「アリシア様⁉」
レナルドが驚き、いそいそとアリシアのところへ向かうのを、キャスの家族やその他の村人達が不思議そうに見ている。それは、アリシアと行動を共にしていたが彼女が領主の娘とは知らないテリーも同じことだ。令嬢が「森の蜘蛛に囚われていたわ」と村の代表を務めるレナルドに報告すると、彼は「そうでしたか」と項垂れた。
「 まさかアリシア様がキャスちゃんの捜索に向かっておられたとは。こちらも探しに出ようとした矢先でした。遅れを取ってしまい申し訳ありません」
レナルドが率いる狼獣人は四名で、見たところまだ若い者達ばかりのようだ。
(いえ、マンジュ卿だって実年齢と結構ギャップがあったもの……。見た目の印象はあまり当てにはならないかもしれないわ)
レナルドの話では用心棒として腕が立つメンバー達だということだったが、アリシアはどことなく警戒してしまう。四人の狼獣人は着古した服を着ていて、その毛皮は灰色。耳はピンと立っていて、こちらを見る目つきは鋭い。鼻が突き出した狼らしい口元から牙は見えないけれど、柄が悪そう……と、アリシアは思わずネガティブな感想を抱いてしまう。そして、ステレオタイプな自分の印象に気が付いて、令嬢は自省した。
(ダメダメ! こういう先入観が、ロアラの良くない伝統よね……!)
気持ちを切り替え、アリシアは狼獣人達に微笑む。しかし、その全員が会釈することもなく無視を決め込まれてしまった。
(……正直、ちょっとイラっときますわね……!)
嫌味の一言でもぶっ放して差し上げようかしらと喉元まで出かかるが、何とか飲み込む。そんな中、アリシアとレナルドの会話を聞いていたキャスの母がおずおずと口を開いた。「あの、さっきお話しされていた蜘蛛って……森の、あの大きな蜘蛛ですか⁉」と心配そうに会話に加わる。
「そんな危ないところから娘を救い出して頂いて、皆様へ本当に何とお礼を申し上げてよいか……」
声を詰まらせる母親はキャスの姉とよく似た明るい茶髪で、その隣には黒髪を短く刈り込んだ屈強な男性──キャスの父親が寄り添っていた。集まっている村人らの間に一気に安堵感が広がったのが、そこにいる誰にも分かる。アリシアは「キャスのお母様、そしてお父様ですわね? どうぞお顔を上げて」と微笑んだ。
「これはわたくしの責務と言うべき役割ですもの。領民あってのピオ村であると、若輩のわたくしも理解しているつもりです」
キャスの両親、そして姉は、きょとんとした顔をしている。母親が戸惑いの表情で「レ、レナルドさん……あの、こちらの方は?」と馴染みの顔に尋ねた。
アリシアは自分が名乗っていないことに今さら気付いて、「あら」とつぶやいた。そのままレナルドが「あぁ、こちらは……」と説明しようとするのを手の動きで制する。
「自己紹介させてくださいませ。
申し遅れてしまいましたわ。わたくし、アリシア・ポーレットと申します」
「ど、どうも……」
アリシアが拝礼したのに母親がつられて会釈する。その隣で父親が目を見開き、即座に「ポーレット!」と一番鶏のような通る声を発した。
「りょ、領主様の!」
父親が驚愕する声に、なぜかフォグが得意げに「そうなんです! こちらは、ピオ村領主様の
「はぁ⁉ 領主様だぁ⁉ おいおい嘘だろ⁉」
テリーは信じられないという顔をするが、キャスが「えっ、テリーさん知らなかったんですか⁉ もう知ってるものだとばかり……」と困惑するので、どうやら自分が担がれているわけではないらしいと悟った。
「ひょっとして、ガチなわけ? お、俺、すげぇタメ口利いちまってましたけど……!」
テリーの目は泳いでいるが、アリシアのほうは一向に意に介していない。
「あら、気になさることありませんわ。わたくしとしては事は一刻を争うと思っておりましたし、テリーさんにいろいろ教わってとても有意義でしたもの」
「ただ、キャスさんを助け出せはしたものの、村の外で不審者は見つけられませんでした」
レオがレナルドに対してそう報告したのを聞いて、アリシアはチュートリアル役のルーシィがピオ村を救えと言っていたことを再び思い返してみる。
『ずばり! 荘園再建ね!』
『あなたが、このピオ村に来たのは必然だってこと』
『一歩村の中に入ってみれば様々な問題が出てくるの』
(そうよ、領民を脅かす存在を放ってはおけないし、この不審者の件、ルーシィちゃんのくれた助言と何か関係があってもおかしくないわ)
アリシアはそう考えて、自分の希望をはっきりと口にした。
「その不審者、わたくし自身の手で捕らえたいと考えています。しばらく村に滞在することですし、自警団の方々だけにお任せするわけにはいきませんわ。そもそもの責任も権限も、わたくしにあるのですから」
