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第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」⑤

上級役所 個人研究室203号 07:30


朝。研究室の扉に寄りかかる新鹿は少々眠そうだ。まあ、その理由は私に部屋の仮眠ベッドを譲ったことにあると思うと、やはり罪の意識を感じずには居られないのだが、新鹿が譲らなかったのだ。仮にも女の子、と。

「志藤チャン、持ち物は持ったあ?」

心配してくれる新鹿に対し問題ないと頷く。スクールバック自体は昨日学校に置いてきたまんまなので、学校の用意という訳ではない。

「極力、ことを速やかに運びます」

ことを、つまりは例のスクールカウンセラーとの接触。

「ええ、頼んだわあ……そうそう一応昨日伝えたとおり、一応、もしなにかあったときの援護は用意しておくわあ」

唇に指をあてる新鹿の表情は微妙な表情をしている。こういう表情を新鹿が浮かべるときは、事件がスムーズに運ぶか、難航するかの二択だ。

(是非前者であることを祈りたい)

まあ、在香もこの事件最初から一筋縄でいくとは思っていないが、あまりにも強すぎる警戒のような気もする。相手はノーマリだというのに。在香が持たされた持ち物だって、対患者用……といえば聞こえはそこそこだが、殺傷能力のある銃。太ももにはナイフ。襟の裏には盗聴器。

(そりゃ、用心に越したことはないけど……)

なにごともなければ杞憂で終わった、でいいが、裏に、仲間に、協力者に反転病がいたら堪ったものではない。ある意味妥当で、ある意味異常だ。

「……もし、黒だったら」

「抵抗するそぶりがあれば撃ちなさい、ないならそのまま連行して終わりよお」

私がなにも人を殺すのは初めてじゃない。マーブルの一定以上の人間に宿る血のおかげで何度か血は渡したし、バイトと唆されて患者を殺したことも幾度となくある。だから、怖くはない。ただ。

(なんとなく、知った人の前でやるのは気が引ける、よね)

学校には同級生も友達もそれこそ浅葱もいる、だから、ちょっと心にもやがかかるのだ。

「じゃあ、そろそろ行きます。雲行きが怪しかったら、ちゃんと来てくださいね」

サブカバンを持ち、ローファーを履く。その言葉にもちろんと微笑む新鹿の声が聞こえる。心臓が高鳴る、血が沸き立つ、久しぶりの任務だと。

「行ってきます」

深呼吸を深く一回。学校へ向かうのであった。



遠藤一宅 07:45


朝の風景とは穏やかなもので。でも、ここ最近とは違う風景。飯を作る人が違ったり、いる家が違ったり。結局あのまま一の家に泊まってしまった俺は遠藤家の食卓に座っている。なにかを手伝おうにも、一は座ってての一点張りでやることもないのだ。いやまあ、根本を言えばここで何を摂取しようと昨日の昼からすきっ腹な腹が膨れることもないのだが。

「さて、浅葱。言いたい事はまとまったかい?」

一はコーヒーを机に二人分起き、豪勢な朝食を運びながら問いかけた。目じりを下げながら、心配するように。

「まだ、いえないことはあるけど、嘘はあまりついて欲しくない、ってのと信頼は遠いかもしれないけど築いていきたいっていう感じだな。あまりごたごた言い過ぎてもぶった切られるだろうし」

コーヒーに手をつけながらいえば浅葱がぼやけば、一は料理を運び終わり腰を落ち着ける。

「そういえば、思ったのだけれどいいかい」

一はいただきます、と呟きながら少しいい辛そうに言葉を発した。いいづらそうというより、言っちゃいけないことだろうけど聞いた、みたいなニュアンスで。

「ン?」

俺は在香と喧嘩、とでも言うのだろうかそんな別れ方をしてから会っていない為に、昨日の朝以降食事といえる食事を口にしていない胃を癒すようにコーヒーを流し込む。うん、足りない。

「浅葱が選んだ方はとても気の強い人、であり壁が分厚い人、という印象を受けるんだけど」

あってる?と首をかしげる一に頷かざるを得ない。そのとおりだ。在香の壁は分厚い、でもそれこそ、誰でもそうじゃないだろうか。皆、分厚い壁を抱えて生きているのじゃないだろうか。

「なんか、浅葱のことだからもっと懐柔しやすい人を選ぶと思ってた。だから、その彼女がちょっと僕には不思議だよ」

一は俺のホントウを真実を何も知らない。でも、ここまで言えてしまうのは何故なんだろうか。変わった友人を前にしてその疑問は口にはできなかった。

「懐柔しやすいって……俺は悪人かよ」

適当に笑ってかわすしかない。だって、何も話せないのだから。

「だって、浅葱。あんなに強く上級職業につく、って言っていたから」

そう一にはその根源たる理由は教えてない、だけど、どうなりたいかは少しだけ伝えた。過去に、あれはもう中学生の頃だろうか。少し前に、少しだけ零したのだ。愚痴まがいに、冗談まがいに。

「なのに、今の彼女でその未来は見えてるのかい」

言葉に詰まる。在香のことは今はほとんどデータ上でしか知らないから、なんとも言えない。だけど、在香のことは最初から決めていた、だけど、それを一も在香も知らない。複雑な事情が絡まりすぎて言えない。正確にはなんといっていいか、肺の辺りで言葉が詰まって出てこない。まとまらないデータが心の中で散らばる。理由と、事情と、秘密と。

「分からない」

正直その一言に尽きた。肺から淀んだ空気が抜けていく。一は浅葱をじっと見つめ、そして、ふ、と微笑んだ。

「事情もなにもわからないけど、まあ、そうだよね」

そうだよね、その言葉に詰め込まれた言葉の意味を胸に収める。一は俺を傷つけまいとしてその言葉を使ったのだろうから。本当に居心地のよく、頼もしくなった友人だ。

「ああ、んな、未来のことなんて分からん」

茶化すように肩を竦めれば、一も察したのか、別の話題に移行する。なんともない、学校だったり、友人だったりの普遍的な話題。

「そういえば、教室行く前に相談室によっていい?」

首を傾げる一にもちろんなんて返せば、時計が時刻を告げる。

「んじゃ、そろそろ行くか」

男2人でばたばたとブレザーを羽織ったり、鞄を持ったり。そして、玄関に向かう。

(今日はちゃんと在香と話そう)

ぐだぐだと何かと理由をつけてではなく、きちんとした、本心を。言えないことは多いかもしれない、でも多くのことを知ってもらい、また、知りたい。どうなるかは分からない不安もある。だけれど、進むしかないのだから。

(頑張るか)

自分を奮い立たせて、玄関を出る。青く澄んだ春の空を見上げれば太陽が勇気付けるように輝いていた。

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