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第12話 敵か味方か〈7〉

「やはりあなた、声は同じですけれどマンジュ卿ではありませんわね! マンジュ卿が二人いるわけありませんし、その手はモフモフでも肉球でもありませんもの!」

 抵抗を見せるアリシアの突発的な行動に、「あっ」と誘拐犯のほうが焦った声を上げる。視界を奪われたままの彼女はナイフの存在を知らないのだ。

「くっ」

 丁寧に研がれた刃が肉に触れる。犯人からアリシアを庇ったレオの手の甲にじわりと血の雫が浮いた。狼獣人が、その好機を逃すわけもない。即座にナイフの角度を変え、アリシアを守ろうと体を盾にしたレオの首筋を狙って突く。上体を振ってその軌道をかわしながら、レオは誘拐犯のボディを蹴りで狙った。人間に化けたままの狼獣人の体はしなやかに蹴撃を避けて後方へ飛び退く。

「アリシア様! 大丈夫ですか!」

 レオが振り返って、アリシアの無事を確認した。無我夢中で相手から遠ざかろうと手向かったアリシアは、バランスを崩して尻餅をついている。そこに妖精が『ママ!』と飛びついた。アリシアは手探りに妖精の位置を見つけて優しく手を添える。

「大事ありませんわ!」

 レオとアリシアのやり取りを見ていた狼獣人が、ペッと土の床に唾を吐いた。

「獅子族はいつだって良い子ちゃんだよなぁ。正義漢ぶりやがってムカつくぜ!」

「そんなつもりは全くないが、フェアに闘いたいなら人間のふりをしている化けの皮を脱ぐよう貴殿に勧めよう。それに、これは一対一の闘いだ。名前を聞いて敬意を払わねば」

 それを聞いて、誘拐犯の彼は鼻で笑う。体勢を整え、ナイフを構え直した。両者の距離は数メートルある。身体的な間合いの外ではあるが、獣人の運動能力ならすぐに打撃が届く距離だ。

「お貴族様は、さすがスラスラ建前が出てきやがるぜ。単にこっちの正体探りたいだけだろ?」

「もし尋問するなら、名前よりまずは目的と群れの構成人数を聞きたいところだな」

 狼獣人からの勘繰りをレオは否定しない。誘拐犯の指摘はそこそこ当たっているのかもしれないと、二人の会話を聞きながらアリシアは思う。

「あの自警団以外にも仲間がいるのか? それとも少数精鋭のチームか?」

「さぁ? 知らねぇ話だな」

 とぼける誘拐犯の答えを受けて、令嬢はさらに混乱した。

(この誘拐犯を例の不審者だと思っていたけれど、あの自警団のメンバーなの⁉ それともあの自警団の四人とは無関係の獣人かしら?

 あっ、マンジュ卿の声をあれほど上手に真似ていたのだから、ひょっとしてさっきここに来たレナルドさん似の声の人も狼獣人が化けていたということ?)

 考えれば考えるほど情報を整理できなくなるアリシアをよそに、狼獣人はさらに煽るような言葉を選んだ。

「化けの皮かぶって人間のふりをしたがってるのは、実のところあんたのほうじゃねぇのかよ、レオ・マンジュ」

 レオの表情が強張ったのを見て、狼獣人は煽り続ける。

「なんでロアラで貴族なんかやってんだ? 獅子族なんかプライド高くて、ライオン以外の種族のほとんどを『牙なし』呼ばわりしてるくせに。本来、人間なんか眼中にねえだろう?」

 話しながら、狼獣人は自分の靴のつま先をトントンと地面に打ち付けた。これは魔法の下準備だ。土から基素エーテルを借り受けて、逃げ足に変換する魔法。狼の一族における秘伝の魔法は地味で種類も少ないが、彼らの生態や性格にぴったりのものばかりだ。

「そっちのお家騒動の噂は語り草だけどよ、あんたが腰抜けライオンだってなら全部納得いくぜ」

 ナイフの刃先を向けられつつ、レオは努めて冷静に反論した。

「……家族は関係ない。ワントとロアラの交易を活発化させることは両国双方にメリットのあることだ」

「だから? 極太実家に反発した坊ちゃんのお遊びにしか見えねえよ。こっちは兄弟の分の食い扶持も足りねえで家を出るしかないってのに」

 誘拐犯がレオへ零した愚痴は、地面に座り込んだままのアリシアにも響く。「あの、あなた」と思わず口を挟んだ。

「本来他国のことに干渉すべきではないと承知しておりますけれど、ピオ村を治める貴族の立場としては聞き捨てなりません。その境遇は、狼獣人の方々が野盗や馬車強盗に手を染める結果と関連性があるのではなくて? ピオ村への悪影響を排除するために社会構造の改善が求められるならば、ポーレット家は協力を惜しみませんわ」

 貴族の務めノブレス・オブリージュは、アリシアの亡き母と女神ライザからの教えだ。義を尽くし、愛を為すことは、この世界ライゼリアとルーシィに授けられた助言の根幹でもある。以前の、ゲームファンから悪役令嬢呼ばわりされていた頃のアリシアなら、そんな建前などに関心を寄せることはなかっただろう。持つ者と持たざる者は、生まれた時から決していると思っていた。今のアリシアには元の世界の優子の人格の善性が宿り、女神ライザの説く理想論そのままを口にする。

 アリシアの言葉に、すぐさま答える声はなかった。少し経ってから「寝言は寝て言うもんだぜ」と返事がある。今、誘拐犯の彼はどんな顔をしているのだろう。彼の声は、視界を奪われた状態のアリシアには想像もつかないような、感情の起伏のない響きだった。

「……これだから世間知らずは困るんだよ」

「わたくし、まだ若輩者ですから」

 アリシアは一歩も引かない。

「そういうんじゃないんだよ。やめてくれよ、ほんとにさぁ」

 狼獣人の男の声はわずかに揺らいで、狼狽が滲む。

「くそ、違うだろ。何だよ、くそ!」

 具体性のない罵倒。それが、最終的には怒りの感情として剥き出しになる。

「馬鹿にしやがって! お前らからの施しなんて屈辱だ!」

 強い反発。罵られたアリシアは戸惑うと同時に、理性ではなく本能的な部分で相手の言葉が神経に触るのを感じた。それは、まるでかつてのアリシアのように。男からの罵倒は続く。

「何の苦労も知らないくせに! 温室育ちが説教垂れて胸糞わりいんだよ!」

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