十条暁美宅 廊下―リビング 10:12
一回目で仕留められなかった。焦る必要はないのは分っている。だけど、いつも最悪を想像してしまうのだ。もし、この重症が伽耶や浅葱より強かったら?自分たちの死体なんて容易に想像がつく。
「すみません、少々散らかっていますが」
どうぞ、なんていいながらリビング部分に通してくれる。入った刹那。
「っ……」
浅葱の息を呑む音が聞こえる。まともな反応だ。私も目の前の状況に表情を取り繕うのが精一杯…………いや、正直取り繕えている自信はない、だって、今にも吐きそうなのを堪えているから。
「申し訳ございません、何分、お客様が多かったもので…………」
暁美が舌なめずりをする。目の前に広がるのは、血とも臓物とも脳漿ともいえぬものが落ちている地獄。血の合間から覗く、紺色の制服から警察官であることは分る。むごい。でも、よく考えれば分ることで、取り押さえようとした警官が胃袋に直行したらしいことはデータにあったが、家宅捜索をしようとした類のデータが一切記述がなかった。そもそも、この仕事は警察がひとしきりお手上げなんてことになったら回ってくるものなのだ、そこから出てくる答えなんて一つしかない。
「うは、食事にすら値しなかったってことかよ」
表向きは失踪。でも、現状はこれだ。杏梨の言葉は死者を冒涜しているが、その通りなのだ。食事にも値せず、屑肉として捨てられた、それが一番しっくりとくる表現だ。
「はい、私、異性しか食べませんから」
血濡れのソファに腰掛ける家の主は問題でも?なんていいたげに、反対側のソファへの着席を促した。血でべチャべチャにぬれたソファになんか、座りたくはなかったが、とりあえずは要求を飲まなければチャンスもない。唇の内側の肉を噛んで我慢をしながら、私、浅葱、杏梨、伽耶の順番に着席をしていく。
「……で、アンタなんか遣り残したことでもあんの?罪状なんて自覚あるんだろ」
浅葱は手をぷらぷらとさせながら、暁美に問いかける。目の前の惨状に気をとられすぎて、本来の目的を忘れかけていた。すると暁美はご名答といわんばかりに綺麗な微笑みを浮かべた。
「私話してみたかったんです」
誰と、とは言わない。言わないけど、視線で分る。視線の先には杏梨と在香。つまりは。
「マーブルの方と、です」
マーブル、差別用語の一種だ。反転病患者ともノーマリとも違う種族、厳密に言えばマーブルはノーマリの分類だ。だが、違う。決定的に違うのだ。マーブルは反転病患者の番の間に乱数的に生まれたノーマリのことをいう。反転病に関しては遺伝するかは五分五分、遺伝をすれば反転病、しなければノーマリもしくはマーブルに分類される。マーブルは反転病のように血を飲んだりはしない、だけど、ノーマリより何かが決定的に優れている。それは知能であったり、運動神経であったり、多少人間離れをした動きができる。むろん、複数開花するものもいれば、一枚も花開かないものもいる。そんな、乱数的な存在。不確定要素とでも言おうか。
「おう、そーかよ」
杏梨は気を悪くした様子もなく、応答する。実際気にしてはいないのだろうが。
「……で、なにをお話したいんですか?」
在香も気にはしていない。ただ、面と切ってマーブルなんていわれるとちょっと驚くだけで。暁美は自分の後ろの本棚の本を手にとり、ページを開く。そこには“上級職業について”なんて記されている。だけど、その下は真っ白だ。真っ白、なにも書かれては居ない。
「私はね、此処に書き記したかったのです」
眼を伏せれば、そこには灰色の感情が浮かび上がる。悲しみなのか、後悔なのか、懺悔なのか。そこまでは汲み取れない。汲み取れないが、敵意だけは感じない。
「マーブルの方がなんで、差別される職業に就くのか。黙っていればバレないのに」
なぜ?瞳が問う。そんな質問今までされたことなかったからか、少し言葉に詰まる。
「だから、私は殺したのですよ」
だから、殺した。そのだからにはシンプルな意味しか篭められていない、シンプルにとても重たい。
「奥さんを、私たちをおびき寄せる撒き餌にした、と?」
首をふるふるとふる暁美の眼の色が変わる。狂喜に歪む、唇。それはまさしく鬼。
「やだなあ、13人の女の子もですよ」
暁美の呼吸が荒くなる、そんなのは建前だとしか感じられない。恐らく暁美は自分にすら嘘をついている。最初の奥さんはそんな理由だったのかもしれない、でも、そこから魅入られたのであろう。
殺し続けた。
証拠はなにもない、根拠はなにもない。直感だ。
暁美の息の荒さ、顔を抑える手の指の間から覗く狂喜の渦、信じられないことに勃起までしてやがる。もうこれ以上は話す必要はない。最初の段階で撃ち殺せなかったせいで時間を無駄に使ったなんて考えながら、口を開く。
「浅葱、やっていいよ」
浅葱は待ってました。とばかりにイスから立ち上がる。
「なにをですかー?ほら、お話聞かせてくださいよー?」
けたけたと笑う暁美。その姿は狂気じみていて、人間の姿なんかではなくて。
「お前を殺すんだよ、殺人鬼」
動く。瞬間、浅葱の急激に伸びた爪と暁美の爪がかち合う。ぎらぎらと煌くのではないかという想像をさせてしまうぐらいに音は金属、決して人体から発せられていい音なんかではない。同時に、私と杏梨はリビング入り口にまで後退し銃を構える。