一つ、反転病を差別してはならない。
一つ、反転病はノーマリを襲ってはならない。
一つ、男女とも高等学校に進学したとき、お互いの伴侶を決める。
(―――抜粋 反転病対応マニュアル)
2005/06/27
「起きろ!!」
少し声を荒げながら黒色の羽毛布団を剥ぎ取る、目の前にいるのは赤褐色の毛玉。いや、赤褐色のぼさぼさのロングというにはちょっと微妙な髪形をした青年。
「ぁー」
ぼーっとこちらを見つめる瞳は紅。肌は健康色。
「ぁー、じゃない学校に遅れるから、起きなさい」
目の前に居るソイツはTシャツの袖で眼を擦りながら、時計を確認し、再び向き直った。伸ばされる腕は首に絡みつく。だが、そんな行動にももう、慣れた。
「お腹すいた、在香」
頭ごと、というのは些かおかしな表現だが、顔を引き寄せるように、私、志藤在香をベッドに招きいれ、マウントポジションをとる。
されるがままなんてどうなのか、抵抗してはどうなのか、そんなことを思った時期もあった。
でも、起こるべくして起こることなら仕方ない。抵抗しても結果が同じなら仕方ない。それが私の在り方だ。
「許可をとるってことをしないよね、浅葱は」
マウントをとっている赤毛玉……もとい、ソイツ、もとい、その男の名前は紫藤浅葱。
ちなみに苗字の読みが一緒だからといっても、兄妹、血縁などでは断じてない。
まあ、本来伴侶というのなら苗字は一緒であることがほぼほぼ当たり前なのだが、私たちはあくまで伴侶という形はとっても結婚はしていない。
「だって、そういうの必要ないでしょ」
浅葱は私のことは何でも分っていると言いたげに紅の瞳で覗き込んだ。
そして、そのまま首筋に顔を移動させ犬のように舐めてから噛み付く。ぶつりと音がしても可笑しくない衝撃、1日に3回の儀式。
「あ……くっ……」
唇を噛んで痛みに耐える。この儀式は反転病患者にとって生きるために必要なことなのだ。
反転病、それはセカイに突如現れた。最初の発祥地は公には公開されてないが、アングラな……もっと違う言い方をするならば根も葉もないネットのうわさによれば、その発祥地は日本らしい。反転病に犯された人間は、人の生き血を糧にして生きる化け物になる。その代わり、異常な身体能力や回復力を有する。そしてなにより人間の数倍、数十倍の繁殖能力を誇る。反転病が出現した当初、世界は混乱に包まれた、と聞くが時がたてば人間はルールをつくり、その病とも折り合いをつけて生きていっているというのが現状だ。異常に繁殖をしない、反転病を差別しない、ノーマリ……反転病患者でないものを反転病患者は襲ってはならない。数えだしたらキリがないルール、その中で際立って異質なルールが在香を縛り付けている。……当時、日本は2人に1人が高齢者、というとんでもない少子化に見舞われていたらしい。まあ、その時代は戦時下でもあり、人間という種が消費された時代でもあったのだから、仕方ないのかもしれないが。…………そんな中、日本政府は反転病の繁殖能力の高さとその種の強靭さに目をつけた。だけど、反転病患者が異常に人口を増やすのも困る。だから、ルールを設けたのだ。
一つ、男女とも高等学校に進学したときに、お互いの伴侶を決める。
まあ、このルールに付随して、出産した人数によっての優遇とかもあるのだが、それは別の話だ。このルールの目的はいくつかあるらしいが、一つは少子化対策。二つ目が反転病患者に不特定多数の人間と繁殖行為を行わせないためである。このルールを破ったモノへの罰を下す機関だってある。このルールは、伴侶を自発的に決めた……つまり、既定の年齢になるまでに伴侶を決めたものには幸福な結末が訪れるだろう。無論、理想とはかけ離れるものもいるであろうが。その問題は在香としては知ったことではない。そして、私と浅葱は恋愛なんてスイーツで甘くて笑っちゃうようなことはしていない。つまりは制度によって半ば強制的に決めたものだった。といってもまだ、在香たちは報われる方だった。本当に決まらなかったものたちは、その場であった人間と将来伴侶、ということになるのだ。在香たちはそれが決定する数時間前に出会い、そして結託し、ルールにのっとって、将来伴侶ということになった。
(……実際、絆されてるんだろうな)
次第に痛みは熱に変わり、もった熱が脳みそを犯し、ぼんやりとしてくる意識の中で考える。
これはペットに愛着を持つのと似たようなこと。一緒に居れば情がわくのは当然だ。
「ン、ごちそーさま」
首筋から唇を離し、取りこぼしを舐めてから絆創膏をぺたっと張られる。
「ハイハイ、んで、学校の準備して」
ゆっくり起き上がり、何回か瞬きをする。貧血を起こってないのを確認すれば、浅葱の制服を探しにベットから立とうとする。
「えー、いいじゃん?」
ぼふっと、異様な力で引っ張られベッドの中に逆戻り。もう一回再確認だ、こいつとは恋愛なんてスイーツなマネは決してしてない。よく、浅葱はこういう接触をしてくる。浅葱の意図なんか私は知らない。なにを思ってこうしているかなんて知らない、ただ、あの最悪な日に最高の約束をしただけなのだ。だから、これは恋愛なんかではないのだ。
