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第12話 敵か味方か〈2〉


「そろそろかしら」

 別邸のアリシアは、レナルドが来たらすぐに出迎えられるよう応接間にいた。その声には、わずかながら確実に険がある。帰宅したニナが急いでハムとチーズをパンに添えて用意してくれて、短い時間でそれを平らげて待機しているのに、レナルドがまだ姿を見せないせいだ。

「いっそ、こちらから出向いてやろうかしら」

 レナルドは自警団の彼らに話をしてからこちらに来る段取りだったはずだ。こんな風に待っていても来ないということは、レナルドも一緒に見回りをしているのだろうか。

「でも行き違いになってしまうのも馬鹿らしいわね」

 レナルドが村での拠点としているのは、蹄鉄看板の下がっていた通り沿いの彼の家と、通りがかった身重の女性が教えてくれた水車小屋の二つだ。場所が絞られているとはいえ、レナルドが村の外を巡回してからこちらに出向く可能性を考えれば、下手に動くよりはこの別邸にとどまっているほうがいいだろう。

「……いえ、可能性はそれだけではないわ」

 真剣な表情で、アリシアは他のケースを想定する。独り言を断続的につぶやき、思わずソファから立ち上がった。

「何かあったのかも。不審者と鉢合わせになったとか……」

 レナルド。狼獣人の自警団。そしてレオ。村の外を見回りに出ている可能性がある面々を思い浮かべて、アリシアは「やっぱり出よう」と一人で何度か頷いた。そのままキッチンで夕食を仕込んでいるニナの元へ向かう。

「ニナ」

「あっ、アリシア様。

 まだ来られませんねぇ、レナルドさん」

 ニナは塩漬け肉の調理にかかっていた。細かく刻んだ肉を玉ねぎなどの香味野菜と一緒に鍋で炒めて、パイのフィリングを作っている。いい香りを嗅ぎながら、アリシアは「少し様子を見て来ようと思うの」と告げた。

「えっ、お一人でですか⁉」

 「無用心ですよ」とニナが言う。だが、アリシアは自分の主張を曲げない。

「こんなに遅いのだもの。何かあったのかもしれないと思わない? もしそうなら、応接間でただ待っているなんて間抜けのすることだわ」

 そう言われても、ニナとしては心配が募る。

「お気持ちは分かりますが……ならば、せめて私も一緒に行かせてください。一旦、調理を止めますから」

「すぐに遠くへは行かないわ。ひとまず外に出て、見える範囲に人影がないか確かめるだけ。案外、もうすぐ近くまで来ているかもしれないし」

 アリシアがそう食い下がるので、ニナは「じゃあすぐにお戻りになってくださいね。どなたもおられないようであれば、探しに出るのにお供します」と折れる形で同意した。

「ありがとう、ニナ」

 アリシアはパタパタと玄関へ向かい、外へと出た。太陽はもうとっくに天頂から外れているけれど、夕方と呼ぶにはまだ早い時刻だ。令嬢はポーレット家別邸の前にある道から、左右を確認する。

「……誰もいないわね」

 見知った顔はない。どころか、人っ子一人歩いていない。アリシアの独り言を聞いた妖精は、何だか納得いかないような様子だ。小さな顔で周りを見回してきょろきょろする。

「あら、どうしたの?」

 妖精がある一点を指差した、その瞬間だった。

「な、なに⁉」

 アリシアは目を疑う。目の間が真っ暗になったのだ。

(夜⁉ 日食⁉)

 何も見えない。視界を奪われたアリシアは、自分の体がひょいと持ち上げられるのを感じた。

「ちょっと⁉ 一体なんです⁉ そこに誰かいるわね⁉」

 令嬢は混乱して叫ぶが、答えはない。

 そのまま、アリシア・ポーレットは領主の別邸前から姿をくらませてしまったのだった。


 空気は湿っぽい。土の香りが強い。さっきから柔らかい土の上の枝を踏む音が続くから、ここはきっと森の中だ、とアリシアは思う。自分の体勢からして、何者かに、無礼にもまるで丸太を運ぶ時のように担がれて運ばれているのだ。それもかなりの速さで。

 視界は依然暗いまま。しかし、最初の瞬間ほどの混乱は、アリシアはもう感じていなかった。

(魔法による暗闇は厄介ね……)

 曲がりなりにも、混成魔法の経験を何度かは積んできたアリシアだ。今の自分の目が、他の誰かの魔法に影響を受けている状態だということは分かる。自分が集めたものではない基素エーテルを感じるのだ。そのせいで何も見えず、視覚が役に立たない。

(それにしたって大胆な拉致行為だわ)

 自分の視覚を奪うだけで、どうしてここまでスムーズに事が運んでいるのだろう、とアリシアは思う。アリシアを抱える下手人は、ポーレット家の別邸前から移動して橋を渡り、ピオ村の大通りを歩き、フォグが店を出す広場沿いを堂々と抜けたのだ。アリシアが奇妙に思うのも当然で、様々な要素がこの雑な誘拐を成立させていた。「降ろしなさい!」「誰か!」「無礼者!」と繰り返しアリシアは叫んでいたが、人口の少ない辺境の村は常に人通りが多いわけではないからその声に気付く者は少なかったし、移動スピードが出ているために令嬢の声を感じ取った時にはもうそこにアリシアを担いだ下手人はいない。広場ではフォグの店が人々の関心を集めてにぎわっていたのも災いした。フォグが商品を勧める口上を披露する中、どこかから聞こえる呼びかけに人々は無頓着だった。さらに悪いことに、アリシアはアリシアでプライドが邪魔して大声で助けを求めることをためらった。

 そういうわけで、白昼堂々令嬢の拉致は成立し、今、彼女は森の中を運ばれているのだった。

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