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第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」⑥

2003/05/20

山浪高校 スクールカウンセリング室前廊下 08:01


「こちら、志藤」

「聞こえているわあ」

盗聴器に向って声をかければ、耳につけている無線イヤホンから返ってくる声に電波は停止することなく流れているというのを知る。

「ならいいです、メモとかはできないので、よろしくお願いします」

「えぇ、安心して頂戴。あぁ、可能なら志藤チャンが役所まで連れてきてくれると嬉しいわあ。……志藤チャンのおつかい、なんてねえ」

最後にわけのわからんことを笑いと共に呟いていた気がしたが、無視をして会話を打ち切る。手持ち無沙汰に弄っていた携帯をポケットにしまい、すうっと肺に新しい空気を取り込む。気持ちを切り替える、今は扉の向こうの殺人鬼のことだけを考える。相談室と可愛らしい張り紙に丸っこい文字で書かれた部屋。この部屋は思春期のいたいけな子供たちが心の悩みを相談しに来る部屋。そんな部屋に殺人鬼がいるかもしれないなんて、至極可笑しな話だ。笑い飛ばしたい気持ちを抑えて、心を決めて、扉をノックする。なに、相手はノーマリ。自分が武力で勝てない相手じゃない。そんな傲慢だが、当然の事実を自分の内側で再確認しながら。

「はーい、どうぞ」

新鹿よりはわざとらしくなく、でも、よく響く低い声。返事とともにドアを開け、中に入る。変哲もない部屋だ。すると、目的の人物は歩いて私の目の前で、停止する。その顔は一瞬、どんな色も抜け落ちた、無色透明。虚を付かれ、幻を見るような眼をしていたが、それもまた一瞬、すぐに笑顔を色を作り出して見せた。

「始めて見る顔だね、初めまして。スクールカウンセラーの麻布あざぶ 早貴はやたかっていいます」

人のよさそうな笑みを浮かべる麻布に一礼し、口を開く。

「初めまして、1-C志藤 在香です」

きっちり九十度、まではいかないけど綺麗な礼を心がけ顔をあげれば。麻布は奥のソファに通してくれる。まあ、積もった話のある生徒しかほぼ来ない部屋だ。なので、これは当たり前の対応なのだろう。ふかふかのソファに腰をかければ、改めて麻布という男を見る。人を殺せるような顔も、雰囲気もない。優男で、外見的に見るならちょっと頼りなさ気なタイプだ。

「志藤さん、紅茶はいるかい?」

「あ、いえ、お構いなく」

麻布は遠慮しなくていいのに、なんて呟きながら自分の分だけ紅茶を持ってくる。そして、流れるような綺麗な動作で麻布は腰掛ければ、人の警戒心を取り除くような笑みを口元に称えて問いかけた。

「さて、君はどうしたんだい」

いかにも、貴方の話に興味がありますという風に少し前のめりになりながら、ティーカップにガムシロを注ぎつつ問いかけられる。改めて思えばなんて切り出せばいいやら。でも、遠まわしに聞いても恐らく答えなんて引き出せない。そもそも、そんなやり方は私には少しも合わないのだから。それに、相手は嘘でもスクールカウンセラーを名乗っているのだ、そんな相手に心理戦を申し込むなんて阿呆のやることだ。なら、やることはひとつしかない。

「麻布先生は様々な学校を転々としているそうですね」

単刀直入に本題を切り込む。元々まどろっこしいのは嫌いなのでこれしかない。此処で戦うことになったら申し訳ないが、この部屋には犠牲になってもらおう。

「はい、ちょっと色々ありまして」

「色々、赴任先を変えるたんびに自殺者がでてるアレですか?」

にこり、目線をそらさず口元だけ微笑んでみる。事実を突きつけても、相手の表情は何一つ変わらない。だが、その一言で麻布を疑っている意思を伝えるには十分だろう。

「ええ、それです」

麻布は悪びれせずに笑った。まるでその事象が当然だとでもいわんばかりに淀みのない微笑み。その笑みが綺麗過ぎて本当に話がかみ合っているのか一瞬心配になってしまう。

「自分の面倒を見る範囲で死んだことに関して気分はどうですか」

意地悪に貴方のせいでは?というニュアンスを含ませてみる。普通の人間ならここで多少は動揺なり激昂なり感情を見せるものだが。相変わらず麻布の顔は張り付いたような笑みをかたどっている。では、やはりこいつが?なんて早とちりな疑念が膨らんでしまう。それもしょうがないだろう、だって、反応が明らかに異常である。

