誤魔化すようにバッグを漁る。つくづくイケメンとはいるだけでずるい、存在だと思います。
「その、機関に入りたいって言ってたじゃない」
少し端っこの折れてしまった茶封筒を取り出し、中身をチェックする。そこにはとても明るく、アットホームなうんたらかんたら、就職の広告のようなものが書かれているパンフと何枚か同意書なんてのが入っていた。それを浅葱に手渡し、熱くなった胸を誤魔化すように煮物を口に放り込む。
「いや、別に無理はしなくても大丈夫……時間はまだまだあるんだし」
「……それなんだけど、私達の時間はあるんだけど、ね」
箸をカリッと噛み、守秘義務が課せられている内容をどう説明しようかと矛盾がないように言葉を組み立てる。
「これ守秘義務課せられてるからあまり詳しくは言えないんだけどね」
うーむ、大事件ぐらいは言っていいものだろうか。
「ちょっと大事件があって、人員不足気味だったのが本当に人員不足になっちゃって、私が、強制的に引き抜かれました」
そこまでいうと、浅葱は少し青い顔をして、大事件、と口の中で反芻している。大事件ぐらいでちょっと過剰すぎやしないだろか。そんなことを思いながら白いご飯を一口食べて飲み込む。
「ン……で、機関の、まあ、浅葱は知っていると思うんだけど、パートナーが必要なんだけど、浅葱さえよければ」
そこまで言って気づく。浅葱がぶつぶつと何かを口の中で反芻している。大事件、なにか心当たりでもあるのだろうか。いや、まあ、情報が早い浅葱はもしかしたら何処かで聞きかじっているのかもしれない。つぶやかれる言葉に耳を傾ける。「あいつか」なんとかつぶやいている。でも、大半のことはたぶん浅葱の頭の中で片付いているのであろう。情報が断片過ぎてなんのことかわからない。そして、何より、このままじゃ話が進まない。少し申し訳ないが、少し大きめの声で浅葱の名前を呼んでみる。
「ッ、あ……ごめ」
肩を跳ねさせてから、きょろきょろと辺りを見回して、額を手で押さえている。
「大丈夫?というか、どうしたの」
困ったように眉尻を下げて、うーんと唸れば、口を開いた。
「あまり嘘はつきたくない、けど」
私はふむ、と頷く。したくない、けど言えない。そんなニュアンスを込めているのは明白だが。自分が踏み込んでいいのだろうか、多分、数日前のまだ、冷たい私だったら、あ、そう。で切り捨てていたが、知れるなら知りたい。浅葱のことを理解したい。
「これに関しては、微妙すぎて、なにも言えないんだ……だから、確証が持てたらちゃんと伝える」
浅葱はまっすぐ、嘘なき瞳で私を見つめる。その瞳の色はこれ以上は聞かないでほしい、と伝えていた。相手の気持ちを無視して無理矢理聞きだすつもりも私にはないためにこくんと頷けば、私の話を謝罪とともにもう一回、なんていわれる。
「うん、まあ、浅葱なら知っているだろうけど、機関ってツーマンセルで動くから、そのパートナーになってほしいな……て。そのための資料もちゃんとその中にあるよ」
封筒を行儀は悪いが、箸で指差す。浅葱は少し驚きながらも、封筒の中身を見出す。数分、いくらかおかずやご飯を平らげ、カウンターに食器を上げれば浅葱は覚悟を決めた、といわんばかりに穏やかに笑った。
「了承するよ、もちろん」
無論、私もその言葉に安心の意味で笑みを浮かべた。明日から、もう勤務開始だよ、そんな言葉とともに必要事項を伝えて、書類記入を見て、他愛もない話をすれば夜が過ぎ去っていくのであった。
2003/05/21
山浪高校 1年C組教室 12:15
チャイムが鳴り響く、昨日はなんだかんだで色々話しあえたものだ。現在昼休み、教室はあいもかわらず、いちゃつくカップルたちの巣窟で大変居心地が悪い。ため息をついて立ち上がれば、目の前の席に居た浅葱が袖をくい、と引っ張った。まあ、その可愛らしい動作に多少は思うところもあるわけで。
「私、外行くけど」
いく?なんて語尾が小さくなる。恥ずかしい、昨日はあんなに素直に話せたのに、いきなりそう毎日はいけない様だ。人間とは難しい。だけど、それだけで嬉しそうに浅葱は笑って頷くものだからついつい頬が熱くなる。
ちなみにあれから麻布は結局、
ああ、そうそう。触れるなら遠藤一のことにも触れておかなければいけないかもしれない。そっちの手はずは主に新鹿がやるといっていたが不安になったために、少し聞いたが彼が望むなら高校にはそのまま通わせるし、一応いじめが
そして今日。開設2日目の新鹿班に新たなメンバーが加わる日。廊下を歩きながら浅葱は気になっていた、と口を開いた。
「どんな人たち?その二人って」
その言葉に新鹿に会ったらどんな顔をするだろうか、麻布を見てどんなリアクションをするだろうか、なんて考えるとついつい笑いがこぼれてしまう。うん、これはきっと。
「秘密、会ったら分かるよ」
悪い人たちじゃないから、と付け加え一歩先を歩く。廊下に差し込む陽光は今日も穏やかな光をしている。
「えー」
ブーイングする浅葱も穏やかな表情なものだ。今だけは私たちは普通の高校生をしている。爽やかな風が窓から入り束ねた浅葱の髪が揺れる。
高校一年生、春の物語はこうして幕を閉じた。