目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第8話 セカンドチュートリアル〈2〉

 ゲーム『魔法も奇跡もあなたのために』の中に、名前を設定されたネームド獣人キャラは登場しない。あくまで、獣人は他国の情報ををちらりと挟むことで世界観を補強する要素を担う存在であり、攻略対象キャラクターやメインシナリオに関わることはないのだ。

 つまり、レオ・マンジュというワント出身の一代貴族である彼について、ゲームの知識が味方してくれることはほとんどないに等しい。

(マンジュ卿のことって、ほとんど知らないわ……)

 このライゼリアで、桐谷優子の人格が器としてのアリシアと一つになって以来、レオには二度も救われている。ルークの前で混成魔法が暴発した時と、婚約破棄された現場で王子を諫めてくれた時だ。なのに、悪役令嬢とゲームファンから呼ばれていた元のアリシアとしては、ワントとロアラの交易活性化を評価されて、家柄に関係なく爵位を授けられた獣人、くらいの認識しかない。今のアリシア自身が新たに知り得たのは、混成魔法に詳しそうな彼の様子と、人並外れた体格と身体の反応速度くらいだ。

「……あら、誰か心当たりを思い出してる感じ?」

「わぁっ」

 さっきまで聖堂の中空を気ままに浮いていたルーシィがすぐ間近で囁いてきて、アリシアはびっくりする。ルーシィはにっこり微笑んで、「ライザ様の言葉を忘れないでね」と念を押した。

「ライザ様は、この世界の善の頂点。義と愛の精神を尊ぶ限り、世界はあなたの味方だわ」

 言い終えたルーシィは「じゃあね、がんばってねぇ」と手を振る。使いは小さな子供が遊んで踊る姿よろしく翼を羽ばたかせてくるりとターンし、そのまま光の粒となって姿をくらませた。ひらり、と抜けた羽根の一枚がアリシアの前に舞う。思わずアリシアは掴もうと手を伸ばしたが、指先が触れる前にそれは光となって空気の中にほどけていった。


 ルーシィが消え、アリシアは自分が果物を探しに出た理由を思い出して急いで教会の裏庭に戻った。ルーシィと話し込んで時間が経ってしまったかと思ったが、夕陽とキャスの様子を見るとそうでもなかったらしい。

「あっ、アリシアさん、もういいの? 挨拶できました?」

「誰もいなかったの。また出直すわ」

「そっかぁ。じゃあ戻るね」

 アリシアとキャスは来た道を急ぎ足で引き返す。さっきまで幼いルーシィと話していたせいか、アリシアには十代前半のキャスが先ほどより大人びて見えた。「ねぇ」とキャスが口を開く。

「アリシアさん、最初は旅の人かなって思ったけど、違うんだよね?」

 キャスは、アリシアが渡した青いリボンを手に尋ねた。

「えぇ、しばらく住むことになってるの。向こうの、少し高台になっている、あの家よ」

「や、やっぱり領主様のお家の人⁉」

 キャスは水色の目をぱちぱちと瞬きさせ、「す、すみません! さっき、お名前聞いた時は全然すぐにぴんとこなくて」と頭を下げて謝罪する。

「えぇっ、キャス、そんな風に謝る必要なくてよ! 助けになってくれて、本当にありがたいと思っているもの」

 すんなりと感謝の気持ちが口から出て、自分の言動の制御が以前より苦ではなくなっていることにアリシアは気付く。

(ルークに危害を加えそうになった時、コントロールが大事だと学院の中庭で私に教えてくれたのもマンジュ卿だったわ)

 一瞬回想して物思いにふけるアリシアに「でも、お役に立てたのなら何よりです!」とキャスが素直な笑顔を見せた。それを見て、令嬢は再び、こういう屈託のない表情に見覚えがある気がする、と思う。

「あ」

 ルークだ。はたと、アリシアは気付く。さっきまで思い出していたルークの髪と目の色は、隣にいるキャスのものとそっくりだ。髪の長さの違いのせいで分かりにくかったけれど、笑った顔もよく似ている。

「ねぇ、キャス。あなた、苗字は何というの?」

「え? 苗字は、ありませんね。この集落にはキャスって名前は私一人だし……せいぜいワントからの行商人さんにピオ村のキャスちゃん、って呼ばれるくらいです」

 そう答えてから不思議に思ったらしく、キャスは「どうかしましたか?」と尋ねた。

「いえ、わたくしの昔からの知り合いに、キャスにそっくりの子がいてね。ちょうど同い年くらいに見えるわ。親戚か何かかと思って」

 アリシアの返答を聞いて、キャスがぴくりと反応を示す。

「……その男の子は、何て苗字なんですか?」

「ロックフォード。ルーク・ロックフォードというの。ふふ、二人に並んで立ってみてほしいくらいだわ」

 話しているうちに、二人は初めて顔を合わせた木の周辺にまで帰り着いていた。

「ここまで戻れば、もう迷わず帰れるわ。ありがとう、キャス」

「ポーレット様、お家までお送りします」

 アリシアは首を振り、「いいえ、大丈夫。ここは王都よりも日暮れが遅いけれど、じきに暗くなるでしょう。早くお帰り」とキャスに微笑む。

 キャスがもう少し話したそうに見えるので、アリシアはキャスの手を取って約束する。

「それから、わたくしのことは名前で呼んでちょうだい。

 また必ず会いに行くわ。お礼もしたいし、一緒にお茶しましょう」

「集落に来られたら、ミモザの花の植わった家を探してください。お母さんが大好きな花なの」

 アリシアはキャスに手を振り、スグリの実を包んだヴェールを手にポーレット家所有の家へと急いだ。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?