「お遊びは他の子としてくれない?」
反転病患者の力に普通の人間は太刀打ちなんてできない。ので、諦めてなされるがまま抱き枕にされている。
「それやったらオレ、殺されるって」
ひゃー等と言いながら、首を振る浅葱。そう、殺される。ルールを破れば殺される……すぐにというわけではない。だが、ルールを破りすぎると殺されるのだ。そもそも安易に繁殖が可能になってしまったのだ、一人や二人殺したところで問題ないみたいに政府は判断しているらしい。
当時を知らない私が言うのもなんだが、当時の判断は何処へいったやら。
「骨ぐらいは拾ってあげるよ」
口角をあげて、紅の瞳を覗き込む。本当に浅葱はなにを考えているのかがわからない。瞳の奥がなにものも寄せ付けない暗さを持っている。
「骨だけー?まず、助けてくれねーの?」
甘えたいのか子供のように胸に擦り寄りながら、砂糖菓子のように甘い声で呟く。でも、それが効くのは余程のルール破り野朗かおつむの弱い女だ。そんなのに惑わされるほど、私は純粋でもなければおつむも弱くない。
「やだよ、私死にたくないもの」
頬を膨らませながら、谷間に顔をすりすりとしてくる。全く、こんな脂肪の塊のどこがいいのやらと思いながら為されるがままになっていると時計が九時を告げる鐘を鳴らす。
「あ、遅刻だな」
嬉しそうに顔を上げながら、いう顔は確実に確信犯であることを証明している。この野朗。
「……黒ね」
はあ、と溜息をつきながらもういいや、と全身の力を抜く。別に学校に絶対行かなきゃいけないなんてまじめちゃんでもなんでもない。行ったって素敵なイベントがあるわけでもない、素敵な恋愛なんて言語道断。それなら自堕落に過ごし甘い蜜を吸うのも悪くないものだと私は考える。
「いいじゃん、仕事の呼び出しがあればちゃんと行くし、それまでは寝てよーぜ?人間頑張りすぎるとよろしくないしな」
隣に寝転びながら私の髪の毛を指に絡ませ、時折キスをして弄ぶ浅葱はにへらと笑った。
「仕事、ねえ……」
仕事、それは本来学生には不必要なもの。だが、一部の特殊的特例的な人間はそのお仕事を請け負う。まあ、この辺についてはおいおい説明する機会もあるであろう。浅葱が一方的に喋ってくるのを聞き流しつつ、入ってくる朝日に二回目の眠りを促される。制服に皺がつくとかも頭をよぎったが人間、睡魔には勝てず---。
“ピリリリッ”
自分の端末の音に意識を引きずり戻される、浅葱を押しのけて、バックから携帯を取り出し電話をとる。
「もしもし」
淡々と電話に出れば、相手はテンション高く応答した。
「もっしもーしっ!おはよーございまぁっす!」
キーンッと、声がでかすぎるのか音割れした声が電話から響く。この相手を在香は知っている。いや、むしろ、知っていなければ出ない。なんなら知っていても出たくない。
「……オハヨウゴザイマス、
杏梨、その名前に反応するように浅葱も電話に耳を寄せてきた。ちなみに名前はこんなでもれっきとした男だ。詐欺、と初見で在香は感じた。名前の感じからふんわりとした淑女といわれるタイプの女性が出てくるのだと思っていたらとてもがさつで不潔なおじさまが出てきたからだ。
「杏梨、どうした??」
会話に割り込むように、浅葱が口を出す。杏梨からの電話の後は毎回忙しくなるために、浅葱も顔に聞きたくないけど、なんて書かれている。こういう時は息の合った伴侶、なんて言えるのかもしれない。
「お二方さんは今学校かい?」
この人はこちらが学生であることを知っているために、この質問には答えづらいがしょうがない。これは自堕落した自分たちがいけないので、いいえと答える。すると、電話の向こうから下品な笑い声が聞こえてきた。この人のこういうところは慣れてはいるが、まあ、むかつくものがある。凄くむかつく。
「ぶひゃひゃひゃひゃ、え、なに、昨晩はお楽しみかいっ?え、ぶひゃひゃ、若いモンは元気でいーねぇっ!」
浅葱と目線を合わせて、肩を落とす。この人はこういう人だ、唱えながら自分を落ち着かせて、口を開く。
「あのー私たちがそういうのしないって分って言ってます?用がないなら切りますよ?」
少しの苛立ちを含ませながら答えれば電話の向こうからは慌てた様に静止が入った。
「すみません、杏梨がまた不愉快なことをなさったのですね……」
凛とした鈴の音のような心地のいい声。電話の主は杏梨からチェンジしたらしい。
「いえ、
伽耶さん、電話の向こうに居るのは杏梨のパートナーである女性だ。男につりあわず、しっかりとした女性で、あぁ、憎きルールに縛られて決められたのかなんて思ったら、これまた驚き恋愛をしてからパートナーになったというのだ。杏梨にはつくづくもったいない女性だと思う。
「本当にごめんなさい、で、重ね重ね申し訳ないのですが、お仕事です」
やはりなあ、なんて心の中で思いながら詳細を書き留める。浅葱と在香のお仕事は現地でやるものなので、ここでは話だけなのだ。
「では、私たちも追って現地に向かいます」
伽耶の言葉にはい、と返し電話を切る。在香たちも向かわなければならない、こうして、自堕落な朝は唐突に終わりを告げるのであった。