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第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」④

×××宅 21:58


「喧嘩?」

「喧嘩、というか……すれ違い、だな」

質問に対して溜息をつきながら返す、いつもこうだ、彼女に対してだけは上手くやれているつもりだったのに、と。足を組んで肘をついて顎を置けば一層自分が悩んでいるという事実に直面して姿勢を正す。

「解決できそう?」

「……わからん」

濡れた髪の毛なのも構わずソファに寝転がる。そしてそれに対して特に文句を言うわけでもない家主。家主、そうここは俺と在香が使っているあの家じゃない。今、俺は自宅にはいない。じゃあ、どこかというと、此処は友人、遠藤えんどうはじめの家である。一は結婚はしているのだが、何せ奥さんは実家暮らしを望み結果ほぼ一は一人暮らしなのだそうだ。そして、先の質問に対し別に喧嘩ではない、と言い張りたいがそれは願望だろうか。じゃあ、なんだと聞かれたらそりゃ返しようもないが。

「うーん、浅葱はどうしたい?」

一が目を何回か瞬かせ、指を食む。どうしたい?仲直りを求めているのかこのまま破局を求めているのか。無論、答えは決まっているのだが。在香を失いたくない、此処で失ったらそれこそ何のために頑張ってきたのだ、だ。

「どうしたい、か……仲直りは目指してる」

昼間、正確には昼休み。きっとあれは二人のすれ違いだったのだ。親しい人間との間でも諍いは起きる、ましてや付き合いを始めて1ヶ月なんだからそんなことはおきて当たり前なのだ。その間で浅葱は少しでも相手のことを知れたら仲はよくなるんじゃないかと努力はしてきた。でも、諍いは起きてしまった。

「そもそも、何が原因だったのさ」

一は薄い唇で呆れた様に微笑めば、ミネラルウォーターのボトルを投げてくれた。それをキャッチし、蓋を開ければ水を飲み込む。原因がなにか、と問われるとそれは凄くあやふやなのだ。電話を聞いてしまったこと?反応からして聞かれたくない話だったのだろう。隠し事はするなとは言わないが、あまり気持ち的には嬉しくない。だけど、それを言えないのは自分も隠し事があるから。それこそあげれば1個や2個ではない、だが、自然とでてくるものだろう?隠し事なんて。それでも、言える限りのことは言ってきたし、一応その場の本音をきちんと告げてみたりはした。悲しい、と。

「なんか、俺が一言発するたびに脅えてた」

反応を思い出すと少なからずショックなわけで。自分はなにも言わなかったし、うん、と頷くだけだった。在香が一生懸命伝えようとしてくれているから、それを聞くのがとりあえずは大事だと思ったから。でも、自分が一言頷いたりするたびに、顔を青くして脅えるような反応を示されると人間心が痛むわけで。

「思わず、嫌い?なんて聞いちゃったし」

嫌い?とおもわず聞いてしまった。あまりにも、その顔が怯えていたから、怖いものを見る目だったから。怯えられるのは悲しかったから。

「へえ、なんて返ってきたの」

一はまるでカウンセラーのように身を乗り出し興味を示してくれている。本当は、そこまで興味がある話でもないだろうにここまで親身に聞いてくれる一には感謝しかない。

「嫌いではない、だと」

嫌いではない、でも、好きだともいわれてない。いや、好きとかそこまでは今は実際に求めてない。でも、ああも、マイナス方面に表現されてしまってはとても心苦しい。もし、自分に脅えさせてしまっている要素があるのならそれは直す努力をしたい。

