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第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」

ひとつ、法律なんて糞食らえだ。

ひとつ、でも護らなければいけないものだ。

ひとつ、運命なんて信じない。

ひとつ、自分は現実主義だと自負する。

ひとつ、期待はしない。したら多分とまらなくなる。

ひとつ、現状分析ってとても大事だ。

ひとつ、知らないのだから理解できるわけがない。

ひとつ、隠されたことには深入りしない。

ひとつ、分かってもらおうなんて甘えない。だから、分かると思わないでほしい。

これはとある少女の心層である。


2003/04/01

志藤在香宅最寄り市役所 08:50


「はー…まだ、寒いわ…」

北風が吹く中手を口に当て、はあーっと息を吐けば数秒の温もりが生まれる、愛も変わらず毎年の異常気象のせいで寒さに打ち震える、4月1日。今日はこのセカイの全国の高校一年生の方が運命を決める日。私も例外ではなく、市役所に向かう途中だ。このままいけば欠片も素性を知らない男の伴侶となる。そんな事実がちょっと足を止めている。時間までにつけばいい話なのだから、心の整理をつける時間ぐらいは許されるだろう。そんなこんなで花壇の前に座り込んでいたら、ナンパだろうか声をかけられた。

「初めまして、オネーサン」

「……?」

目を白黒させながら、辺りを見回す。自分しかいないので自分に用があるのは明白であろう。

「あ、えと、あんたです。あんた」

敬語を使いながらあんた、と言う辺りふてぶてしい。だけど、どうでもいいことだ。目を花壇に向けなおせば、隣に初対面なのに無礼もいいところな赤毛の男が腰掛けた。ちらと今見て気づいたが、同じ制服を着ている。つまりは、まあ、こいつも哀れな運命を強制的に決められる一員なのだろう。

「……」

赤毛はただ何もいわないで、隣にいる。まあ、心境は同情するというか。わからんでもないので放置だ。

「おねーさんは……っていうか、どうせ、15でしょ?おねーさんじゃなくていい?」

自分で呼んでおいて自分で変更するか。なんて思いながら、どうぞなんて気の抜けた返事をする。

「なんて呼べばいい?」

名乗れ、ということなのだろうか。相手をただぼーっと見つめれば、相手ははっとしたように口をもう一回開いた。

「俺は、紫藤浅葱。おねーさんは?」

口元に笑みをたたえて。その姿はまるでこれから決まる運命なんてもろともしないような姿だ。でも、この時間にこの場所に一人なのはつまり、伴侶を決めていない、ということであろう。それか待ち合わせか。なにはともあれ、自分には一生無理なその姿だ。

「……志藤在香。存在のザイに香るって言う字でアリカ」

端的に述べれば、目の前の浅葱は地面に字を書いた。在香、確かめるように一字一字丁寧に。字のうまい人だ。

「在香ちゃんは決まってんの?」

なにがとは言わない、なにがとは言わせない。

「決まってない、なに、冷やかし?」

端的に述べる。自暴自棄。嘲笑を浮かべながら相手を見れば、相手はうーんなんてわざとらしく唸っている。そして、思い出したようにポケットから端末を取り出し、さーっと何枚か写真をスライドさせていく。そして、一枚の写真の私に見せるのであった。

「なにこれ」

写真には言っては悪いが、不健康で、自己顕示欲と我が強そうな、脂ぎった男が写っていた。このご時世自動的に、結婚できるものだからとこういう身なりも正さず、ただ親に甘えて育ってきた男が増えている事実が一種の社会現象になっている、そんなニュースが記憶を掠める。

「在香ちゃんの伴侶になる予定の男」

「?!」

写真をもう一回見つめる。目は死んでいて、脂ぎっていて。こんなのが?と倒れたくなる。

まさか、そんな社会現象に自分が巻き込まれるなんて、どこか遠くに居たはずのその現象は今正に、自分の知覚できる範囲で渦巻いている、その事実に眩暈がしそうだ。そこではっとし首を振る。

「う、嘘よっていうか、なんでそんなの判るの?」

きっと今の自分は酷く動揺しているに違いない。浅葱はただ端末をスライドし、そのPDFのトップページを見せる。“機密資料”ただ一言書かれている言葉。

「ちなみに、この資料はちょっと色々小細工して盗んだものです。ど?あ、確証を得たかったら」

その手が市役所を指差す。あんな男となんて滅多にいうものでもないし、言ってはいけないが、伴侶になんてなりたくない。その思いが体にも表れたのか、やけに体が震える。歯がなる。頭が痛くなる。気持ち悪い。

「……なにがしたいんですか?」

そんなものを見せて、自暴自棄になっていたところを更に突き落として。いきなり目の前に現れたこの浅葱という男が死神にすら見えてしまう、絶望だ、殺されるのと同じぐらいの。

「これ俺の相手」

と、次に見せられたのは女の写真。まとまった黒髪、綺麗で、清潔感に溢れ、女の自分ですら美しいと思う女性。

(あてつけかよっ)

