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第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」⑨

上級役所 個人研究室203号 16:46


あのあと。尋問?なのだろうか、取調べなのだろうか。どちらかは分からないが、それは新鹿と麻布のマンツーマンで行われることになった。

(体よく追い出されたなあ)

朝いってきますと後にした新鹿の研究所という名の私室で昆布茶を啜る。終わるまで待機と言い渡された。いつもならここで帰れる分、この後もなにか役目があるのだろう。ぼーっとしながら、時計の針を見つめる。それしかやることがない。だけど、そんなことも飽きるわけで。やることもなく考えることもなく、だけど、頭を空にすることもできない不器用な私が思い浮かべるのは当然今直面中の問題でしかない。

(家、帰ったら)

今すぐ奇声をあげたくなる。もうどうのこうの言う暇もなにもないのだが。言い換えればなるようになる。これは私がコミュニケーションをとることを怠ってきたツケでしかないのだから。膝を抱えて額を膝に押し付ければ、そのまま固まる。今すぐ過去に戻れるなら、そりゃもう、もう少しコミュニケーションをとか色々言いたい。だが、実際に戻れるわけもなく無常に時間は過ぎ去る。

(なにごとも、起こってから気づくんじゃあね……)

今までは切り捨ててきた。でも、今回はそうはいかないし、ましてや次のパートナーを決めるにしても浅葱のような人はいないだろう。だから、すごく性格が悪いかもしれないが、手放したくない。やっと、やっとだ。問題が起こって此処までは自分の感情として認められた。そして、相手を物扱いしていたんじゃないか、なんて心の中に沢山の後悔が浮上する。関わらなくていい、分からないのだから、なら、関わらないという私の悪い癖。

(本当に性格悪い)

自分の性悪さに目をそらしたくもなるが、それじゃだめなのだ。受け入れて、その上で改めて浅葱とのコミュニケーションをとらなければいけない。むぅと頬を膨らませる。すると静かに扉は開いた。

「ン?」

顔を上げ、ドアのほうを見ると。新鹿と麻布がいた。もうそんなに時間がたったのかと時計を見ればかれこれ数時間は経過していた。

「志藤チャン、なにブサい顔してんのよお」

「ブサくないです」

新鹿は、はー、疲れたなんて呟きながら私の元へやってきて屈み、膨らんだ頬をうりうりと指でつついてくる。そして、ここでふ、と疑問を感じる。

「あれ、麻布先生ここにいれていいんですか?」

麻布はあくまで被疑者、こんな大事な書類がかさばる部屋につれてきてしまっていいのだろうか。疑問符を頭の上に浮かべつつ麻布を見ていると、困ったように苦笑を浮かべる麻布。

「あーいいのよお、もう、早貴クンは」

早貴クン……?唐突に呼び名が変わっていることに一抹の不安を感じていると、目の前のソファに麻布は行儀よく腰掛けた。

(あれ)

このとき私はふ、と半年前を思い出す。検査だ何だと連れ回された挙句、「ちょっと説明するだけよぉ」なんてまんまと仕事に巻き込まれたあの日を。なんかダブるような、と心の中で呟いていると新鹿はとてもそりゃ凄く楽しげに私の頬を弄んでいる。

「せんせ……?」

最後の音が言葉にならない。嘘ですよね?ですよね?!と問いかけたいのを心の中にしまいこみ、麻布を見てみると、申し訳なさそうに目を逸らされた。

「ごめんね、うん、なんか先生以外の職業についちゃったみたいなんだ」

告げられた真実はそりゃもうインパクト大だ。はい?恐る恐る麻布の顔を見てみれば麻布の顔にも信じたくないという文字が気持ちが刻まれてる上に、些か青い、顔が。あの、さっきまで何聞かれても飄々としていた男の顔が、だ。ばっと、私の頬を弄ぶ腕を掴む。

