「隣の国に逃げた卑怯者のくせに、偉そうに説教すんなよ! 一族の名前を汚してるのはお前だろうが!」
「俺達、狼の領分に口出してくるんじゃねぇ。誇り高き獅子王様は、そっちで勝手にやってろって」
口々に罵る自警団の面々が、馬鹿にしたような笑い声を発する。レオとレナルドの顔色は一変していて、レオは怒り、レナルドは苛立っているのが表情にありありと出ていた。ロアラ国の一代貴族の称号をレオが受けた現状を彼の故郷ではこのように捉えているのだということに、アリシアは初めて気付かされる。近い他国を蔑むのは、どの土地でもある程度共通であるのが世の習いなのだろう。狼達の言葉に答えるレオの声は低く、獲物を威嚇する唸りのようだった。
「……異なる血族である私からの進言にそこまで怒りを覚えるのであれば、そのように指摘される己の行動をよくよく省みておくことだ」
貴族としての立ち居振る舞いをすんでのところで放り出してしまわずに、レオは吐き捨てた。常に礼儀正しく行動しようと努めるレオを見てきたアリシアとしては、初めて彼の素の部分を目にしたような気がする。フォグは何も言わず、ただ、よくぞ我慢した、とレオに向かって言いたげに喉元の赤い羽を震わせ、自慢の草色の翼を大きく広げてから茜色のケープの下へ納める仕草を見せた。狼人間達はというと、嘲笑の余韻を残したままキャスの自宅の敷地外へと向かおうとしている。慌ててレナルドがアリシア達に頭を下げた。
「アリシア様、レオ様、非礼を私からお詫びします。ただ、自警団となった彼らも暮らしやすい平和なピオ村を願っていることは確かです。どうぞその点だけは心の中にお留め置きください」
レナルドがそう取りなして、レオも「いえ、こちらも平静を欠いてしまいました」と反省の弁を口にする。だがアリシアはとてもそんな殊勝な気分にはなれない。
「あの自警団の件、お父様には報告しているのかしら? さっき聞こえた、赤字、という言葉も非常に気になるのですけれど」
レナルドは一瞬言葉に窮し、「申し訳ありません」とまたも頭を下げる。
「急なことでジョージ様へのお知らせはまだ……自警団の彼らに今日の午後の動きを指示して少し同行してきますので、後ほど報告の文書を共にしたためて頂けませんか。ご自宅へお伺いいたしますので」
「……分かりました」
引っかかるものを感じながらもアリシアは了承し、レナルドは狼獣人の元へと早足で合流しに向かった。
「さて、長居してしまったわね」
アリシアがちらりと視線を向けた先はキャスの父親だ。生真面目な性分なのだろう、彼はアリシア達が話を終えるまで口を挟むことなく待っていたようだ。もうキャスの家の前に残っているのは、アリシア、ニナ、フォグ、レオだけとなっている。アリシアが「では、わたくしも失礼いたしましょう」と別れの挨拶を切り出そうとしたタイミングで初めて、キャスの父親が令嬢に「あの……もう少しだけ私達に時間を頂けませんか?」と口を開いた。
「え?」
アリシアはキャスの父親の意図するところがよく分からない。キャスの父親は思い詰めたような表情を浮かべ、アリシアの戸惑う様子に気付かないままだ。
「覚悟はできています。アリシア様は、キャスを迎えに来られたのですよね?」
「どういうことです?」
誰より先に尋ねたのはフォグだった。好奇心旺盛ですぐに嘴(くちばし)を挟みたがる性格はまさに商売人にはうってつけだろう。
「……私達家族の事情を聞いて頂けますか、フォグさん」
アリシアが状況を把握できないでいるうちに、キャスの父親は語り始めようとする。アリシアはキャスの父親が何か勘違いをしているはずだと分かって、慌てて彼を思いとどまらせんとした。
「ちょっ、あの、キャスのお父様⁉ そのお話はわたくしが聞いてしまっていいものか──」
「ああ、アリシア様は、私をあの子の父親と、そう呼んでくださるんですね。どうかお話させてください」
懇願するキャスの父親が見せた、あまりに真剣で切ない面持ちにアリシアは何も言えなくなってしまう。彼が語り始めたのは、ある双子の話だった。
「さる貴族のお家に男女の双子が生まれました。どういうわけか、双子というのは一部の家系では非常に疎まれるもので、その家では親族の中の有力者が男の子を跡取りと決めて、もう一人の女の子を国の外へと里子に出そうとしていました」
「えーっ、どうしてそんな!」