「俺は、こういうことを言うと冷たいととられるかもしれないですが、彼等が死んだのは自業自得、だと思っています」

「自業自得?」

いじめっ子が死んだこと、だろう。それを自業自得というのはまあ、私にしてみても理解できない思考ではない。でも、それを平然と悪びれもせずいうことなんて私はできない。だってそれは、誰かが意図的に死ぬことが肯定されることだから。

「ええ、人を呪わば穴二つ。なんて言葉、知っていますか」

楽しげに指を動かし足を組む麻布の姿は心なしか楽しそうで。

「呪った分が帰ってきた、と」

「はい」

それが当然と、それが摂理と、それがルール言わんばかりに。笑みを浮かべるのだ。言葉が途切れる、言葉を出し尽くしたわけではないが話題が落着いてしまって、また、切り出し口を見つけなければいけない。うーん、と私が唸っていると、麻布はその指を在香に向けた。

「志藤さんは、探偵気取りをしたいのですか」

指を鉄砲の形に作り変えて、問いかけた。向こうから切り出してくれるのはありがたい。そして、探偵気取りときた。恐らく機関のマークがついていることは気づいてないのか、そもそも私のような高校生が機関からの依頼で来ているなんて思っていないのか。恐らくは後者だろう。

「いいえ、そんなことはありません。ただ、先生が殺して回っているのなら」

言葉を区切る。次の瞬間何が起こってもおかしくないこの部屋はいわばトラップルーム。ソファの肘掛に手を置くようにして、拳銃をそっと確認する。

「端的に、自首していただけないかと」

麻布はその言葉を聴き、ポカンとした。いや、まあ、そのリアクションが正しい。餓鬼がなにいってんだろう、って感じなんだろうなあ、なんて考えながら、相手のリアクションを待つ。すると麻布はぽかんとした顔を正す様に苦笑の色を浮かべ、すみません、と首を振った。

「俺は殺していませんよ、だから、自首するどおりなんてありません」

俺は殺していませんよ、まあ、公には自殺という旨にはなっているのでそうだろう。じゃあ、次だ。

「先生は各学校でいじめられている子のお話を聞いていた、と聞いてます。そして、そのいじめられている子をいじめていた子が自殺している」

相手の瞳を見る。相変わらず動きのない表情の読めない瞳だ。こういう頭脳戦はやっぱり苦手だ、相手の中に言葉で切り込まなければいけない。停止したいと悲鳴を上げる脳みそを必死に回す。

「いじめっ子になにか吹き込みました?」

極力余裕を持って、見せ付けるように首を傾げる。吹き込む、スクールカウンセラーだからこそ、無条件に信頼されているからこそできること。誘導というか洗脳というか。まあ、心理学を応用してそこまでできるかどうかといわれればその人の技量とか技術とか云々より、それはカリスマ性次第としか言いようがないが。

「いえ、なにも」

いじめっ子に危害を加えていなく、何も吹き込んではいない。この会話を聞いている新鹿はちゃんとメモしているだろうか、なんて考える。じゃあ、次。

「じゃあ、いじめられっ子に何か吹き込みました?」

数秒、その言葉に麻布は無言で手を叩いた。なにかを讃えるように。笑顔を浮かべて。

「吹き込む、なんてそこまで悪いことではありませんが……それはYESですかね」

YES、いじめられっ子に何かを吹き込みはした。それがいじめっ子を死に追いやった?益々意味がわからない。まるで、出口のない部屋に閉じ込められたような不快感が私を襲う。

「なにをしたか、教えてもらってもいいですか」

ため息をつきたくなる気持ちをぐっと堪える。私はなにかとこの手の意味のわからない、人間的によくわからない人物とのかかわりが多いが、ここまで意味のわからないものは数少ない。

(頭が痛くなってきた……)

はあ、と肺の中の空気を吐き出し、相手の出方を待つ。優雅に紅茶をすすった麻布は目を逸らして黙考する。表現を選んでいるのか、どうぼやかそうとしているのか。どちらにせよ、此処まで引き出したのだから私の仕事はあともう少し。此処からはもし平凡に話が続くようであれば私にとっては茶飲み話でしかない。そんなことを思っていれば、麻布は憂うような表情を浮かべて言葉をつむいだ。

