「この蜘蛛は後ろにも目が二つある! そこを狙って!」
それがきっかけだった。アリシアの頭にひらめきが生まれる。
(敵キャラの蜘蛛! 弱点の頭の後ろの目! それ、『スペドリ』じゃん⁉)
アリシアは、自分の連想が荒唐無稽なのではないかと思いつつも、妙な確信があった。だって、そっくりなのだ。あのゲームを実写映画化したとして、このビジュアルの蜘蛛を本編に登場させたなら、ファンの誰もが制作陣の努力に拍手したくなるだろう。
プレイヤーから『スペドリ』という愛称で呼ばれるゲーム、『スペキュレイティヴ・ドリーム』は『魔奇あな』をリリースしたのと同じゲーム会社が開発したロールプレイングゲームだ。主人公の少年は他人の夢を渡って冒険し、同じように夢を渡る少年少女と出会う。仲間と共に思索を深めながら夢の中を旅して、それぞれの現実世界での課題と向き合おうと決意するまでの物語だ。
このゲームの中にも、主要な敵の一種として蜘蛛が登場する。その蜘蛛を倒すのは、ある少女が夢の中で覚悟を決めた時にその心境と連動して発生した炎だ。プレイヤーはこの戦闘で、物理攻撃で蜘蛛の背後から弱点の目を狙って体力を削ったり、炎による効果的なダメージを与えたりする必要がある。
「火! 火だわ!」
アリシアがそう口走ると、妖精が呼応するように全身に力をこめる様子で何かを長く叫んだ。どうも、アリシアの真似をしているらしい。
手段を思い付きはしたものの、今のアリシアはそう都合よく火打ち金を持ち合わせているわけもない。森で仕事をするテリーならあるいは、と思って、さっきテリーが登った木の方を見やる。その木の根元には降りてきたテリーが座り込み、隣にはフォグがいた。アリシアの位置からは少し距離がある。
(火を……私が魔法で火を出せたらいいのだけど)
授業で主要
「火、火、火ぃ~……!」
念じながら指先を見つめるが、何も変化は起こらない。うまく聞き取れないが、妖精も一緒に何かを唱えている。
その時のレオは蜘蛛からの体当たりを避けながら、フォグにもらったアドバイス通りに相手の背後に回り込もうとしていた。蜘蛛はその意図を察し、背中を見せないようにと細かく足を動かしてレオを常に正面に捉える。直後、蜘蛛の上にドサドサと大量の枯れ枝や葉が降り注いだ。あまりにたくさんの量なので、蜘蛛の上に積み上がりきらなかった松ぼっくりやススキの穂がアリシアの足元にも転がったり舞ったりした。
「な、なにっ⁉」
何とか火を出せないかと手元に集中していたアリシアが、驚いて顔を上げる。得意げな表情で、妖精がアリシアの顔回りに飛んできた。
「あ、あれはあなたが⁉」
妖精が、フフンと嬉しそうに胸を張る。突然現れた枯れ葉や枝への驚きで、一瞬レオの動きが止まった。蜘蛛はというと、不機嫌そうに体を震わせて背中から素早く小枝などを払い落とす。
──何だこれは! 小癪な真似を!
次の瞬間。パチパチと何かが爆(は)ぜる音がした。枯れ枝が蜘蛛ごと一気に燃え盛る。ごう、と炎が逆巻く風が吹いて、真っ赤な火が薄暗い森を煌々と照らした。
──うああああああああああ!
思わず顔を背けたくなるほどの断末魔が耳の奥に響いて、アリシアは動揺する。自分の魔法が発動したのだろうか? いや、それとも、これも妖精が? 思考が追い付かない速度で火は燃えていく。蜘蛛は必死に火の回った枝の小山から逃げ出すが、もうその体自体に火が付いていた。
──火! 火だと⁉ おのれ!
蜘蛛はその身を焼かれながら、なおもレオに向かっていこうとしたが体を燃やされるダメージは大きく、次第に動けなくなる。松脂が燃える時の、鼻につく独特の匂いと強い炎がアリシアをも怯ませた。煤混じりの煙が昇っていく。急な出来事に、誰もが呆然と火だるまの蜘蛛を見つめたまま固まっていた。例外は目を輝かせている妖精くらいだ。
──くそ! もう少しだったのに!
蜘蛛がしきりに何かを悔いるようなことを言ってもがくが、もう何もできないようだった。さっきまであんなに恐ろしかったのに、気味が悪いというだけでは片付けられない不憫さのようなものがアリシアの心に引っかかる。
──ああ、燃えてしまう! 愛しい我が子達よ!
思ってもみなかった蜘蛛の言葉に、アリシアは目を見開いた。思わず蜘蛛に駆け寄る。火の勢いが少しずつ弱まるその背には、ふわふわした繭のようなものが負われていた。内部は適度に湿っていて燃えにくいのだろうか、火が付いて焼け焦げつつも灰にはなっていない。その卵嚢から逃げ出そうとした何匹もの子蜘蛛が絶命して白い糸に引っかかっているのも、孵る前の卵が熱によって破れているのも、全てがアリシアの目に焼き付いた。アリシアのすぐそばで、無邪気な笑い声がする。妖精だ。純粋無垢な笑顔で、焼けていく異形とその子供をケラケラと笑っている。
アリシアは、頭を殴られたような気がした。彼女の受けた衝撃はひどく重く、叫ぶことさえ忘れてしまう。口元を押さえたアリシアは「うっ」と短く呻いた。ゲームをヒントに解決策を思い付いて、それは状況を打開する最善手であるはずで、実際にそうなったのに、アリシアの心は潰れそうだ。
もはや動かなくなった蜘蛛はその複数の目で令嬢の様子を見て、しばらく何か考えているようだった。奇妙な沈黙はしばらく続き、残り火がパチパチと小枝を鳴らす。少しの間をおいて、蜘蛛はアリシアへ言葉を投げかけた。声帯で形作るわけではない言葉が、そこにいる面々の頭の中にまたも直接響く。