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第9話 はぐれ妖精〈6〉

 バサバサと翼を広げて、フォグが川沿いを歩いてくる人影に声をかける。

「おーい、レオ坊! こっち、こっち!」

 フォグの呼びかけにつられて、アリシアも同じ方向を見やった。

(……れおぼう……?)

 距離がある割に、あれが水車小屋に向かってくる人影だ、とはっきり分かる。かなり大柄な人物らしい。いや、見る間にその人物は人影などではなく、ライオン型の獣人だと確信を持てるほどに接近していた。

(あ、あれって……)

 別に全速力で駆けているようには見えないのに、歩幅が大きいのだろうか、その人物はあっという間にアリシア達の前に現れた。

「久しいねぇ、レオ坊!」

 ご機嫌なフォグに、ロアラの一代貴族に叙された獣人、レオ・マンジュが「お元気ですか、フォグおじさん!」と笑顔を見せる。そしてすぐさま、アリシアとニナ、レナルドに向かって、胸元に手を当てた拝礼の仕草を取った。

「急ぎとのことで、文書でのご挨拶なく領地内へ立ち入ったことをお許しください」

「まっ、マンジュ卿……⁉」

 名前を呼んで固まってしまったアリシアを見て、レオは少し気まずそうにする。

「この村がポーレット家の監督下にあることは予め存じていたのですが、まさかアリシア様がこちらにおられるとは思わず……、先日の、差し出がましいご無礼をお許しください」

「い、いえ、こちらに来たのは急な話でしたので……。それに、あの、謝って頂く必要など全くないのです。わたくしこそ、あのように巻き込んでしまって──」

 アリシアの脳裏に、二人一緒にテラスで過ごして言葉を交わしたことや、ケイル王子を止めようとレオが自分を庇ってくれた時の光景が蘇る。

「謝るのは、わたくしの方なのです。心から謝罪いたします」

 領主の娘が格下の来訪者に対して深々と頭を下げる様子はかなり異質だ。レナルドも、フォグも、ニナも驚きの表情でアリシアとレオを見つめている。レオが「ご、ご令嬢、お顔を上げてください。あの夜は私も勢いでつい弟王子様に……」と慌てて、ようやくニナが、「あっ、あなたが!」と思い至った。

「ケイル様の前で、お嬢様の味方をしてくださった方がおられると聞いておりました! あなた様がそうなんですね! 私からもお礼を言わせてください!」

 ニナが嬉しそうにレオを見上げる。フォグはというと、事情は何も知らないものの、レオがアリシアに何か助けになることをしてやったらしい、ということは会話から十分に伝わったようだった。

「レオ坊! 何だ、お嬢様と知り合いか!」

「えぇ」

 フォグは、まるで自分のことのように嬉しそうに「このレオ坊はねぇ、ガタイがよくって、気が優しくって、たてがみだって若いのにもう立派にフサフサしてて、いやもう本当にいい子なんですよ」と褒め始める。

「さすがマンジュのあの親父さんを継ぐに相応しい子だって、ワタシはもう随分前から思ってたんです!」

 レオは「あの、フォグおじさん、その辺で」と少し恥ずかしそうにフォグの勢いをなだめ、「……そちらがレナルドさんですね」とさっきから一言も発していないレナルドに声をかけた。

「え、えぇ。よろしくお願いします」

 レオは終始柔和な態度だが、レナルドはどこか気圧されているようにアリシアには見える。

(ワントの国境に近いから、ピオ村の人は獣人セリアンを見慣れていると思っていたけど、ライオン型は物珍しかったりするのかしら)

「あの!」

 その時、レオに向かって呼びかけたのはニナだった。

「今年で十七とお聞きしたんですけど、本当ですか⁉」

 側付きメイドの表情は真剣そのものだ。アリシアは、さっきのフォグの話を思い出して驚愕する。

(お、同い年……⁉)

 大きな体躯と落ち着いた態度のために、レオは自分よりもずっと年上だとアリシアは思い込んでいた。自分の父親よりは若いかな、くらいに。さっきフォグがレオのことを呼んだ時、音の響きが一瞬よく分からなかったけれど、ハチクイドリの彼はまるで小さな子への愛称のように『レオ坊』と呼んでいたのだ。

 アリシアもニナも、真相が気になって見つめる中、レオが「い、いえ」と否定の言葉を口にする。なんだ、さすがに違うのか、確かにこの貫禄は……とアリシアが思いかけた矢先、「来年で十七です。春始まりのロアラの暦では、いわゆる早生まれですね」と驚きの返答が耳に入る。

「えぇえっ⁉」

 失礼なことに、心の中に抱いた驚きが全部口から出てしまう。アリシアは慌てて、こほん、と咳払いし、「お、大人びていらっしゃいますわね……」と言い添えた。

 その健気で必死のリカバリーに、思わずレオが吹き出しかける。一応、笑っては失礼だと思ってなのか、斜め後方に顔を背けて肩を震わせている。いや、我慢しきれていない。「くくく」と声が漏れ聞こえて、アリシアの顔は真っ赤になった。レオが笑ってしまうのを何とかこらえてアリシアに申し出る。

「ですから、あまりお気を遣わずに。老けているけど人間基準では若輩者なのです」

 何と言ったものか頭が回らないアリシアの横から、「人間基準?」と疑問に思うニナの声がした。レオが説明を補足する。

「ええ。本来、動物のライオンは二、三年で群れを出て、子供である期間を終えます。自然の中での寿命は十年ほど。飼育環境にいれば二十年ほどで寿命でしょうね。獣人セリアンは魔法を帯びた存在で人と動物のはざまにいますが、私のような獅子タイプの獣人セリアンはおおよそ人の一・五倍速で生きていると思ってもらえれば」

「えーっと、じゃあ、今十六歳でいらっしゃるから……」

 暗算しようとしたニナに「人間でいうなら、二十四歳くらいということです」とレオが答えた。

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