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第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」③

上級役所 個人研究室203号 13:30


「わ、志藤チャンなにしにきたのよぉ」

ぜえはあ、と息を整える。その姿に新鹿は目を剥きながらもとりあえず研究室の中に入れてくれる。

「……はあ、仕事貰いにきました」

ぶすっとしながらその言葉を返せば、新鹿に顔を覗き込まれ思わず後ずさる。

「それだけって顔だけじゃないわねえ」

「ついでに、ここに数日泊まりにきました」

そして、むかつく一言が飛び出る。

「……うーわー、なんとなく予想ついたわあ」

目を伏せて嘲笑のような笑みを浮かべても嫌味なぐらい似合う男は綺麗に伸びた指を頬に当てて引きつり笑いをしている。

「新鹿さんの任務受けるんだからいいでしょう」

ぶすっとしてソファに寝転ぶ自分がとてもみっともなく感じる。携帯をいじり、浅葱に帰らない旨をメールすればすぐに電源を切る。探しはしないだろうが念のためだ。そんな自分に昆布茶を差し出す新鹿に礼を言いながら受け取る。むかつくが、気遣いはできる、一応信頼はできる、大人だ。

「あらぁ、一応心配するわよぉ。私のせいで離婚!なんて嫌だもの」

くすくすと笑いながら、ソファに腰掛ける新鹿にはあぁと大きなため息を零す。

「そもそも結婚してませんから」

「あら、意外。あの相手の名前じゃなかったからいい人見つけたのかと思ったわあ」

あの相手、この人も一応上級役人なのでどんな相手と一緒になるかは知っていても不思議ではない。そしてきっと元、相手の写真を見てご愁傷様、なんて思っていたのだろう。性格が悪い。

「別に私の私生活はいいでしょう。それより、仕事ください。今機嫌悪いので働きたいんです」

ぶすっと膨れる私に、はいはい、なんて返事をしながら席を立つ新鹿。私の気の変わりようにも、余程のなにかがあったことに気づいていて、つついてこないのはとても心地いい。いや、都合がいいというのが正しいのかもしれない。薄らぼんやりとしていれば、2分もしないうちに新鹿は茶封筒を持って帰ってくる。一緒に和菓子なんて出てくる辺り気は使っているのだろう、そのお菓子と茶封筒を受け取るために起き上がる。

「それが概要ねぇ」

封筒を破り、中を見れば何枚かそりゃもうエグい写真が載っている。飛び降りだろうか、全身の臓器が、目が、血が、脳漿が飛び出している。無論、足も変な方向に折れ曲がっている。そして、その生徒のデータの書かれている書類を見る。該者の名前は志筑しづき ろう。社交的で明るく、いつも多くの友人とつるんでいた、などなど。

「?平凡な女子高生に見えますね、自殺しませんよ、これ」

首を傾げて感想を口にすれば、でしょぉ、なんて隣に座る新鹿が声を上げる。どうやら、これが一つ目のワードらしい。

「なのに、死んだのよ。ちなみに苛められたなんて話はなかったそうよぉ」

いじめられたという話はなかった、その言い方に違和感を感じつつ書類を読み進める。死亡状況、時刻、現場の写真。そのとき関わっていたであろうクラスメイトのデータ。

(ん?)

首をかしげる。書類のデータはクラスメイトのデータなのだが。遠藤 一。該者のクラスメイトであり、該者に苛められていた、と。そして、その文面で先の不審なな言葉遣いと合点がいった。

「これ、逆じゃないですか?」

志筑と遠藤のデータを並べる。逆だ、見事に。そして指摘すれば、きれいな赤い唇を機嫌よく歪める新鹿。どうやら、気付いて欲しい、つついてほしいポイントだったらしい。

「なんで苛めていた方が自殺しているんですか?」

遠藤はノーマリ、だが、志筑は患者だ。遠藤が勝てる分なんてましてや、殺せる分なんて欠片もない。遠藤が返り討ちにあう図ならいくらでも想像がつくが。マーブルなのかと遠藤の書類を見直すが、そんなこともない。至って普通のノーマリだ。

「そこなのよぉ、問題」

紅の瞳が弧を描く。楽しげに在香の頬を撫でれば、書類を至近距離で指差す。近い、無駄にいい顔が近い。

「便宜上の表現だけどぉ、本来の加害者であるべき存在と被害者であるべき存在が逆なのよ」

新鹿が人差し指と人差し指を交差させて、肩を竦める。私はふむふむと頷きながらメモを取る。そうだ、苛めていた方が自殺なんてそりゃ可笑しい。影で苛められていた気配もないなら尚更だ。

「でも、それでどうしてスクールカウンセラーに目が行くんですか?」

首をかしげる。書類の束の中にはスクールカウンセラーのデータはなかった。なら、なんで話を聞け、なんてことになったのだ。

「あくまでこれはあたしが独自に調べのだけれどねぇ……うさんくさいのよ、そのカウンセラー」

うさんくさい、眉毛を潜める新鹿の瞳は厄介者を見る瞳をしていた。和菓子を無作法にも手でつかみ口に放り込む新鹿は言葉を選ぶように紡ぎ始めた。

「そいつの行く先々で自殺者が出てるのよ」

「わあ、死神ですかね」

物騒すぎる。なぜそのカウンセラーを高校は招きいれたのかお聞きしたいぐらいだ。手についた餡子を舐め取る新鹿も同意見なのかこちらに視線を寄越して頷き、背もたれに寄りかかる。