「新鹿さん、詳しく、説」

詳しくを強調しつつ言葉を続けようとすれば早々に遮られる。

「早貴クンねえ、引き抜いちゃった」

そりゃもう今までにないくらい楽しげに口を開く新鹿。口元に浮かべる笑みはまるで食事を終えた蛇のように満足感を出している。

「引き抜いたって……被疑者の尋問してたんですよね」

眉間を人差し指と親指で押さえながら問いかける。なんかもう答えが予想できる。

「被疑者よお。だけど、早貴クン犯行も犯してないし、犯罪を教唆もしてないのよお」

厳密に言うとまあ、アレだけどね。なんて、わざとらしく困ったように肩をすくめた新鹿はくるりと楽しげに麻布の背後に回り肩に手を置いた。

「でもお、ほら、こんな特殊な人間放置しておくには危ないじゃなあい?」

カーディガンをたなびかせ、くるくると歩き回るさまはまるで欲しかった玩具を手に入れた子供だ。楽しそうに、でも、無邪気に。そして、残酷に。

「だ、か、ら……ねえ?」

新鹿は舌なめずりをして、麻布を捉える。

(ご愁傷様です)

もうそれしか言葉が出ない、否、言葉も出ずに心の中で零すしかない。新鹿にロックオンされたら最後、大体新鹿の思い描くポジションに無理やり押し込められるのだ。一番持たせちゃいけない人に権力持たせたここの最高責任者をとても恨みたい、とすら思う。いや、もはや最高責任者ですら新鹿の掌の上なのかもしれない。

「一応、聴きますが。それで先生は了承したんですか?」

動揺を誤魔化す様に昆布茶を啜り、足を組みかえる。かたかた指が震えていたのはおそらく悟られていたであろう。

「未だに信じられませんが、させてもらいました」

きっとあの手この手で追い詰められたんだろうなあなんてぼんやりと思うしかない。可哀想になんて麻布を見つめてれば、新鹿の視線が何故か麻布から私を捕らえた。

「なんですか?」

新鹿の目に留まるなんて絶対よくないことしかない。経験則でそんなことはとうの昔に学んだのだ。いや、とうの昔といっても半年ぐらい前だが。新鹿はにじりにじりと、まるで追い詰めるように私のほうによってくる。

「あ、新鹿さん?」

そう名前を呼べば、新鹿は机の上に置いてあった書類の山からひとつを抜き取って、それを唐突に私に差し出してきた。

「志藤チャン、それあげる」

はあと、なんてわざとらしく自分で言いながら差し出される書類。絶対に受け取りたくない。

「い、いらないです」

「だめよお、志藤チャンのための書類なんだからあ」

隣に大仰に腰掛け、腰に手を回してくる。どうやら蛇の次の標的は私らしい。金づるを見つけたホストよろしく、腰に手を回されがっちりとホールドされれば、その書類の内容を知っているのか麻布がご愁傷様です、とかなんとか呟いているのが聞こえてしまう。

(え、これ、え??)

もしかして、なんて某検索サイトの予測変換みたいなものが心の中に羅列される。そして、ふ、と思い返される朝の会話。

“志藤チャン、はじめてのおつかい、なんてね”

あぁ、自分の顔はひどく今青ざめているに違いない。新鹿の数ミリしか離れてない端正な顔がもう、悪魔の顔にしか見えない。口の内壁をごりごり噛みながら、嫌々書類を受け取る。そこに書かれた文字は予想通り、どうやってやったのだろうなんて疑問も浮かぶが、それはきっちり問い詰めるとして。

「……これ、任命とか書いてあるんですが……」

志藤在香殿うんたらかんたら…いやもう読まなくても内容は分かってるのだが。つらつらと目を通していく。

「そうよお、志藤チャンの任命書類だものお。親御さんから許可いただくのに手こずったわあ」

疲れたんだから、なんていいながら腰から手を離す、新鹿。地味に重大なことを漏らしている。

(親が、許可、した?)