アリシアの申し出に対して、レナルドは「えっ⁉」と少々大げさなくらいの反応を見せる。
「それはひょっとして、ゆくゆくはこのピオ村をご自身の直営農園にしようとお考えということですか?」
レナルドの言葉はゆっくりとした噛んで含めるようなスピードで、その内容に村人達がぴくりと反応を示した。誰もが怪訝な顔だ。アリシアは、そのことにすぐには気付かず、「それはどういう……?」と疑問符の響きを薔薇色の唇に乗せる。
「つまり、この村の抱える問題にお気付きだということですよね?」
レナルドの質問に対し、アリシアは素直に「いえ、まだ確信は持てないのですが……それをぜひ確かめて、わたくしの手で解決したいと考えていますわ」と答えた。集まっていた住民は、明らかに動揺してざわめきが大きくなる。さすがにアリシアも異変を察知した。ニナが不安そうに「ア、アリシア様……」と声を漏らす。
村人らの反発は明らかで、ささやかにではあるが口々に「それは困る」「今まで村を見に来たこともなかったくせに」と声が聞こえてきた。さっきまでの和やかなムードが少しずつ変わっていくのがアリシアにも肌感覚で分かる。顔見知り達が好き勝手言う様子にテリーが「お、おいおい……」と声をかけようとするが、一人が困惑ぎみに何か言ったところで広がる雰囲気の変化は止まらない。
「領主様のお耳に、ひょっとして赤字の噂が入ったんじゃ……」
「ほら見ろ! 誤魔化しきれるもんじゃなかったんだ」
聞こえてきた言葉のいくつかが気になって、「赤字?」とアリシアがおうむ返しにした瞬間だった。
「皆さん!」
キャスの父親の声が、敷地にいる全員の耳の鼓膜がびりびり震えるほどのボリュームで響く。
「今日は娘のためにどうもありがとう。そろそろ、キャスを休ませてやりたい。レナルドさん、よろしいでしょう?」
レナルドが「あ、ああ、もちろん」と頷き、キャスの父親は妻と子供達に「家へ入っていなさい」と促した。村人達がなおも何か言いたげに敷地にとどまっているので、レナルドが「さぁ、解散だ。いい午後にしよう」と声をかける。それを受けて、テリーが「じゃあ、俺はここで」とアリシア達に挨拶した。テリーのようにすんなり呼びかけに従う者もいれば、不満の声もあるようで何人かが村の代表を務める彼に苦言を呈している。
「レナルドさん、あんたを信用してるんだ。領主の言いなりになってもらっちゃ困るんだよ」
「俺達の味方でいてくれるよな? まさかあんただけいい思いをしようだなんて思わないでくれよ」
そのやり取りが目に入って、アリシアは何だか複雑だ。
(そうよね、レナルドさんはお父様の代行を任されているのだもの。ピオ村の住民からすれば、彼の立場は領主側に近いように感じるわよね)
レナルドが慕われているからこそ村人達もそういう胸の内を包み隠さず打ち明けられるのだろうが、なかなか心労を抱えてしまいそうな境遇である。
キャスと、その姉、母親はすでに自宅に入った。集まっていた村人達も、次第に仕事場や家へと帰っていく。自警団の狼獣人達はレナルドと言葉を交わしてから、アリシアの横を通り過ぎようとした。
「か弱いお嬢様は、偉そうにしないで大人しく引っ込んでるほうが身のためだぜ」
すれ違いざまにそう言われて、アリシアは今度こそ失礼な狼獣人を睨み付けた。どことなく、声をかけてきた彼が四人の自警団の中で一番の中心人物なのだろうという気がする。片耳の縁に過去の裂傷があり、それを強調するように傷の近くに銀色のイヤーカフアクセサリーを着けていた。だが、そのような外見に気圧されるアリシアではない。
「無礼ですわね。ポーレット家の領内で、吠え方の躾もされていない野良犬に好き勝手させるつもりはありませんわよ」
令嬢と狼獣人らが視線を交わし合った結果の火花がバチバチと見える気がしてニナは空恐ろしい。だが彼女の側仕えのメイドとしてのプライド、そしてこれまでのアリシアを近くで見てきた経験が令嬢譲りの気の強さとなってニナの背筋を凛と伸ばしてくれる。アリシアとニナの態度に共鳴するように、アリシアの肩先に座る妖精も狼獣人にガンを飛ばした。
慌てたレナルドの「やめないか」という制止と、狼獣人の「非力な奴ほど口だけ達者だな」という悪態が重なる。売り言葉に買い言葉でアリシアがさらに何か言おうとした時、それより早く対応したのがレオだった。
「そこまでにしませんか」
アリシアと狼獣人のどちらもを穏やかに諫める形で、レオが双方に会釈する。
「アリシア様は責任のあるお立場ですから、どうぞ冷静なご対応を。
ワントの若者よ、明らかな体格差をわきまえぬ振る舞いがどれほど国の恥を生むことになるか、分からぬ年齢ではないはずだ」
だがレオからの柔和な言葉遣いは、かえって狼獣人達の頭に一瞬で血をのぼらせる結果となった。