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第10話 恵みと畏れの森〈1〉

 アリシアは、王都ではそうそう聞くことのない言葉を確かめるようにつぶやいた。

「神隠し……」

 レナルドを頼って水車小屋を目指し駆けて来た村人が、「ああ」と数度頷いて息を整える。

「フォグさん、顔見知りだろう、キャスちゃんだよ。朝になっても起きてこなくて、どこにも見当たらないらしいんだ」

「キャスちゃん! ええ、ええ、知ってますとも!」

 フォグの受け答えの中に出てきた顔見知りの名に、アリシアが「キャス⁉」と驚いた。それを見た令嬢の肩に乗る妖精も、不安げな様子で羽を震わせている。アリシアが、青年とフォグの会話に割って入った。

「それって、空色の髪をした女の子では?」

「そうだ。お隣の娘さんでね。親御さんが気の毒なほど心配してて、足の早い俺がレナルドさんに知らせようと買って出たんだ」

 「頼むよ」と、村人が頭を下げる。

「あんたら行商さんならあちこちの道に詳しいはずだ。力を貸してくれ。普段こんな風に誰にも言わないでどこかに行ってしまうなんてしない子なんだ」

「いえ、わたくしは行商では……」

 そう言いかけた令嬢を、レオが眼光鋭く「アリシア様」と呼んだ。

「急ぐべきだと思います。本来ならレナルドさんと相談の上で連携し捜索するのが理想でしょうが、不審者の目撃がある中での神隠しは──」

 口早にレオが伝えようとする内容に思い至って、アリシアは蒼ざめた。

「まさか良からぬ輩がキャスをさらったと⁉」

「ひ、人さらいですか⁉」

 アリシアに続いてニナもうろたえ、それが伝播して村人も顔色をなくす。

「そんな……」

 レオが「落ち着いて」と青年に声をかける。

「心配させて申し訳ない。まだそう決まったわけではなく、あくまで可能性です」

 ライオン型獣人の彼は、まばゆい太陽を見上げてその高さを見た。朝から行方を探し始めているなら、すでに数時間は経過している。

「あなた、どこを探すべきかお心当たりはありませんの?」

 アリシアが 尋ねるが、村人は首を振った。

「早朝、まだ夜が明けきらないうちにキャスちゃんが出歩いているのを見た人はいる。でも距離があったし、何か話したわけじゃないそうだ」

「ほう!」

 項垂れる青年に対し、フォグが嘴をモゴモゴと動かして、興味深げに頭を傾げる仕草を見せた。

「夜は明け始めていたんですね! 日の出の頃合いにはなっていたんですね!」

 羽音を立てて翼を広げ、半鳥人は高い音でピュイピュイピュイと鳴き声を上げる。

「な、何だ?」

 青年が戸惑う様子に、「お静かにぃ」と片方の翼の先で自分の嘴を覆うジェスチャーと共にぴしゃりと言い放って、フォグは耳を澄ませた。ほどなく、数羽の小鳥がピチピチとさえずりながら一行の前へ羽ばたいて来る。

 思わずアリシアは「まあ」と声を上げて、フォグと鳥達が何らかの言葉を交わすのを見守った。フォグが数回さえずる。そして小鳥達からの答えを聞き、令嬢達の方へ振り向いた。

「森! 森です! 森へ入るのをこの子達が見たと!」

 啼鳥の一声に、アリシアが間髪を容れず「案内を!」と村人に強く求める。

「はっ、はい!」

 反射的に青年が返事をして「こっちです!」と足早に歩き出した。


 村の中を進む、キャスを探しに向かう一行を見かけた村人は、不思議な取り合わせのメンバーだと奇妙に思っただろう。一番目立つ、体格の大きなライオン型獣人。カラフルな見た目が村では馴染みの、鳥型の行商人。見かけない顔だが、身なりの良い印象の娘。その肩口に乗る妖精。娘の付き人と思われる使用人。そして彼らを率いて案内する、村の青年。

「テリー! レナルドさんは何て⁉」

 向かいから歩いてきた壮年の男性が、アリシア達を森へと導く青年へと声をかける。テリーと呼ばれた青年が「水車小屋にいなかったんだ! でも、フォグさんが、キャスちゃんが森へ入るのを見た鳥がいるって」と声を張り上げた。

「森だと⁉」

 おののく男性を見て、アリシアはどんな場所なのだろうと不安な気持ちを覚える。元の世界の桐谷優子としては、森といえば、学校の林間学校や自然学習、アウトドアのレジャーで訪れる場所だが、器であるアリシアの記憶の中にあるイメージはそうではない。森は陰鬱で、得体が知れなくて、危険で、モンスターが潜んでいることもある異界だ。アリシアは、いつだったか、継母であるカミラからの嫌味に反発して、翼蛇つばさへびを手懐けてやる、などと自分が豪語したことをふと思い出した。

「……アリシア様」

 スピードを落とさずに歩きつつ、声を心持ちひそめてレオがアリシアに進言する。

「私が、ひとまず少女の捜索に出向きましょう。集落から離れた森は、程度の差はあれ基本的に危険です。アリシア様は、村でお待ちください」

「いいえ」

 アリシアはきっぱりと言い切った。

「お気遣いはとてもありがたいのですけれど、領内でのトラブルを領主が平定し解決するのは当然のこと。領民が危険な目に遭っている可能性があるならば尚更ですわ」

 少しも引かずにそう言い返すアリシアを見て、レオは「……なかなかに強情な方だ」と肩をすくめる。だが、言葉の響きとは裏腹に、その顔付きには親愛の情が見て取れた。

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