フォグの、聴衆として百点満点のリアクションに、ニナも「ひどいです!」と同調する。アリシアが「聞いたことはあるわ。多胎児が忌み嫌われるっていう……」と言いかけて口をつぐんだ。さすがに、多産が獣と同一視されて不吉と嫌がられる風習の説明を獣人の前で披露するほど浅はかではない。キャスの父親は「娘を手放したくない一心で、双子の父親は親友に事情を打ち明けて相談します。その相談相手が、このピオ村を治めるジョージ・ポーレット様でした」と続けたので、またもフォグが「えーっ!」と声を上げた。
「ジョージ様は、友人の元に生まれた双子の妹をこの辺境の村で里子として預かる提案をします。国外へ送られてしまうのに比べれば、ロアラに暮らしてくれるほうがずっと安心だと友人は喜んで承諾しました。辺境に送る、という扱いにすることで親族も納得されたようです」
「それが、お宅のキャスちゃんということですか」
レオが確かめて、キャスの父親は頷く。
「あの子を引き取る時、私達夫婦は念を押されました。身分のある方の娘だから、いつかポーレット家経由で迎えが来るかもしれないと。だから、キャスの口からアリシア様が村に来られていて道案内したと聞いて心底うろたえました。それと同時に恐ろしかった。娘との別れを意味することですから」
「あの!」
キャスの父親があまりにも辛そうで、アリシアは急いで説明しようとする。
「違うのです、誤解させてしまっていますわ。わたくしがこの村にやって来た理由は、キャスの生家は全くの無関係です」
そう言いながら、アリシアはキャスが自分の道案内を買ってでてくれた帰り道に彼女を自分の友人とそっくりだと伝えたこととその情景を思い出した。夕陽によって照り映える、キャスの淡い青色の髪。髪色とよく似た青い瞳。
キャスの父親はアリシアの言葉を聞き、彼女の来訪に抱いていた疑念が払われて安心した顔を見せた。
「そ、そうですか。そうでしたか!」
アリシアは頷き「心配させてしまってごめんなさい。そちらの事情をわたくしは何も存じていなかったのです」と謝る。
「アリシア様が詫びる必要などありませんとも! ご存知なかったのなら幸いでした、あなたの口からキャスの耳に入ることはなかったのですから。ジョージ様はアリシア様にも伏せてくださっていたのですね。あの方に、私達夫婦はどれほど恩があるかもう分かりません」
キャスの父親が安堵する声を聞いて、アリシアはキャスと森で交わした会話を思い出した。
(あの時のキャスは、陰の差した気になる表情だったわ……)
救い出された後のキャスは、なぜ外出したのか聞かれて「一人で考えたいことがある」と答えていた。
「……わたくしから話してはいないけれど、キャスはその事情に気付いているのかもしれませんわ。キャスのお父様、どうぞキャスについていてあげて」
「お気遣い痛み入ります。皆様、軽率な私を免じて、先ほどの話はどうぞご内密にお願いします」
キャスの父親が頭を下げ、アリシア達は「無論です」「分かりました」と口々に了承する。
「あ、そういえば結局キャスちゃんはどこの家の子なんですか?」
そんな折に、罪のない素直さでフォグが尋ねて一同は一瞬目を点にした。
「フォグおじさん」と慌てた表情で言うレオに、キャスの父親は「いえ、娘の恩人のあなた方ですし、こちらからお願いするだけでは一方的です」と微笑む。
「あの子の生家は、ロックフォード家です」
(なんてこと!)
キャスの父親から家名を聞いて、アリシアの中で認識が繋がった。ロックフォード家の現当主、フォートはジョージの親友だ。彼の息子であるルークもまた、アリシアにとって子供の頃からの友人である。
(ルークとキャスが本当に双子……!)
確かに、キャスを見ていてルークの姿を思い浮かべるほど二人は本当によく似ていた。ちょうど同い年くらいで、二人とも淡い青色の髪。対して、キャスの父親は黒髪、母親と姉は茶色っぽい髪だ。違和感を覚えたキャスが、家族の中で自分だけが血の繋がりの外にいると察するのは容易であるようにアリシアには思えた。アリシアは、自分の言葉がキャスを追い詰めた可能性に思い至って口元を思わず抑える。
「キャスのお父様、わ、わたくし、軽率なことをキャスに言ってしまいました。知り合いの男の子によく似ていると世間話で口にしたのです。あまつさえ、その時にロックフォードの名前も出していました……!」
「そ、それは……。
……いえ、アリシア様は事情をご存知なかったのですからお気になさることはありません」
キャスの父親は一瞬驚いたものの、すぐに切り替える。
「私がお伝えしたいのは、娘を救い出してくださったことへの感謝のみですよ。お嬢様」
キャスの父親は深々とアリシア達に頭を下げて見送り、家族の待つ家の中へと入っていった。