心の中で大量のブーイングを飛ばしながら、じとっと新鹿を見ていれば、新鹿は口元に手を当て鼻で笑った。

「志藤チャン、またブサい顔……は、今はいいわ。ちょっとねえ、この間大事件があったのよお。あ、これ、機密ね」

人差し指を唇に当てて、麻布にもウィンクを飛ばす。なんとなく今麻布は僅かに何かを避けるように体を横にずらしたと思う。

「大事件、ですか」

大事件、それは機関にとっての大事件なのか、新鹿にとっての大事件なのか。それが問題だ、前者は大事だが、後者はかなりどうでもいい。口には出さないが、本気で後者ならどうでもいい。そんな適当にたいした覚悟もせずに続きを聞く。

「そう。殉職者32名、重傷者5名、軽傷者1名、なんてふざけた事件がねえ」

「は……?」

前者だった。殉職者32名。確か以前この地区の機関に勤めているマーブルは40名とか聞いた気がする。基本的に特例以外はマーブルと患者でペアを組むので、80人の戦闘員がいる。そのうち、32名が死んだ?

「なにそれ、ここのマーブルが弱かった、訓練を怠っていた、なんてことじゃないですよね」

「やあねえ、そんなことないわ」

新鹿は哀しげに表情を曇らせれば、ぎゅ、と腕を組む力を強くする。この人がこんな表情をするなんて余程だ。

「まあ、その事件は解決したわ。したけど、あまりにも人が減りすぎてね……人員補充をしなきゃ行けなかったの」

言葉を区切り弱々しく笑う、新鹿はそっと書類の下のほうを指した。そこに書かれている文字は、国の最高責任者からの指令書であることを示す、国令の文字。この国で国令が使われるなんて、歴史の教科書で耳にしたことぐらいしかなかったのに。こんな制度まだ生きてたのか。

「親御さんを説得したのは私よ、ほら、貴女一応高校終わるまではやらないってあれほど言ってたじゃない?」

私はそれを尊重したかったわあ、なんて爪を噛みながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる新鹿。これは新鹿の本意ではないらしいことだけは分かる。今まで新鹿は本気で私が拒否をすればそれを強要してくることはなかった。でも、新鹿が何もいわずにで、こんな強制的なことをしてくるには理由があると拒否をする前に気づけばよかった。いつも強引だけど、新鹿はちゃんと線引きをして行動をしている。そして、それを努めて明るく、重くならないように切り出してくれた新鹿にはむしろ、感謝しなくちゃいけない。

「だけど、残りの人数のみでやっていくのは無理なのよ」

選択権がなくなった、やる、やらない、やりたくない、そんなものじゃない。やらねばならない。

「私は、誰と組まされるんですか」

もうこうなったら思考を切り替えていくしかない。原則というか大体の者が伴侶とペアとなるが、稀に伴侶ではないが仕事だけのパートナーというのもある。まあ、そんなことせずとも言えば恐らく浅葱はやるというのであろう……あれだけ、上級職業に就きたいと言っていたのだ。

(一つ、恩返し、かな。いや、ずるいだけかな)

まあ、それこれも今夜が平凡に終われば、なのではあるが。

「?特に決まってないわよ?希望はあるかしらあ……あ、早貴くんはダメよお」

これはあたしの。なんて言葉に麻布は諦めたように空笑いしかしてない。それにしても新鹿にそこまで言わせるなんて余程有能なのか、新鹿の趣味なのか。

「あの、一晩待っていただけませんか?」

昆布茶を飲み干し、新鹿を見上げる。真剣に新鹿の瞳を捉えれば、新鹿は少し驚いたような顔をして次の瞬間には口元を吊り上げた。

「わかったわあ。まあ、学校もあるだろうし、明日の放課後またここに来なさあい」

「はい、あ」

相談室での出来事をふ、と思い出す、にやりと悪戯っ子のような笑みを浮かべて麻布を捉える。そうすると麻布はまた困ったように笑うのだ。

「先生」

「なんでしょう?」

麻布はまだ自分に何かといいたげに首をかしげた。いいたいことは、そこそこにあるのだが、まあ、今はこれを伝えようではないか。敵から味方、同僚かもしれない、になった彼に。

「先生に対しての天罰はきっと、いえ、間違いなくその人ですよ」

その人、新鹿に目をつけられたことが天罰だ。そう笑みを浮かべれば、そうだね、なんて麻布からも返事が帰ってきて。新鹿がもう!なんて憤っている。胸の辺りが少し暖かい、もうちょっとだけ頑張れる、私は不思議とそう思えた。


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