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第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」⑧

路上 9:29


言葉も交わすことなくただ機関役所までの道を歩いている。警戒は解かないが、そこまで気を張ることもない。そんな微妙な空気の中。

「志藤さんは、えーと、紫藤くん?の伴侶でしたね」

「……そうですけど、浅葱と面識あるんですか」

「いえ、学校から配られたデータで」

なるほど。スクールカウンセラーには全校生徒分のある程度のデータが配られると聞いたことはあるが、それは本当だったのか。なんて心の中で漠然と思いながら、手押し信号のボタンを押す。

「で、それがどうかしました」

「にしては空気が重かったような気がしたので」

ずどん。頭の上に盥を食らったような感覚だ。

「喧嘩ですか」

ずどどん。問いかけに今度は岩石で後頭部を殴られた感覚に陥る。あっているのだが、ここまではっきりいうとも、この話題を振られるとも思ってなかった。というか、普通は振らないだろう。

「悪いですか、喧嘩ぐらいしますよ」

むっとしながら横断歩道を渡る。しばらく後ろから声がしないので納得したかと思えば、ふいに。

「喧嘩、というよりかは……お互い針山を触るような。知らない人間と相対しているような雰囲気を纏っていたので」

直球に。なんでここまでこの人は言い当てるのだろうか。いや、おそらく実力は本物なのだろう。だから、見抜ける。少しの会話から、少しの動作から。だけど、言い当てられたことに少し言いようのないわだかまりを心の奥に感じながら「そうですね」なんて返してみる。言葉のとおり、知らない、まだ、知ろうとようやく一歩を踏み出そうとしている段階でしかないのだ。でも。

(さっきのあの間とか、いいにくそうにしているところとか)

思い出してリフレインすればするほどに別れ話ではないのか、といやな方向に想像が言ってしまう。私からすれば浅葱はかなり好物件だった。恐らく浅葱からしても私はそうなのだろう。

(甘えていたのかな)

知らないのだから、関わらなくていい。なんて。歩きながらどんどんネガティブに黒く染まる思考に頭を痛める。考えれば考えるほど体の奥の方に嫌な物が溜まっていくようだ。

「志藤さん」

ふいに、名前を呼ばれれば、ぶっきらぼうに返事をしてみる。

「なんですか」

今の自分は見えないので分からないが、相当ひどい顔をしているのであろう。一応返事をするために麻布のほうに顔を向ければ麻布はとてもなんとも言えない微妙な表情を浮かべている。でも、そんなことに呆けているのは一瞬で、麻布は苦笑の色を浮かべながら口を開いた。

「こんな立場ですけど、俺も一応スクールカウンセラーです。だから」

「迷惑でしょうけれど、他人と重ねて見られるなんて」

「でも」

「少し俺の呼び起こされた罪悪を消すのに付き合ってください」

なんて頭を撫でられた。その言葉に陰りは感じず、でも、私を通して別の誰かを見ているのは明白、もういない誰かに言うような不安定感はまるでそれをさせてくれないとこの場から消えるなんて言っているようで。ちら、と麻布を見る。これもまた、ひとつの本当なのかもしれない。あの部屋で聞いたまともじゃない一面も、今こうやって生徒に語りかける一面も。本当にここだけ見れば本当にいいカウンセラーなのだが。うん、ちょっと残念。でも、凄く人間らしいのかもしれない。無論、私が単純なのも拭えないが。

「先生、本当こんな立場ですよ」

そして、気遣いを気遣いだと気づかないほど私も鈍感ではない。むず痒い気持ちになりながらも悪態をつきながら、前を向いて歩き出す。

(こんだけ言われちゃ、ねえ……)

新鹿に麻布。片方はまだ少し信用に足らなくても、実力は本物だ。はあ、とため息。頭をがしがしと掻いて、頬を自分で引っ叩き気合を入れる。

「とりあえず、先生はこれから会う人相手に頑張って下さい」

気遣わせてしまったのでほんの少し味方でもなく、今は敵でもない人間に塩を送ってみよう。なんて、気まぐれを起こした私に対して凄く現金なやつだと思う。

「はい、とりあえず、志藤さんの悩みを聞くためにまだ、やめられませんからねえ」

「……スクールカウンセラーとして聞ければいいですね」

ちょっと面食らう。本当かどうかは分からないけど、でも。

「まあ、ほんの少し俺の気が向いただけです」

気が向いただけなんて呟く大人の表情には面白いものを見つけた、それだけはきっちり書かれていた。ああ、次の標的にされただけか。なんて心の中で呟く。そんなこんなで歩くこと30分弱、とうとう建物の前についた。目の前に立つコンクリートの塊は相変わらず無愛想で。新鹿という知り合いがいなければ極力近寄りたくなんかない。

「では、行きますよ」


結論から言おう、この日在香の中で色々なものが覆ったのであった。


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