「俺は問いただしただけですよ」

頭の上にハテナを浮かべてみる。なにをだ。主語と述語をちゃんと繋げてほしい。なんとなくこの回りくどい言い方は浅葱を思い出してしまう。一瞬トリップしかけた思考を引き戻し、相手を見つめる。

「志藤さんは、いじめられるという行為から相談室や類似の部屋に逃げ込むことをどうお考えで?」

唐突に問われる。そんなこと自分には縁のない話で考えたことすらなかった。

「別に。抗うことができなくなったから、羽休めに逃げ込むとかそんな感じです」

それぐらいの印象しかない。私は残念ながらいじめられたこともなければそんな気持ちを考えてみようとすらしたことはなかったから。いつでも、それは自分に関係ない他人事なのだから。その言葉に麻布は満足したのか、ふむと頷く。

「じゃあ、その抗うこと、とは?」

そんなのは簡単だ。文字通りの意味でしかない。

「先生への報告だったり、逆に相手に復讐とかそういう意味合いですか、ね」

なるほど、と麻布は相槌を打てば、紅茶を一口飲む。この問答はきっと意味がないものなのだろうと私は推測するしかない。頭のいいやつらの考えてることなんて凡人である私には到底わからないことなのである。数値上で頭はよくても人間的に頭がいいかはかなり別の話であるし、人間的にというなら私は凡人という部類に入るしかない。

「俺はそれよりもう少し簡単で足のつかないちょっと上の方法を教えてあげただけですよ」

上の方法を、先生への報告より上というなら教育委員会への報告だろうか?それか復讐より上というならそれこそ被害者が加害者を殺害、ということなのだろうか。後者なら殺人事件としてあがるはずだし、そんな素人殺人新鹿が特定できないわけがない。というか、そもそもそれなら足がついている。じゃあ、どういう意味での上で、足がつかない、なのだ。

「簡単です、いじめてくる相手をどうしたいか問いただしただけですよ。そして、その中で本当に相手のことを恨み続ける力があったものにだけ、ただ、じわじわと相手を追い詰めていく方法を耳打ちしてあげただけです」

口元が歪む。楽しげにまるで、麻布はコンダクターのように指を振った。自分が指揮者だと、演者はそれにあわせてただただ踊るだけ、演奏するだけだ、と。

「先生は、その行いに、罰はくだらない、とお考えなのですね」

溜息ひとつ。なぜか自分はこういう異端者的思考の相手を相手取ることが多い。自分のやることを正義だと、盲信するような奴等に。だから、もうそれを異端と記憶していたらキリがないし、ただ淡々とこなしていくしかないのだ。

「あるのなら、天罰でしょうか?だって、俺はなんにも手を下してないのですから」

胸に手を当て空を仰ぎ見るその姿は神に祈りをささげる信徒に見えなくもない。私は足を組みなおし、痛くなるこめかみを押さえながら、口を開いた。

「先生は、それ、まさか誰かに言ったりしてませんよね」

「言い方は選びました、形だけの謝罪のときに少し」

けろっと。もうなにいってんだ、こいつといいたくなる言葉を言ってのけてくれる。本当にこの学校はなんでこいつを雇ったんだ。ひくつく目元をもう押さえる気にもならずに、これどうしようなんて思考する。そもそもそりゃ捕まらない訳だ。麻布は追い詰める方法を教えただけで殺してない、直接手を下したわけでも、ましてや殺人を教唆したわけでもない。ただ、復讐の方法を与えただけ。教えただけ、やれなんて言ってない。それを行ったのはいじめられていた怨嗟を、怨恨を、溜めに溜め込んだ生徒だ。だが、その生徒ですら正しくは手を上げていない、ただ、じわりじわりとその点をつついただけ。ある意味いじめっ子には自業自得としか言いようがない。人を呪わば穴二つ、綺麗に帰ってきただけなのだから。

「先生よく、再就職できてますね」

「親のコネって便利ですからねー」

表現するならばフルスマイル。異端者という属性にクズという属性を付け足してもいいのかもしれない。もうそろそろ話題もつきた。行くか、なんて考えるとこんこんとノックの音が鳴り響く。麻布は「いれてもいいですか?」なんて小声で訪ねてくるので、どうぞと頷く。

「志藤さんは、あの子にそっくりですね。……いえ、失礼」

はーい、なんてノックの音に返事をすれば、失礼します、なんてテンプレートの挨拶が聞こえた。

(あの子……?)

一瞬、寂しそうにあの子と言った。だが、誰なんて疑問は入ってきた人物によって掻き消された。

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