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第10話 恵みと畏れの森〈終〉

 ──妖精を使役する娘よ。お前の勝ちだ、してやられた。

 アリシアは自分の思い付きがどれほど残酷だったかを考えると、とても勝ち負けとして捉えることなどできない。だが、蜘蛛はアリシアの様子などどうでもよさそうに独り言を紡ぎ続けている。

 ──負けたからには勝者が絶対だ。我にもそれくらいの分別はある。

   それにしても……嫌な匂いをさせる女だと、お前と最初に向き合った時から思っていたんだ。その腰の香草の束の匂うこと! そう分かるくらいに勘は働いていたのに、子供達のための餌を奪われて邪魔されて、ついカッとなったな。

「ははぁ、そういうことですか! ワタシ、不思議だったんです。網が見当たらないから罠でもないし、なぜ捕まえた人間をそのままにしているんだろうって」

 テリーをサポートしながらこちらに合流したフォグが会話にくちばしを挟んできた。テリーは、どうも蜘蛛と鉢合わせた驚きで腰を抜かしたらしい。

「なるほどなるほど、やっとすっきりしました! 母蜘蛛は、卵が全部孵るまで絶食して衰弱する種類が多いですからね」

 ニコニコとそう納得してから、フォグはアリシアの蒼白な顔色を見て慌ててさえずるのをやめる。

 自分が親も子も手にかけようと立ち回ったのだと突き付けられて、生みの母を亡くした過去のあるアリシアはあまりにも胸が痛い。

「わ、わたくし……ひどいことを……」

 そう言い淀むアリシアへ、蜘蛛が率直に返答する。

 ──偽善だ、それは。もしくは我らへの侮辱だな。

「そ、そんなつもりでは……」

 ──これまでに我を退治しようとした者も似たり寄ったりだ。他者を脅かすことは、互いの生存を賭した闘いよ。その覚悟がないから簡単に逃げ出す。よしんば勝てたとて、今のお前の有様ときたら。

 アリシアは何も言い返せない。

 ──生き物とはそういうものだ。いつかは死ぬし、敵対もする。命は、他の命を得てのみ永らえるものだ。だからこそ勝ち負けは絶対だ。そして我は負けた。違うか?

 蜘蛛に問われ、人形のように自失してしまった令嬢に「アリシア様!」とニナが声をかける。ニナとキャスも、テリーとフォグを追ってこちらに合流していた。レオも心配そうに令嬢を見やる。

「わたくし……」

 心を折られつつも、アリシアはこの状況から逃げることはしたくないと思った。それは元の世界で桐谷優子として理不尽でブラックな環境で勤め続けていた時の意地かもしれないし、ライゼリアで奔放、かつ自らの悪意にすら素直に生きた令嬢としてのプライドかもしれなかった。

 覚悟のなかった自分を、アリシアは恥じた。女神ライザはずっと自分に説いていたのに。義も愛も、欠けてはならないのに。そして、蜘蛛の前に丁寧に膝をついて居ずまいを正す。

「認めますわ。命を天秤にかけて、わたくしは領民が安全に生きることを優先する判断をした。だから、あなたを排除しようとした。あなた方を傷付ける目的が第一ではなかったけれど、それを選んだのはわたくしです」

 蜘蛛は何も言わない。アリシアの言葉の続きを沈黙によって促している。

「叶うことなら、あなた方と共に生きて……そう、共生関係というものを築けたら、それが一番なのですけれど」

 ──甘いな、世間知らずの善人っぷりだ。

 蜘蛛がそう言い切る声が響く中、ついに弱った蜘蛛の足が縮こまってバランスを崩し、大きな体が地面に倒れた。

「あっ」

 驚くアリシアに、蜘蛛は話し続ける。

 ──あぁ、肉体はここまでだね。こうして話せるのもあとわずか。

   さて、我を負かしたお嬢さん。たいそう悲しんでくれたようだけど、問答はもう終わりだ。それに、今回が我の初産というわけではない。もう百年近くここに生きているのだ。いつか愛しい我が子達と出会うことがあったなら、お前が言うお望みの共生とやらをやってみるがいい。

 思いがけない提案に、アリシアは目を見開いた。

 ──我が名はアラーニェ。今この瞬間に、森の古い蜘蛛は死ぬ。後は好きにするがいい。言われなくても、お前ら、人はそうするだろうが。

 最後に、蜘蛛はレオに向けて語りかけた。

 ──加えて、若獅子に再び警告しておこう。人は裏切るものだと。

「……裏切る可能性があるのは、同族であっても同じだ」

 そう言い返すレオのセリフは反発する内容でありながら、古くから森の主の一翼で在り続けたであろうモンスターに対する、ある種の敬意を口調に含んでいた。

 ──フ、確かにそうかもしれんな。

 笑みを交えたような受け答えを最後に、蜘蛛の声は聞こえなくなる。

 周囲を気ままに飛んでいた妖精が、ついと令嬢の肩に止まる。跪いたままのアリシアは、蜘蛛の亡骸を見つめ、それから顔を上げて蜘蛛の向こうにある木を見た。薄暗い森だが、幹は太く、葉は瑞々しい立派な木だ。主を失った御座みくらは、変わらずそこに佇んでいた。

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