「うん、続けて」

浅葱の目を見つめ、頷く一に続きを促されまた記憶をたどる。

「あと、信頼できない?とかも聞いた」

帰ってきた答えはごめん、の一言だった。要はまだ完璧に信頼するところまですら達していない、と。いや、知り合ってからの期間を考えればそれは当たり前でもあるのだが……嘘でも、あの日仮にも伴侶となることを未来の視野に入れると決めた日。俺はせめて、信頼しようと思った。そんなもの俺が思っただけだ、なんていわれれば終わりなのだが。そもそも在香のことはこちらが一方的に知っていただけで、俺のことを彼女はあの日まで何も知らなかったのだ。だから、しょうがないっちゃしょうがない。そんなことは分かっている。分かっているのだけれど。

「うぅ……あああああああぁぁぁ」

奇声をあげてぼふっとソファに顔をうずめる。当たり前だが、理解と許容は別なのだ。今の俺は許容と書かれた心のグラスから感情という液体だけがどぼどぼとあふれ出ている状態。つまりは整理もなにもされてない。ただただ、感情を零しているだけなのだ。

「その反応だと、あまりいい反応じゃなかったんだね」

苦笑しながら、頷く。一の言葉に沈黙しかなくなる。一は凄く聡い。いや、訂正しよう。最近の一はとても聡い、昔はそうでもない普通の気弱な少年だったのだが、ここ最近一の言葉は心に簡単に滑り込んできて、自分でも気づけない部分を気づかせてくれることが多くなった。その疑問を本人にぶつけても、一は「心の勉強をし始めたんだ」というだけであった。

(心の勉強、ねえ)

一は苛められている。といっても学年全体とかではない、ちょっとした女子のグループに目をつけられていた。一番初めは中3の2学期の終わりだった。そのとき、最初は一も抗った。だけど、段々虐めが苛烈化し、一も弱っていき一番ひどいときは不登校にすらなった。そんな時期自分は傍にいることしかできず、とても俺は悔しい思いをしたものだ。そして、高校はほぼここら近隣の皆様は大体同じ高校にあがるという、とても絶望的状況だった。だが、一は高校に入った途端。生まれ変わったように学校に積極的に来て、いじめをものともしなくなった。行為自体は持続されているのに、一の目には止まりすらしなくなったように俺は感じている。そして、同時にとても人の心の機微に聡くなった。だけど、その矢先にあんな事件が―――

「浅葱はさ」

びくっ。唐突に現実に引き戻されて、肩が跳ねる。いや、唐突ではないのだが。これは物思いに耽っていた俺が悪い。首を振って、思考をリセットし、一の話に耳を傾ける。一は俺のために聞いて考えてくれているのだ。

(これで、聞いてない、は流石に最低だな)

心の中ですまない、と軽い謝罪と呟き、そんな呟きを知ってか知らぬか一は楽しそうに笑みながら指で浅葱の口の位置を指差した。

「伝えながら整理するの苦手でしょ。だから、物事を書いて整理してみたらいいんじゃないかい」

一度席を立てば、一はボールペンと紙を持ってくる。椅子に再度座りなおせば、目を軽く伏せボールペンを走らせる。

「ゆっくりと、いくつかに分類しながら。それを思い浮かべながらなら、きっと、伝えられる」

そういっていくつかのカテゴリーと枠を書いていく。すらすらと、迷いなく。そんな一の言葉はじんわりと染み入り、弱った、まではいかないにしろ少し凹んでいた俺の心を修復していく。伝えられる、確定的に、決定的に。絶対できる、と。無意味な自信といわれればそれまでなのだが、でも、そんなものが今の俺にはとても必要だった。

「だな、頑張るよ」

頬の筋肉が緩む。一からボールペンが手渡される。一はうん、なんて首を振り、俺がカテゴライズしていく様子を見つめている。一のカテゴリー欄にパズルのように当てはめていくだけなのだが。書くたびに心の中からスッと何かが出て行くようだ。状況、時刻、原因、感情、相手の感情。でも、相手の感情の欄だけやはり埋まりにくい。その埋まりにくさに本当に相手のことを知らなかったことを痛感しつつ、ボールペンを動かすのであった。俺ならできる、そしてまた、在香と仲直りをしてこれからを紡げると。

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