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第12話 敵か味方か〈3〉

 やがて、アリシアをさらった人物の移動スピードがゆるやかになった。さっきまで森の中の落ち葉や雑草を踏みしめていた靴音が、今は硬い地面を歩く音に変わっている。アリシアの体が、雑に土の上へと降ろされた。

「はぁ、羊の皮を着るのは毎度窮屈だな。しかも今回は二重ときてる」

「きゃっ」

 視界が真っ暗なせいで、アリシアには状況がすぐに分からない。小さく悲鳴を上げた。

「大げさにしやがるお嬢様め」

 アリシアを担いできた彼が、忌々しげにそう吐き捨てる。

(この声、聞き覚えがあるような、ないような……)

 アリシアは、相手の一言から正体を探ろうとするがうまくいかない。運ばれている間のアリシアは一体誰がこんなことをするのだろうとずっと考えていて、せめて声が聞ければヒントになると思っていた。

(実際は、声を聞いたくらいじゃスピード解決ってわけにはいかないわね)

 アリシアは気を取り直し、相手が何者なのかを推測しようとする。降ろされた高さからして、自分よりも長身なのは間違いない。聞こえる声は男性のものだ。口調はぶっきらぼう。言葉遣いからすると年配者ではないだろう。

(こいつが村の外をうろついてる例の不審者、と考えるのが最も妥当よね)

 視界を奪われたままのアリシアが「わたくしの身代金をご所望かしら?」と声がした方向へ尋ねると「そりゃあ、もらえるもんはもらっておきたいがな。一番いいのは、あんたが出てってくれることさ。貴族って奴らは本当に厄介だよ」と返事があった。

「素直に尻尾巻いて王都に戻ってくれるなら、すぐにお家に帰してやる。お嬢様だって死ぬのは惜しいだろう? 命は、いくら金を積んだって買えるもんじゃねぇ」

 アリシアはどう答えを返したものだろうか、と迷う。そして「あら、そうなの。ふーん」などとはっきりしない相槌を打ちながら、周囲の様子について情報を拾えないかと試みていた。

(ここは、簡単な小屋のようね。私達のほかには、誰もいないみたい)

 耳を澄ませばアリシアと相手の声が壁に当たって反響しているのを感じ取れるが、風が完全に遮断される作りではないようだ。床板はなく、そういえば、この小屋に入るために扉を開けた様子もなかった。

「悪い話じゃないはずだ。パパに泣き付く口実を用意してやるんだから」

「どうかしら。そうねぇ」

 曖昧な受け答えでお茶を濁しながら考えるうちにアリシアはハッと気付いて、妖精がいつも止まっている自分の肩やデコルテあたりに思わず手で触れる。

(……あの子、いないわ!)

 あの妖精は、いつ自分のそばを離れたのだろう。まさか森の中ではぐれてはいないだろうか、と令嬢は心配になる。

 その時だった。煤にまみれた調理場のような、焦げた匂いが鼻についた。今朝の、蜘蛛との戦闘の中で燃え盛る小枝や木の葉を思い起こさせる匂い。アリシアは今の状況をしばし忘れ、あのショッキングな場面が彼女の頭の中にフラッシュバックする。

「聞いてんのか!」

 要領を得ない返事ばかりの令嬢の態度に業を煮やし、男が怒鳴った。空気がびりびり震える気がする。その凄んだ声に「ひぃっ」と怯えた様子を見せたのは、アリシアでも、誘拐犯でもない、第三の男だった。

(今のは誰⁉)

 驚いたアリシアだが、どちらかと言えば、突然現れた彼のほうが彼女よりよほど動揺している。

「あっ、あなたっ、どちら様ですか⁉」

「オウ、ちょっと場所借りてるぜ」

 どうやら怯えている彼は、今しがたこの小屋に戻ってきたようだ。その彼の声をよくよく聞いて、アリシアは視界が遮られたままではあるが目を見開いた。

「レナルドさん⁉ そこにいるのね⁉ よかった、心配していましたの!」

 やはり知り合いの声はすぐに分かる。そう思ってアリシアは呼びかけたのに、向こうからは期待したような返事はない。

「……ひ、人違いです」

「え?」

 そう言われてもとても信じられず、アリシアは目を凝らしたり瞼の周りを擦ったりしてみるが、視界が奪われた状態は変わらない。

「そんな人、知りません……」

「でも、その声は確かにレナルドさんだわ。悪い冗談ならおよしになって」

「ほ、本当に知らないんです……」

 気弱そうなトーンなのに妙にかたくなな、レナルドとしか思えない声。何度も違うと主張されて埒が明かず、アリシアはだんだんと苛立ってくる。

「いいえ、レナルドさんの声に間違いないわ」

「き、きっと他人の空似というやつで──」

「もう! しつっこいですわね! あなたの雇い主である領主の娘、アリシア・ポーレットの名において、真実を話せと命じさせて頂きますわ!」

「えぇっ! ポ、ポーレット……⁉」

 これまで以上に、レナルドの声とそっくりの彼は狼狽をあらわにした。

「あっ、あの、その……」

 煮え切らない態度に、アリシアだけでなく誘拐犯の男までもが次第にイライラする感情を隠さなくなっていく。

「お前なぁ! 何だよさっきから聞いてりゃよぉ! 言いたいことはハッキリ言え! そのヒョロい腕へし折っちまうぞ!」

「おやめなさい! あなたが脅しているのはわたくしのはずよ!」

 アリシアは思わず、レナルドではないと繰り返す彼を庇う。令嬢と誘拐男が言い争ううち、相手の男が「あっ、あいつ! 逃げやがった!」と悔しそうに地面を踏み鳴らした。

「あなたが怒る必要など、何もないはずですけれど」

 誘拐犯の男に向かってアリシアが皮肉たっぷりにそう言うと、予想していなかった言葉が相手から返ってくる。

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