学院長と約束を交わした翌日、アリシアの部屋では二人の使用人が朝から荷造りを進めていた。一人は赤毛でそばかす顔のニナ、もう一人は最近ポーレット家の屋敷に勤め始めたホリーだ。胡桃色の髪をメイドキャップに収め、お気に入りの黄色いリボンをあしらって結んだホリーはまだ十五になったばかり。その蜂蜜色の瞳は華やかな印象で、大きく咲いた黄薔薇を思わせた。彼女はニナのふるさとと近い集落の出身で、長所は素直な性格、かつ物怖じしない度胸と飲み込みの早さだ。
ポーレット家に勤めて長いメイド、ヘレンの采配で、昨日からニナはホリーのサポートを引き受けて一緒に仕事に当たっている。
アリシアは、今朝は家族揃って朝食を摂るためダイニングにいる。ベッドの天蓋布はすでに他の使用人によって運び出されていて、部屋のドアはこの後の作業がスムーズに進むよう扉をストッパーで固定して開け放したままになっていた。
「ねー、ニナさん。こっちのワードローブは? アリシア様、こっちからはなんにも持って行かなくっていーんですかぁ?」
「そう、そっちは触らなくて大丈夫。今回は平服だけって聞いてるから。謹慎の立場で、豪華なドレス着るわけにもいかないでしょ」
「えー、でも家ん中なら自由でしょー。自分が楽しくなる服持ってけばいいのに」
ニナとホリーは、令嬢の服を畳んでトランクに詰めてゆく。
「ねぇニナ先輩、アリシア様やっぱりどっかの荘園に行かなきゃだめなんです?」
「そうねぇ、一応名目は謹慎だそうだから……」
必要があれば、季節の備えなどは後から追加で送ればいい。ニナとホリーは服や身だしなみ用品など、必要最低限の荷物を準備する。
「あ、あの絵もですよね」
ホリーが指差したのは、アリシアの私室の壁に飾られた絵だ。ニナが頷く。
「そうよ、よく覚えていたわね。真ん中の、この二枚を包むようにって」
どちらも家族の肖像だ。これからニナ達が梱包する二枚のうちの一枚に描かれたアリシアは三歳で、椅子に座った母のモニカに抱かれている。隣に姿勢よく佇むのは、父親のジョージだ。もう一方の絵では、十歳となったアリシアがお行儀よく背筋を伸ばして、夫婦の間で微笑んでいる。
二人は大きく柔らかなウコン染めの布を使い、丁寧に絵を梱包した。
「さて、これで完了かしら」
「結構早く終わりましたねー」
腕を突き上げるように伸びをするホリーに、「あっ、キッチンでの作業が残ってるわ」とやるべきことを思い出したニナが声をかける。
「アリシア様のお好みのティーセットとカトラリーを、向こうに持って行けるようにしたくて」
「そんなリクエストもあったんですか。割れないように包まなくちゃなー」
少し面倒そうなホリーにニナは首を振った。
「ううん、これはただの私の思い付き」
ニナの気遣いに、思わずホリーは「へー!」と感嘆の声を上げる。
「ニナ先輩すっご! 他の人達から、アリシア様と一番仲がいいのはニナ先輩だって聞いてましたけど、さすがですねー」
「えっ、あ、いやいや! その、仲がいいなんて、そんなことは……」
ニナは言い淀んで視線をさまよわせた。仲がいいだなんてうぬぼれだ、と自戒する。アリシアを励まそうとする気持ちが空回りして、身勝手な言い分を押し付けて、結局は傷心の令嬢をさらに追い詰めることになってしまった一昨日の夜を思い出す。複雑そうなニナの表情を見て、ホリーは「えー、違うんですか?」と意外そうだ。
「ヘレン婦長も言ってましたよ、南方に行く令嬢の側付きメイドは一人で、それはニナ先輩だって。あの……もし嫌だったら私代わりましょーか? 私、まだここの仕事全部覚えきってないですし」
あまりに率直なホリーの受け答えに思わずニナは「それは……」と苦笑し、さっき詰め終わったトランクを馬車回しへ運ぶべく持ち上げる。部屋の扉の方向へ体の向きを変えたニナは、「あ」と一声漏らして固まった。
ダイニングから戻ってきたアリシアと目が合ったのだ。
アリシアは動揺していた。自らのフラストレーションを相手にぶつけてしまった後悔の中、さらに追い打ちをかけるような内容の会話を立ち聞きしてしまったせいだ。ニナは、自分に対して友情を感じていないらしい。自分の母は奉公先を変えてまで仕えてくれたメイドと親友としての友情を築き、心の支えにしていたというのに。
ニナはニナで、アリシアが自分を許す道理はないと思っていたし、顔を合わせる心の準備も整ってなかったせいでうろたえていた。
この気まずさは、お互い言葉にならない。
とっさに何も言えない二人に代わって、場の雰囲気を和ませたのはホリーだった。
「あっ、アリシア様、おはようございまーす! 準備は順調です!」
「言われたものは全部詰めたつもりなんですけどー、他にもあります?」と、ホリーは明るく確認を促す。その段になって、アリシアはやっと我に返った。
「あ、ありがとう。まだ他にも持って行きたいものがないか、見ておくわね。とりあえず、荷造りを終えたものを運び出してもらおうかしら」