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第9話 はぐれ妖精〈2〉

 思考を巡らせるアリシアが何かアクションを起こす前に、「お嬢様、差し上げたいものがあるんです」とニナが令嬢にかしこまって一礼する。

「私一人からお贈りするものではなくて……、ポーレットのお家に関わる使用人からの励ましのお気持ちです」

「まぁ」

「御二階へお越しいただけますか」

 ニナの申し出を断る理由などない。アリシアは、初めて見る二階の様子にも興味を持って階段を上がる。窓から日がたっぷりと差し込み、広さはそこまでないけれど木の温かみを感じる家だ。太い梁や柱、床は無垢材で、壁は外観でも印象的だった白い土壁となっている。

「こちらがアリシア様のお部屋です。まだ簡単な掃除しか済ませていませんが……」

「十分よ」

 部屋には寝台と執務机。必要最低限のものしか置かれていないが、アリシアの父であるジョージの性格がよく出ているように令嬢は感じた。ポーレットの屋敷や書斎の中も、代々継がれている家財道具や調度品がほとんどで、ジョージ自身の好みが色濃く反映されているわけではない。

「少しお待ちくださいね」

 ニナが部屋を出る。一人になったアリシアは、ぐるりと部屋の中を見回した。床にも天井にも木の存在感があって落ち着く。リラックスしているのにどこかワクワクするのは、木の印象がログハウスを彷彿とさせるせいだろうか。元の世界の桐谷優子としては、スキーやスノボ、キャンプ、バーベキューなどの、少し非日常なレジャーに来た時に近い感覚があるのだ。

「アリシア様」

 部屋に戻ってきたニナの手には、丁寧に畳まれた大判のハンカチがあった。

「二枚あります。どうぞ広げてご覧になってください」

 アリシアは、言われた通りハンカチを広げる。一枚は真っ白。もう一枚も白い布地だが、気が付いたアリシアは「あっ」と声を上げた。

 二枚目のハンカチには色鮮やかな花の刺繍が施されている。季節ごとの、とりどりの花々とグリーン。よく見れば、真っ白だと思ったハンカチにも白糸の刺繍があり、モチーフの形に合わせてところどころ布糸が抜かれてレースのように透けている。見事な凝ったデザインだ。

「お針子チームがはりきったんです。お祝いの気持ちを込めて、私も何針か一緒にステッチしたんですよ」

 「えへへ」と少し照れながら、ニナが説明する。

「バレバレでしょうからお伝えしておくと、白糸刺繍のハンカチは結婚式にお使いになってもらう想定で用意されていたそうです。カラフルな方のお花のモチーフ選びは、庭師チームが」

 針の一刺し一刺しを見ていると、あまりに細かくて気が遠くなりそうだ。この二枚のハンカチに、どれほどの手間と時間がかけられているのだろう。

「素晴らしいわ。本当に。宝物よ、お守りだわ」

 称賛がアリシアの唇から零れて、ニナは「すごいですよね!」と同調した。

「誕生日のお祝いを延期するって旦那様はおっしゃいましたけど、パーティーは見送りで実質中止みたいなものだから……だから、餞別名目でお預かりしたんです」

 ふと、アリシアは不思議に思ってニナに尋ねてみる。

「私の側付きメイドはあなた一人だし、お父様みたいな人望もないわ。どうしてこんなに使用人達が祝ってくれるのかしら。正直、驚いているの」

「うーん、お嬢様の言葉が時々強いのはもう周知ですしね。お嬢様とウマが合わずに側付きを嫌がったり辞めさせられたりした者も、私の知る限りではポーレットのお屋敷勤めまで辞めてはいません。お給金も良い方ですし」

 ニナは分析しつつ、「あと、お針子チームにはベテランの先輩方もおられましたから、きっとアリシア様が実の娘みたいに可愛いんだと思いますよ」と言い添えた。

 アリシアの胸中は、少し複雑だ。

(元々のアリシアは、どんな風に生きようとしていたのかしら)

 魂の流刑に処されたアリシア──桐谷優子の人格と重なる「前」の彼女──は、周りの様子から察するに、最初から悪辣なだけの存在だったわけではないのだろう。

 ハンカチに込められた祝福を思うと、まるで元々のアリシアの人生を奪ってしまっているような罪悪感がある。

 戸惑いを覚えるアリシアの表情を目にして、ニナは元気づけようと明るく振る舞った。

「さぁ、朝食を済ませたら、集落へ参りましょう。旦那様から、最初に訪ねるようにと仰せつかっていた、えっと、レナルドさん、でしたよね? ご挨拶先の方はお知り合いですか?」

「いいえ、初対面よ」

 アリシアは受け取ったハンカチを寝台に置き、二人は話しながら部屋を出て階下へ向かう。アリシアとニナがいなくなった部屋に静寂が満ちた。ニナが開け放していた窓から、よく晴れた青空が見える。どこか遠くから、鳥の鳴く声がした。しばらくして、何かの気配が部屋の中に現れる。それはしばらく飛び回り、やがて丁寧に畳まれたハンカチの周辺の空気を揺らしてきらめいた。


 流れる川のせせらぎは澄んでいて、吹く風には花や緑の香りが混じっている。思わずニナは深呼吸した。

「いいトコですねぇ、ピオ村!」

「あら、まだ村の集落を詳しく見て回っていないのに?」

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