「しかも、該者はいずれもいじめっ子よぉ……もう絶対絡んでるじゃないこれ」

「正義のヒーローでも気取っている、とか」

在香も昆布茶をすすり、率直に意見を述べる。素人の自分がいくら考えても頭が痛くなるだけだ。そういうのは頭脳屋の仕事である。

「その線も考えてみたけれど、そいつが手を下した形跡なんてまったくないのよぉ……しかも、アリバイすら完璧なものがある。あ、以前の事件も同様ね。患者かノーマリかの差はあれどアリバイがあり、その上で死んでいる」

爪をかむ仕草すら様になる新鹿はどこか苦虫を噛み潰したような表情をしながら私をみた。

「それにカウンセラーはノーマリよ。そもそも、患者なんて殺せないのよぉ」

確かに、と頷く。新鹿は法律で禁止されているにもかかわらず、マーブルならマーブル、というので本当にノーマリなのであろう。力関係でいえば絶対にノーマリは勝てないのだ、患者に。だけど、該者は見事に反転病、ノーマリ問わずにも死んでいる(殺している?)。ふむ、と書類を封筒にしまい肩の力を抜く。わからないものはわからない。

「……とりあえず、明日。聞いてみますね」

「よろしくねえ、で、本当にここに泊まるのお?」

「なんか問題あります?」

言ってしまえば新鹿はオネエだ。そして、ちょっと意地悪で適当なところがあるがそこそこ、といってはアレであるが、まあ、まともな大人でもある。ので、脱走先としては最適なのだ。なんの間違いも起きようがない。

「いや、いいんだけどねえ。私ももう奥さんはいない身だしぃ……ただ、また、あんたがなんか言い過ぎたか、言わなさ過ぎたんじゃないの」

奥さんはいない身、まあ、この人にもそういう人がいたというのは聞いたことある。余計なことを思い出させてしまったことに罪悪感を抱きながら、後半の言葉は少し引っかかるものだ。

「そういうわけでは……ない、……と思います」

だんだん言葉に自信がなくなっていくのは身に覚えがあるから。言い訳じみた言葉は口から出るが、それ以外の言葉は出てこない。そう、私はとても人とのコミュニケーションをとるのが苦手だ。過去に何回も色恋沙汰ではないが、人間関係のいざこざを起こして、その度に結構なわだかまりを残してしまっている。そして、その情報を何故か新鹿は知っているのだ。いや、どうせまた、個人的にとか検査やらテストなんかのついでに調べられたのだろうが。

「あんたのそれはアテにならないじゃない、私と知り合ってからに絞っても2回その手のいざこざを起こしてるのよお?」

ぐさっと心に音を立てて突き刺さる。2回、新鹿と規定試験で知り合ったのは去年の12月。6ヶ月の間に2回確かに回数的には少々起こしすぎなのかもしれない。その亀裂は今まではその場限りの友情だ、と私が切り捨てて事なきを得ていたが、今回はそういう問題じゃない。

「もうちょっと大人になりなさいよぉ、志藤チャン」

諭すような声に不快感を覚えながらも、そのとおりなのでなにも言い返せない。俯きながらひざを抱える。そう、分かっているのだ。そろそろ、大人にならなければいけないのは分かっているのだ。

(いや、分かってないからなれない、のか)

思い返してみる。そもそも盗み聞きしていたのが悪い、じゃあ、最初から思考停止なのだ。だから、盗み聞きを偶然聞いてしまったものとして。何が必要なのか、何をしなくてはいけないのか。

「理由を考える必要が、ある?」

ぽつりと言葉を零せば、新鹿はうん、と深く頷く。おそらく、新鹿は合わせているだけだ。でもそれがとても心地いい。

「どういう流れで……え、と……」

整理するように言葉に出してみれば、新鹿がクスリと笑みながら口を開いた。

「志藤ちゃんは、もう少し人の立場になって考えることができるといいのかもねぇ」

人の立場。主観ではなく客観、自分ではなく他人。あのとき浅葱はなにを考えていたか。昼間の出来事が蘇る。そういえば、一瞬寂しそうな顔をしていたような。そういえば。思い出すとキリがなくこの手の作業をしてこなかった在香にとっては取捨選択がとても困難である。膝を抱えて唸っていると、頭の上に大きな手のひらがのった。

「なんですか」

顔を上げれば満足げな新鹿の表情。

「悩みなさぁい、青少年。時間なんてあっという間なんだから」

大人の忠告か経験者の悔いか。はたまた両方か。こういうときにまともなことをいうのだから困ったものだ。

「新鹿さんが珍しいことをいうから明日は血の雨ですね」

クスリと笑いを零せば、軽く頭をはたかれた。その日の夜は何事もなく更けていくのであった。

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