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第10話 恵みと畏れの森〈3〉

 テリーは首を傾げ、「俺の知ってる神様って言ったらライザ様だけだよ。ライザ様が人をさらうようなイメージないけど」と答えた。アリシアも同感だ。「ありがとう」と礼を伝え、キャスを探して周囲の様子に目を配りつつ彼女は考え込んだ。

(そうよね、ライザが人に危害を加えるとは思えないし)

 そう納得しようとするのに、何かが気にかかる。一体何だろう。

 ──ライザ様だけ。

 テリーのついさっきの返事が脳裏をよぎる。ふと、桐谷優子の視点でライゼリアの世界を捉え直し、一つの疑問が浮かんだ。

(この世界の神様って、ライザ様だけなのかしら? それとも……)

 それとも、ギリシャ神話や日本神話のように、ライザとは別に他にも神がいたりするのだろうか。

 その時だった。聞き慣れない、「あー!」という声がすぐ近くから聞こえてアリシアはびっくりする。

「今のは⁉」

 一瞬混乱するアリシアだが、声の主はすぐに判明する。アリシアのそばにいる妖精のものだった。「あー」「うー」と不明瞭な音を発しながら、妖精は小さな体で懸命にアリシアの服の袖を引っ張ろうとする。手加減のない振る舞いのせいか、サイズの割には意外と強い力にアリシアは驚いた。人形のミニチュアのような手が、しっかりと布地を掴んでいる。

「なっ、何? 何ですの?」

 その様子を見たレオが「アリシア様。妖精の導くままに行ってみましょう」とすぐさま提案した。

「複数人であちこちを探しているのに、今のところ足跡などの有力な手がかりが一つもない。誰かが魔法を使うなどして、意図的にキャスさんの姿を隠しているのかもしれません。もしそうであるなら、妖精がこうやって反応をみせるのを見過ごすべきではないでしょう」

 ──誰かが、何らかの形で、キャスに干渉しているかもしれない。

 その可能性を思うだけで、アリシアは居ても立っても居られない気持ちになった。妖精は何か言いたそうにこちらを見上げていて、令嬢は真剣な眼差しを向けて語りかける。

「小さなあなた。お願いよ、頼りにさせてちょうだい。私には分からない何かを感じ取っているのなら力を借りたいの」

 妖精はコクコクと頷いて、再び同じ方向へアリシアの服の袖を引いた。アリシアが「こっちね?」と確認し、他の面々も彼女に続く。やがて彼らは、森の奥のややひらけた場所へ出た。正面には、樹齢何年ほどになるのだろうか、大きな木がある。童話なら、森の主が住んでいそうだわ、とアリシアは思った。根元から真っ直ぐに幹が伸びている。その幹が枝分かれしてゆく股辺りに白いもやがかかっているのが見えた。妖精は、しきりにそのもやを指差す。全員が同じ箇所に注目した。

「嫌な感じがする」

 真っ先にそう言ったのはテリーだ。彼の声には、本能的な警鐘の響きがあった。身体的な感覚が人間よりもたいてい鋭敏であるはずの獣人達が何か気取けどる前にテリーの勘が働いたのは、森で仕事をする者だからこそだろう。

 警戒しつつ、アリシア達は木に近付く。それほど接近せずとも、白い靄の正体が明らかになる。

「……糸?」

 アリシアは自分の目に映ったものをそのまま言葉にして、まるで大判のレースの布地が編み上がって木に掛けられているようだと思った。自分の誕生日祝いに使用人達が贈ってくれた白糸刺繍のハンカチの美しさを令嬢は連想するが、もちろんそのような精緻で高品質な手工芸品が深い森に飾られているわけではない。ふわりと柔らかそうな層になった白い糸の塊を幹のラインに沿いながら見上げ、令嬢は驚きのあまりに叫喚した。少女だ。ずっと探していた少女が、繁った葉の向こうで、まるで産着にくるまれて眠る赤子のように白い糸に覆われてそこに囚われていた。気を失っているようで、目は開いていない。

「キャス!」

「蜘蛛です!」

 アリシアの悲鳴に重なったのは、フォグの声と羽ばたきだ。フォグの草色の翼が瞬時に大きく広がったのは、警戒と威嚇のためだろう。ニナはアリシアに寄り添い、レオはすぐさま他の面々に手を出させぬよう前に出て、テリーは素早く手斧を構えた。

「早く降ろしてあげなくては! キャスが!」

 取り乱して飛び出そうとするアリシアを、レオが焦って「待って、待ってください!」と引き留める。

「大きな蜘蛛が、あの子を囮におびき寄せようとしているのかもしれません」

「でも!」

 食い下がるアリシアを「アシリアさん。あの様子なら、すぐ動かなくても大丈夫ですから」と説得したのはフォグだった。

「キャスちゃんをグルグル巻きにしているのに、その周りに狩りのための罠網を張らず、そばにもいません。巣の主はどこかへ出かけているか、さらに高い枝に上って離れた位置で葉っぱの陰にひそんでいるか……いずれにせよ、キャスちゃんが今すぐ危険な目に遭うことはないでしょう。あの蜘蛛糸は結構ふわふわしていて、包まれると心地いいらしいですよ」

 フォグはハチクイドリ型の獣人というだけあって虫の生態に詳しいらしく、意外なほど冷静に仲間達へ気付いた点を共有する。ニナが「本当に急がなくていいんですか?」と、不安そうな表情で尋ねた。

「ええ。キャスちゃん、顔色いいでしょう? 多分、怪我もしてません。もしも血の匂いがしたらレオ坊が真っ先に気付くはずですから。

 蜘蛛は餌を食べる時は、顎で噛み砕くにしろ牙を突き立てるにしろ、消化液を相手に流し込んで内側を溶かして吸うんです。だから、血色の悪くない今のキャスちゃんは無事ですよ」

「ひぇ……」

 親切に解説してくれるフォグの説明があまりに具体的で、アリシアはぞっとする。

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