アリシア達はミモザに彩られたキャスの暮らす家を後にして、ひとまず村の中心部へ向かって歩いていく。
「もうすっかり昼時を過ぎてしまいましたわね」とアリシアが話題を振ると、フォグが「昼!」と翼を広げて一声鳴いた。アリシアの肩口に腰掛けていた妖精が、びっくりして翅を震わせる。
「もう午後ですね⁉ ああ弱りました、ワタシ、広場で店を出さなければ!」
フォグの慌てぶりは微笑ましいが、領民の危機に力を貸してくれたことを思えばアリシアとしては感謝を表明するほかない。
「フォグさん、お忙しい中でご協力くださったこと、深くお礼を申し上げます。何かわたくしでお役に立てる機会があれば、ぜひお知らせくださいね」
そう伝えながら、レオの視線が自分に刺さるのをアリシアは感じ取った。理由は、何となく分かる。
(かつてのアリシアは、獣人を軽んじる態度を悪びれることもなく露わにしていたようだから……わたくしの突然の心変わりをマンジュ卿は奇妙に見ているのでしょうね)
フォグへの言葉はおべんちゃらなどではなく今のアリシアの本心だが、こうも態度が変われば多少訝るのも当然だろう。アリシアはレオからの視線を受け止めて、「マンジュ卿も、広場にゆかれますか?」と尋ねた。
「……私は村の外を見回っておきましょう。キャスさんは無事で何よりでしたが、不審者に関してはまだ何も情報がないに等しい」
レオからの返答は誠実だ。逆に言えば、さっき狼獣人と相対した時のような本音は見えない。これが彼の処世術なのだろう、とアリシアは思う。
「その見回り、同行させて頂きたいわ。不審者の件、わたくしも見過ごせませんもの」
そう申し出たアリシアに、側付きメイドのニナが「あっ、お嬢様」と急いで言い添える。
「レナルドさんが、後で家に来られる予定になっているのではないでしょうか? 大切なお話のようでした」
「あ」
しまった、そうだった。領主ジョージ・ポーレットへの自警団についての報告と、話の中に出てきた、赤字という気になる言葉について説明を求めなければならない。うっかりしていたと顔に書いてあるアリシアとニナのやり取りを見て、レオが「では、村の周りを一通り確認した後、私もご自宅へご報告にあがりましょうか」と提案した。
「個人的には、不審者もさることながら、あの自警団の彼らも少々血の気が多いようですから気になっていましてね」
レオの言葉に、アリシアとニナは頷き合った。
「では、お言葉に甘えてお待ちしておりますわ」
アリシアがレオに一礼すると、フォグが「話が終わったら広場にもお越しくださいね! 掘り出し物をご用意しておりますので!」と嬉しそうにする。
「ようし。そうと決まれば、まずは腹ごしらえだ、レオ坊! まずは宿に荷を取りに行かなきゃならんが、この村の宿は食堂もやっていてそりゃまぁ絶品なのさ! ワタシのおすすめメニューは……」
ウキウキと説明するフォグに、レオが「分かりました。向かいましょう」と相槌を打つ。
やがて一行は、村の中心部の数本の道が交わる広場にさしかかり、「ではここで」とめいめいが別れを告げた。
アリシアとニナはポーレット家の別邸へと向かう。途中、キャスが案内してくれた道や教会の方向をメイドに教えながらの帰り道は、さわやかな風と草木の香りを感じてなんとものどかだった。アリシアの周りを飛び回る妖精も、どことなく楽しそうだ。
(この村に、何か問題があるだなんて思えないくらいだわ)
不審者や自警団の件。赤字の件。ルーシィの助言が指していた村の問題はどちらだろう。それとも、両方だろうか。前者も後者も領主の娘として見過ごせない一大事だが、今のアリシアにできるのはレナルドとの情報共有に供えて早く家に戻ることくらいだ。
「……お嬢様」
そんな帰路を急ぐアリシアを呼ぶニナの声は、やや深刻なトーンだった。
「ニナ?」
たいていのことは笑顔で受け止めるニナの少し暗い表情に驚いて、アリシアが「なに?」と尋ねる。
「あの、お腹、すきましたね……」
二人の間に生まれた沈黙を埋めるかのように、鳥のさえずりがチチチと響いた。キャスが神隠しに遭ったとテリーから聞いて以降、ずっと張り詰めていた令嬢の緊張の糸が切れて、アリシアは思わず声を漏らして笑う。
「ふふ、そう、そうよね。もうお昼を回っていますもの」
「そうですよ! さっきフォグさんが食堂の話をしたのがダメ押しです。ぺこぺこですよ。ピオ村の食堂って、どんなメニューを出してるんでしょう」
「それはやっぱり村で摂れた作物を調理しているのではなくて? あっ、でもフォグさんが行商に来るくらいですもの、ワントの食文化を取り入れていたりするかもしれないわね」
「地の物の扱いは当地の方にはなかなか敵いませんから、これはぜひ食べに行って研究しなくては!」
ニナが自分と共にこの辺境の村へ来てくれてよかった、とアリシアは改めて思う。一人ではない心強さに加えて、彼女と一緒ならきっと食事を摂って英気を養うことを忘れる心配はないだろうというどこかあっけらかんとした安心感がある。
「そうね、またぜひ伺いましょう。ふふ、話していたらわたくしもお腹が鳴りそうですわ」
「外出している間に、いつも別邸に食材を届けてくれる方が配達してくれているはずです。パンとチーズはきっとすぐにお出しできますよ。届いたものを確認して、ご希望お伺いしますね」
「叶うなら、ミートパイをリクエストしたい気分だわ」
「アリシア様にそう言われたら是が非でも作らせて頂きます。いい塩漬け肉を調達できればいいんですけど」
橋を渡ってしばらく歩けば少々傾斜のある道となり、やがてポーレット家のピオ村別邸にたどり着く。空腹を感じながらも楽しそうな二人の会話は弾むが、その声に聞き耳を立てる存在に彼女達はついぞ気付くことはなかった。