相手の端末をなぎ払う。大きな音を立てて転がる端末を見つめて一瞬冷静になるが、その写真を見てまた怒りが膨らんでしまう。

「なにがしたいの!自慢?!あてつけ!?」

赤毛の男に掴み掛かる。もういい、ここで暴力沙汰を起こして捕まっていいとすら思える。絶望、今まで恋愛をしてこなかった自分が悪い。そりゃそうだ。ただ、勉強だってしなきゃいけなかった。少しでも選択肢を広げようと足掻いてきたのがこのザマだ。おまけにこんな当て付けをされてたまったものじゃない。

「違うよ?」

思い切りこぶしを振り上げる、言葉なんか聴かない。もう、全部滅茶苦茶にしてやる。

「在香ちゃん、いや、在香。俺と組まない?」

(……ン?)

一瞬浅葱が何を言ったのかが判らなかった。組まない?なにを?なんて頭の中で結論を導き出そうとする。

「?」

ぐちゃぐちゃな頭で考えてもわかるわけなく、頭の上にはてなを浮かべた私はきっと滑稽な顔をしている。鏡がなくとも、そんなこと分かるぐらいに、毒気が抜かれる。

「俺の伴侶になってください、ってことだよ」

「は?」

本当に今まで自分が出したことすらない間抜けな声が出た。投げ飛ばされた写真を見つめる。自分より綺麗な女性。自分と比較しても勝ち目なんかなく。だから、本当に何を言っているのかが判らない。

「……別に、結婚なんかしなくてもいいよ。気が向いたら結婚するでもいい」

赤毛の男はなだめるように、襟首をつかむ手をぽんぽんと撫でる。ここで思うことはひとつである。

(いや、いくらなんでも投げやりすぎないか?)

縁も所縁もない赤の他人といえど少し心配になってしまう。頭、大丈夫ですか、と思わず口をついで出そうになる。

「なんだろう……こう、傷つけず、癪にも障らない言い方」

なにを言いたいのか唸り続ける浅葱はぽんと手のひらを打った。

「君混ざり物だろ?」

かなり遠まわしだが、ようはマーブルでしょ?といいたいらしい。いや、普通に言えばいいのに。だが、それは事実なのでこくりと頷く。

「だよね、俺さ、上級役職につきたいんだよ」

手のひらをそっと離され、ぎゅと握られる。相手の目は真剣で。嘘をいっているかもしれないけど、不思議と信じてみたくなる、そんな瞳をしている。いや、それは私が単純でちょろいだけなのかもしれないが。

「私、働いてないし……」

規定値には達しているけど、規定値試験は中学校の卒業間際に行われ見事に在香はS判定をたたき出している。だから、別に高校に行かずとも就職する道も選べた。ちなみに、現在はアルバイトなんて扱いで一応加入はしている、上級という割にはゆるい……というより人手不足なのであろう。いつでも来てね、なんていわれたのが耳に新しい言葉を思い出す。

「うん、別に高校出てからでもいいよ」

にへらと笑う浅葱の顔は悔しいくらいにかっこいい。いや、絶対何かこの場限りのフィルターはかかってるのだが。私自身面食いである自覚はある。それに、……あんな汚い男の写真を見せられたせいか遥かにマシに思える。

「なんで、あんな危ない職業につきたいんですか」

私は最終的には上級職業につくつもりでいたが、まあ、一応選択肢を増やしたくて一心不乱に勉強をしているのだ。もしかしたら、もう少し稼ぎのよくて安全な職業があるんじゃないかと。

「……秘密。たいしたことじゃないけど、ごめんね」

いうつもりはない、怪しい事この上ないのも事実だが。あんな写真見せられると手をとりたくなってしまう。顔といい、性格は知らないがおそらく、天と地ほどの差があるであろう。偏見とかはまあ。

(ごめんなさい、私は聖人にはなれません)

心の中で信仰など1ミリもしてない神に懺悔をして、顔を上げる。

「で、どうする?もうすぐ、時間なんだけど」

端末を拾いちらと時計を見せてくれれば、タイムリミットまであと3分。だけど、先のように心は曇っておらずに、むしろ、清々しい。肺に新しい空気を取り込み、浅葱、紫藤浅葱を見つめる。

「……よし、宜しくお願いします」

一歩下がり、頭を下げれば浅葱の手が頭をなでる。

「おし、じゃあ、走ろっか」

顔を上げれば手を掴まれる。それの意図を汲み、浅葱が走り出すのに1秒弱、遅れて走り出す。

心の中はすっきりしている、結婚するかなんてまた別だ。だけど、この人はしない選択肢すら出してくれた。それだけでも、凄くありがたい。名義上の伴侶だけでもいいといってくれる男はこのご時世大変少ないからだ。だから、ずっと、ずっと感謝できる。

こうして、2003年4月1日。私たちの契約が取り交わされた。

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