「狼だな」
ピク、と誘拐犯の彼が反応を示す。レオは「そう判断した理由は三つある」と言葉を続けた。
「通常、ロアラの国民は獣人と関わることがない。辺境に暮らす民なら獣人の存在に慣れてはいるだろうが、一対一で闘うとなれば話は別だ。獣人の私と躊躇なく闘う選択をする時点で、相手も同じ獣人ではないかと推測が成り立つ。人間にしては高すぎる身体能力も、疑う理由には十分だ。
そして、この魔法。魔法陣は一族ごとに伝わる種類が異なるものがあるが、これは狼やハイエナが使ってきたタイプだ。加えて、拘束陣は物盗りのグループがよく使う。最近ではあらかじめ警備側が対策をして、建物に陣崩しの魔法をかけておくとか。
ダメ押しは、その顔だ」
アリシアをさらった男は、レオの話を遮ることもなく背中越しに聞いている。レオは話しながら、ぐぐぐと体に力を込めた。だんだん負荷をかけられていく光の輪は小刻みに震え、次第にその円周が
「顔から、はがれかけて、いるんだ。化けの、皮が……!」
言葉を区切りながらレオが光輪に更なる力を加え、最後に人語にならない咆哮と共に、拘束を破った。光の輪は砕ける直前、さらにまぶしく光った。弾けるとガラス片のように小さなピースとなって、やがて光を失って立ち消えた。
「おーいおいおい、嘘だろ⁉」
人間ではなく狼獣人だと正体を暴かれた男は、一目散に駆けだしている。
「アレ、引きちぎるか、普通!」
レオのあまりのパワープレイに狼は蒼ざめる。必死に駆けて小屋に飛び込み、侵入を禁じる魔法を慌ててかけた。
「
小屋の入り口はもちろん、レオが開けた壁の穴もカバーする形で魔法が発動する。
(だけど、この魔法も多分破られちまうはずだ)
一刻も早く退却するべきだと、狼の彼も本能で悟っていた。しかし、自分の足でただ逃げるだけでは追い付かれて、あのパワーに敗れてしまうだろう。逃走の確実性を少しでも高めるべきだ。となれば、狼獣人の彼が思い付く今取るべき行動は一つだった。
(あのお嬢様を人質に取って、盾にして逃げるしかねぇ!)
あまり時間の余裕はない。彼は急いでアリシアの元へ駆け寄った。
「ご令嬢」
呼びかける声は、狼のものではなくレオの声音だ。狼はいつだって化けるのが巧い。羊の皮をまとう時も、赤ずきんをかぶった少女を騙す時も、七匹の子ヤギを食べようとした時だって。
「あぁ、マンジュ卿! お怪我はありませんか?」
アリシアが安堵した様子で返事をして、レオを心配する。視界を奪われたまま、放っておかれたのだ。きっと彼女自身も不安だっただろう。その様子につられて、誘拐犯の彼も「大丈夫です」と思わず答えた。アリシアが、ほっとした表情で微笑む。
「よかった。
結局、マンジュ卿に頼ってしまいましたわね。村の外の見回りも、わたくし自身の捜索も。領民の助けになるどころかお恥ずかしいところをみせてしまいましたわ」
(……へぇ)
狼獣人の彼は嘘をつくのに長けているから、同じく嘘を見抜くのも得意だ。多くの貴族が至福を肥やすことしか考えていないのに、この令嬢は心から領民を思っているように見える。
(……なんか、おもしろくねーな)
どうして自分がこんな風に感じるのか、アリシアをさらってきた彼には分からない。
その時だった。小屋が少し揺れて、軋むような音がした。
「じ、地震⁉」
戸惑うアリシアだが、狼獣人の彼には正解がすぐに分かる。レオだ。
「心配ありません、どうぞこちらへ」
レオの声で誘導するのを、アリシアのそばにいた妖精が不審そうな顔で見ている。狼はアリシアの手を取り、もう片方の手で大きめのナイフを握り込んだ。
そのタイミングで、小屋がまた揺れる。レオが、外からの突破を試みているのだろう。侵入禁止の魔法も、長くはもたないに違いない。
「急ぎましょう」
人間のふりをした狼獣人の彼が、ぐずぐずしていられないとばかりに令嬢の手を引いた。と同時に、誘拐犯の彼が予想していた嫌な振動が小屋を揺らす。レオだ。さっきは壁に穴を開けたライオン型獣人だが、今度は魔法による空間封鎖を吹っ飛ばしてきた。駆けてきたレオの拳を、狼獣人はあやうくまともに食らいそうになる。
「あぶね! 毎度力押しな奴だな!」
「アリシア様!」
レオがアリシアの名を呼び、人に化けた狼獣人から彼女を引き剝がそうとする。すでにレオの声色に似せることを忘れてしまっている誘拐犯だが、人質をやすやすと手放すほど間抜けではない。
「おっと、そうはいかねえぜ!」
ナイフを持った手をレオに見せつけ、狼獣人が令嬢の首元に腕を回そうとする。だが、アリシアは躊躇なく繋いだ手を離さんと身をよじった。その拍子に、アリシアの体に掴まろうとした妖精も振り落とされてしまう。