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第9話 はぐれ妖精〈3〉

 アリシアが尋ねると、ニナは「だって、うちの田舎、家のすぐ前を羊が自由にうろついてたんです。それに比べれば、この爽やかな風! 最高じゃないですか」と笑う。アリシアが不思議そうな顔をするのを見て、ニナが愕然としてから平謝りした。

「す、すみません! すみません‼ ついつい気がゆるんでくだらない話を……!」

「あら、くだらなくなんてないはずよ。爽やかな風って素晴らしいものだわ。で、どういうこと?」

 続きを促すアリシアに、ニナがやや気力の失せた表情で答える。

「うぅ……説明させないでください……。その、あれです。羊の毛とか糞尿とか……結構匂うんです……」

「あら、直接的な言葉」

 わざといたずらっぽい口調で怪訝に応じるアリシアに、ニナが「もー、お嬢様! だからくだらないって言ったじゃないですかぁ」と軽く嘆いた。二人の今の年齢ならば、屋敷や学院の中ではおよそ口にしなさそうな話題を広げてしまったことに、アリシアもニナも妙に笑えてしまう。

「で、でも、この匂いって、案外バカにできないんですよ」

 ニナが、故郷の村で昔起こった事件について話し始めた。

「狼が問題になったんです。村の近くまで狼が縄張りを広げちゃったみたいで、家の近くに羊がうろうろして匂いをまき散らすと危ないって話になって……」

「えぇっ、狼が!」

 ニナは「両親が小さい頃は、魔法が得意なおばあさんが村にいて、どうも人や動物の匂いを外に出さないようにできてたらしいんですよね。でもその方が亡くなって、誰もその魔法の扱い方を知らなくて」と当時を振り返る。

「大変なことじゃない。それで?」

 二人は話をしながら、ピオ村の大通りを歩いてゆく。村でのポーレット家の住宅と同様に、木組みと土壁がメインの住宅がほとんどだ。人通りは多くないが、アリシアとニナの隣を子供達が連れ立って駆けて行ったり、老人らが立ち話していたりと、集落全体にのどかな雰囲気が漂っている。

 ニナは、故郷の村の風景に思いを馳せた。そして、「幸い大きな被害はなくて」とアリシアの質問に答える。

「村で牧人を雇うことになったんです。牧人は医療や魔法に長けてる人が多いですから羊が襲われる心配もないし、放牧に出てもらうことで餌代が減って、休耕地に肥料をまく結果にもなりました」

「それは何よりね。よかった」

 微笑んだアリシアは、通りに並ぶ家の軒先に木のレリーフ看板を見つけて「あっ、きっとここだわ」と、その家の前で足を止めた。

 看板のモチーフは、上部がアーチ型になっている蹄鉄だ。この形の看板が目印だと、ジョージから事前にアリシアは聞かされていた。ニナが「可愛い看板!」と見上げて言う。

「馬の蹄の形ですね。レナルドさんって、馬丁(ばてい)長みたいに御者をされてる方なんでしょうか?」

「元々は装蹄師だそうよ。加えて、父に代わってピオ村の内政や納税に関する取りまとめを行っているそうなの」

 コメントしつつ、アリシアが扉に取り付けられた金属環でコンコンとノックするが、返事はない。

「ご不在かしら」

 アリシアはつぶやき、もう一度ノックを繰り返した。だが、やはり返答はなく家はしんとしている。

「午後に出直しましょうか?」

 時間を改めるニナの提案に、二人の真後ろから返事があった。

「あなた達、レナルドさんに用事? この時間ならきっと粉挽きよ」

 伝えてくれたのは女性だった。一目で妊婦と分かる、ゆったりとしたワンピースを着ていて、明るい茶髪を一つに結んでいる。布のかけられた籠を抱えた彼女は、親切に「あっちの川沿いに水車小屋があるの。橋の手前で右に曲がれば見えてくるわ」と教えてくれた。

「ありがとう、感謝いたします」

 アリシアが胸に手を当てて礼を言い、ニナは「赤ちゃん、楽しみですね」と微笑みかける。

「ご婦人、良い一日を」

 アリシアは、自分達に話しかけてくれた女性に別れの挨拶を投げかける。彼女の表情にどこか陰を感じることに少し引っかかったが、この時はさほど気に留めていなかった。


 教えてもらった水車小屋はすぐに見つかった。三角屋根で二階建ての木造小屋だ。備え付けられた水車がくるくると回り、水の跳ねる音がする。建物の中からは、石臼とそれを動かすための歯車が回る音が絶えず聞こえていた。作業中なのだろう。

「すみません、あの、レナルドさん?」

 小屋の扉を開けてアリシアが中へ声をかける。小屋の中は、より音が響く。一階は無人だった。アリシアは、そうそう間近で見ることのなかった水車と歯車の機構を興味深く見つめた。水車と共に動く垂直の歯車。その垂直歯車の動きによって水平の歯車が動き、水平歯車と同軸の別の水平歯車が天井近くでぐるぐると回る。その動きが三つ目の水平歯車に伝わって、三つ目の歯車が取り付けられた軸が二階にある石臼の動力となっている。

「すみませーん! あのー!」

 さらに声を張り上げてアリシアが呼ぶと、二階から会話が聞こえてきた。二人の男性だ。

「レルナドさーん、お客人ですよー」

「何度も訂正するのは気が引けるんだが、私の名前はレナルドだよ。フォグさん」

 会話の内容からレナルドと思われる男性が「すみません、どうぞ二階へ。今、手が離せなくて」と返事をする。

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